第13話

第12話

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 浅草駅の改札を出ると、いつもより柔らかい雰囲気の笑顔が俺を待っていた。


「おはよう。眠そうね?」

「いつもならやっと起きる時間ですから」

 あくび混じりに冴島さんの格好を見る。上はピンクのウィンドブレーカー、下は黒のランニングタイツにショートパンツ、真っ赤なシューズという出で立ちだった。肩から小ぶりなボストンバッグを提げている。

「今すぐにでも走り出しそうですね」

「森山くんは、コンビニに買い出しって感じ」

 ライトブルーのジーンズにネイビーのスウェットでバックパックを背負った俺の姿をまじまじと見ながら、冴島さんは笑った。

「適当すぎますか?」

「すぎるって言ったら、どうするの?」

「家に戻ってタキシード着てきます」

「じゃあ、このままでいいかな」


 朝の早い時間とは言え、ゴールデンウィークの浅草はすでに観光客で賑わっていた。隅田川沿いのランニングステーションで着替えを済ませ、川岸で準備運動を始める。対岸に朝の陽光を受けたスカイツリーが見えた。

「そろそろ行こうか」

 冴島さんのその言葉をきっかけに、川の流れに沿うようにゆっくりと南下を始める。



「もう少し考えさせてもらっていいですか?」

 日曜の夜に電話でそう伝えた。

「こないだタクシーの中でも同じセリフを聞いたけど」と冴島さんは笑った。

「こないだの『少し』がそろそろ終わるかなと思ったので、『少し』をもう少し延長しようかと」

「ちょっと何言ってるかわかんないけど、じゃあデートしよっか?」

「……少し考えさせてほしいって言ったんですけど」

「好きかどうかなんて、考えてたってわからないじゃない。一緒にいる時間を経て感じるものでしょ? タイミングとフィーリングよ」

 こうして半ば押し切られるかたちで、今日のデートが決まった。「それなら、冴島さんのことを知りたいからプランニングしてください」という俺の言葉に、彼女は迷うことなく朝の隅田川ランニングを選択した。



 最初こそ目に映る景色にコメントをしたり、世間話をしたりしていたが、終盤は遅れを取らないことで精いっぱいだった。一時間ほどのランニングを終えてスタート地点に戻ってくると、俺はその場に崩れ落ちるように腰を下ろした。冴島さんはそんな俺を見て、「だらしないわねー」と破顔した。


 シャワーを浴びて汗を流してから、浅草の街を散策した。途中、早めにランチを取ろうということになり、「ランニングの後はタンパク質の補給だ」という冴島さんに連れられて開店したばかりの焼肉屋に入った。


「聞くのが怖いんですけど、午後のプランは?」

「映画を観てから、ナイターよ」

 冴島さんはそう言うと、肉を包んだサニーレタスを口の中に放り込んだ。

「ナイター?」

 大きく頷きながら、バッグの中から何かを取り出す。プロ野球のチケットだった。ちなみに、ヤクルト対広島だ。

「野球が好きなんですか?」

「見るのがね」

「どっちのファン?」

「ヤクルト」

 冴島さんは生まれも育ちも東京だった。

「なんか、イメージ違いますね」

「そう?」

「てっきり美術館とかクラシックのコンサートとか行くのかと。ランチはやっぱりこないだのイタリアンみたいなところで」

「それが、ランニングに野球観戦に焼肉定食だものね」と笑う。「期待外れだった?」

「いや、期待外れではないです。予想外だっただけ」


 有楽町の映画館で冴島さんが選んだのは、海外の小説が原作の本格ミステリーだった。手に汗握る緊迫感とこれでもかと繰り出される謎解きに、物語の真相が披露される前にこちらが疲労するくらい濃密で体力のいる作品だった。

「面白かったね」

「ですね。体を動かした後に、今度は頭の体操って感じ」

「そう! さすが、森山くん。気づいた? 今日のコンセプト」

 冴島さんが満足そうに言う。

「ちょっと休憩挟んでいいですか? 行きたいところを思い出したんですけど」

「行きたいところ?」


「プラネタリウム?」

 目的地に着くと、冴島さんが言った。

「嫌ですか?」

「ううん、全然」

 それから、ふふっと笑みを漏らす。「森山くんのほうが女の子みたい」

 俺はちょっとした気恥ずかしさから、意地悪をしたくなる。

「三回目ですね」

「え?」

「今日『森山くん』って言ったの。三回目」

「そうだっけ?」

「こないだは下の名前で呼んだのに」

 タクシーの中での話だった。冴島さんが気まずそうに俯く。

「どっちがいい?」

「どっちでもいいですよ。森山でも、皐月でも、好きなほうで」

「じゃあ、さっちゃん」

「いきなり?」

 俺たちは笑いながら建物の中へと入った。


 結果的にプラネタリウムは正解だったと思う。以前に見たのはいつだったか思い出せないくらい久しぶりに、偽物だけれども美しい夜空を見て、併設されたカフェでコーヒーとケーキを食べていると、とても満たされた気持ちになったからだ。もちろん、そこに至るまでに程よい頭と体の運動と美味しい焼肉定食があったからこそだということは忘れてはならない。

 冴島さんもケーキを食べ終えたところで深いため息を吐き、「はぁー、幸せ」とこぼしたから、たぶん同じ気持ちだったんだと思う。


 でも、その屈託のない笑顔は、同時に俺の心をきつく絞めつけた。本当はこういうことは二人で過ごす一日が終わる時に言うべきなのかもしれないけれど、俺にはこれ以上冴島さんを待たせることはできなかった。宙に浮いたままの気持ちを、きちんとあるべき場所に引き戻してあげなくてはならない。


「あの……」

「森山くん、好きな人がいるでしょ?」

 開きかけた俺の口を、冴島さんの言葉がさえぎった。その顔は決心したように固かった。

「好きな人……ですか?」

「うん、そういうのってわかるものだから」


 俺は手にしていたナプキンをテーブルの上に置くと、背筋を正した。唇を噛み締める冴島さんに向かって、そっと言葉を続ける。


「僕には、好きな人がいます」


 タイミングとフィーリング。

 フィーリングに迷いはなかったが、タイミングが正しいかはわからなかった。




次回、最終話。5/5(日)公開予定。

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