最終話
第13話
https://kakuyomu.jp/works/1177354054888884998/episodes/1177354054889362871
今朝、やっと小説の最終話を作り終えた。
涙ながらに書き綴った小説は、何度目を通しても気に入らなくて、結局投稿するはずの水曜日を越えてしまった。
まだ、公開ボタンを押せないのは、冴島さんの笑顔が脳裏にちらつくからだ。
あのぽってりとした柔らかそうな唇から漏れた、森山くんの名前が、どうしてもわたしの知る森山くんと重なってしまう。
叶わない恋ほど、重くて、それでもキラキラしていて、手放せなくて――
わたしは、今でもまだ、あの夏のまま立ち止まってしまっているんだろうか。
ホテルの一階。受付で届いたハガキを見せて、大広間に入ると、すでに着いていた人達がウェルカムドリンクを片手に各々集まっていた。
「アサちゃん!」
「おー、香苗! よく来たね」
アサちゃんとシャンパングラスをこつんと合わせて再会を祝う。
「実は、早めに来たんだよね。電車とか混んでるかなって思って、各駅乗り継いで来たからさ」
「今年のゴールデンウィークってちょっと違うもんね」
「ね! 令和も仲良くしてね」
「新年じゃないんだからさ」
久しぶりの再会もあって、話は尽きない。
アサちゃんと話しながら、会場を見回す。
壇上では、山田くんが乾杯の挨拶をしている。
……森山くんの姿は見えない。
「ねぇ、森山くんってやっぱ来ないのかな?」
「さあ。まだ来てはないみたいだけどね」
「そっか」
会場の中央にビュッフェ形式で料理が用意されている。
なにか、食べようかな。
せっかく来たのだから、みんなと話して楽しく帰ろう。
そう気持ちを切り替えて、お皿に適当に盛り付けていると、山田くんが横から皿を突き出してきた。
「挨拶お疲れ様」
「おう。毎回出席ご苦労さん。……それ、俺のにも乗せて」
「はいはい、何枚乗せますか?」
「じゃあ、五枚」
「よく食べるね」
ローストビーフを一切れずつ乗せてやる。
トングで見映えよく乗せるのはなかなか難しくて、慎重に乗せていく
「……まだ、森山のこと好きなの?」
「え」
最後の一切れが、トングからするりと抜け落ちた。せっかく綺麗に盛り付けていたのに、最後の一枚は間抜けにも皿の端に引っかかっている。
「お前さ、もったいないと思うよ。……けっこう可愛いんだしさ」
山田くんはそう言い残して、逃げるように他のグループに紛れていってしまった。
――可愛い、なんて。
顔が熱い。酔っているのかもしれない。
綺麗な庭園が見渡せるようにと、開かれていたバルコニーへと逃げ込んだ。
バルコニーは静かで、誰もいない。
会場から聞こえる楽しげな会話をBGMに、シャンパンを口にする。
ローストビーフをつまみながら、シャンパンをまた一口。
口の中が爽やかさで満たされる。
いつの間に、こんなに夜風は心地よくなっていたのだろう。
季節の移ろいは、駆け足だ。
つい最近まで桜を見上げて、猫を拾って――そんな慌しい春を過ごしていた。
この心地よい風の先に、暑い暑い夏が待っている。
今年の夏は、どうして過ごしていることだろう。
わたしは小説を書いていられるだろうか。
夜空を仰いだ。生憎、今日は新月で、月は見えない。
その代わり、東京では見えない、微かな輝きの星が瞬いているのがわかる。
夜空を透かすようにシャンパングラスを掲げていると、横からグラスがこつんと当てられた。
「――森山、くん」
会いたかった人物が、目の前にいた。
月明かりのないバルコニーは薄暗く、会場から漏れる明かりだけが二人を浮かび上がらせる。
そのぼんやりとしたシルエットのせいか、高校のときを強く思い起こさせた。
「久しぶり」
「……久しぶり」
目の前にいる森山くんに上手く笑えているか自信がなくて、少し俯く。せっかく冷ましたはずの頬が熱い。
「元気にしてた?」
「わたしは元気だよ。森山くんも、すごく久しぶりだよね。元気だった?」
「相変わらず、かな」
会話が途切れる。
どうしよう、何か話さなきゃ。
思えば思うほど、空回りして、声にならない。
「……いま、何してるの?」
「えっと、わたしも東京に出たんだよ。……本屋さんで働いてる」
「本屋?」
どこか安堵したような表情で、森山くんは訊いてきた。
「そう、本屋さん! 力仕事もあるけど、すごく充実してるよ。この前、森山くんの好きな伊坂先生の新刊出たの、知ってた?」
まだ緊張してて、なんだか口が滑っている感じだ。
伊坂先生が好きなのを覚えてるの、変じゃないかな。
「もう読んだ」
「あ、そうだよね……」
何やってるんだろう。
そうだよね、好きな作家の本だもんね。
へこんでいるわたしと対照的に、森山くんがくすくすと笑う。
その笑った顔は高校生のときと変わらない。
「え……なに!?」
「ごめん、なんでもないんだ。変わらないな、と思って」
「変わらないって。酷いなぁ」
そう言いながら、彼につられて笑ってしまう。
ねぇ、わたしも同じこと思ってた、なんて言ったらなんて思うかな。
「今でも書いてるの?」
何をとは訊けなかった。彼が言う『書いている』ものは一つしかない。
――小説のことだ。
「……書いている、よ」
森山くんは? と訊き返せなかった。
書いていない、と言われるのが怖かったから。
変に間が空くのが怖くて、森山くんの横顔を見る。
「……ねぇ、高校のときに一緒に小説書いてたの、覚えてる?」
わたしの大事な思い出は、彼にとってどうだったろう。
「うん。もちろん。高三の夏休みに入るまでの水曜日、ね」
「そう! 森山くんに誘われてから、書き始めたんだよ……森山くんは、もう書くの辞めちゃったの?」
「やめてない。というか、あの頃の書きかけた小説と今もう一度向き合ってる」
森山くんは一瞬言葉を選ぶように、口を噤んで、「新しい小説を書くために」と言った。
あの頃の書きかけた小説……。心覚えがある。
――この怪盗がさ、妖刀を盗む理由がさ……
高校のとき、目をキラキラさせながら、小説の設定を話していた森山くんの顔が、今でも目に浮かぶ。
森山くんの表情が見たくて横を見ると、同じタイミングで目が合った。
ほんの数秒、視線が絡み合う。
彼の瞳に映る自分は、もう高校生の自分ではない。
そして森山くんも。
「……そっか。森山くんも、前に進もうとしてるんだね」
「俺『も』?」
「うん、森山くん『も』」
――新しい小説を書くために。
そう、わたしもいつまでもこのままではいけないんだ。
「ねぇ、また小説見せ合おうよ」
これから投稿する最終話を、貴方に読んで欲しい。
そして、貴方の投稿する新しい小説を、わたしは最後まで読んでいきたい。
グラスに残った最後の一口を飲み干す。
「きっと、昔よりもわたしたちいい小説書いていけるよね」
わたしたちは、画面の向こうでいつまでも書き続けているのだろう。
あの夏の小さな恋が終わってしまっても。
「あの時の俺たちのままじゃ、新しい物語は生まれない」
「わたしたち、本当にあの時のままかな」
「俺は、あの夏をもう一度やり直したいと思ってる。でも、もう戻ることはできないから、あの夏の思い出は俺を過去に縛り付けるから……それならいっそ忘れてしまいたい」
「本当にそれでいいの? ね、橘月さん」
森山くんの見開かれた目が、答えだった。
「えー、それではここで、ちょっとしたゲームをしたいと思います!」
マイクを通した山田くんの声が、バルコニーまで聞こえる。歓声と拍手が広がった。
話が途切れたのをきっかけに、肌寒くなってきたから室内へ戻ろうと思った。
「待って、望月!」
振り返ると、一瞬だけ、森山くんは視線を逸らした。
そして、今度はしっかりと目を合わす。
「好きだよ。叶まどかの小説」
――やっと、気付いてくれた。
もし、高校生のとき、この言葉が聞けたなら、わたしたちもっと違った未来があっただろうか。
「知ってる」
森山くんに背を向ける。ばーか、って内心あっかんべーしながら。
室内に戻って、預かっててもらったバッグからスマホを取り出し、サイトにアクセスして、最終話の公開ボタンを押した。
逃した魚は大きいぞ、森山くん。
そして、わたしはまた慌しい東京へと舞い戻ってきた。
クローゼットを開けると、久しぶりに隅で眠っていた自分の書いた小説を手に取った。
入れている封筒も、東京に乗り込んで来たときそのままだ。
恐る恐る中身を確認する。今よりも文章はずっと稚拙で、技術もない。
けれど、込められた思いは、今まで書いてきた小説の中で最も強い。
今、同じものを書けるかと聞かれたら、答えられないだろう。
封筒ごとぎゅっと抱きしめた。
勇気がなかったとか、森山くんが居ないからとか、言い訳をしていた自分を変えていきたい。
――小説を、書くことが好きだから。
同窓会の後、冴島さんから連絡が来た。
彼女の言ってた森山くんは、やっぱりわたしの知る森山くんで、二人はお付き合いを始めたらしい。
心から素直におめでとうと言えた。
一歩、一歩、自分が前に進めている感じがする。
目の前には夜な夜なアイスを食べながら見上げていた出版社。
今日はアポイントメントも取ってある。
わたしの後ろに、もう逃げ場はない。
「――よし!」
顔を上げて、いざ乗り込む。
大丈夫。けちょんけちょんに言われても、きっと一人でも立ち直れる。
――好きだよ。叶まどかの小説。
森山くんのくれた言葉をお守りに、わたしはずっと書いていける。
次に投稿するのは、きっと最高のハッピーエンドだ。
――恋愛小説に『恋』をして
もう一つの最終話へ
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恋愛小説に『恋』をして 美澄 そら @sora_msm
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