第11話

第10話

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「まもなく、終点の新宿に到着いたします」


 車窓に映るのは、見慣れた東京の街並みだった。

 心づもりはしていたつもりだったが、祖母の葬儀では涙が止まらなかった。両親が共働きだったので、中学を卒業するまでは、学校が終わると自宅ではなく祖母の家に帰っていた。有体に言えば、おばあちゃんっこだった。母親代わりと言ってもいいかもしれない。山梨を出てからは会う機会も減り、ここ数年は寝たきりの状態だったが、記憶の中の祖母はいつも優しく笑っていた。


 祖母は頻繁に「ねぇ、さっちゃん、また時計直してくれる?」と、ラジオ番組の懸賞で当たった時計を持ってきた。おそらく安物だったのだろう。電波時計なんてものもなかった当時、何度時刻をあわせても、その時計は毎日一分ずつ世の中よりも早く時を刻んだ。


 また目頭が熱くなるのを感じ、俺は意識を逸らそうと前日に届いた冴島さんからのLINEを開いた。


『この度はご愁傷さまでした。また、落ち着いたら遊びに来てね』


 先週の土曜は、俺が急きょ山梨に帰ることになり、結局ニャーゴの元飼い主の「Kanae」さんも冴島さんの家には来なかったらしい。でも近いうちには訪れるのだろう。俺が冴島さんの家に行き、三人の「カナエ」のうちの一人に会う日が。


 新宿駅の七番ホームに電車が滑り込む。降りてしばらく行くと、たまたま目の前のエレベーターが扉を開けたので、それに乗り込んだ。後から乗ってきた人に揉まれ、肩から下ろしたボストンバッグが歪んだ。扉が閉まる直前、大きなバッグを持った女性がホームを慌てた様子で右往左往しているのが目に留まった。その後ろ姿に、なぜかしら懐かしい気持ちが込み上げた。


 改札を出るまではまっすぐ帰宅するつもりだったけど、なんとなく思い立ち、ルミネエストにあるカフェに入った。アイスコーヒーを注文し席に着くと、パソコンを開く。あれ以来ばたばたしていて、叶さんの小説を読むことができずにいた。彼女の小説はやはり想像していたように、しかし予想よりもずっと悲しい結末を迎えていた。


 ――彼女は、どうして悲しい恋愛を描くのだろう


 そんな思いが胸によぎりながら、俺は「応援する」のボタンを押した。コメントも書こうと思ったが、何を書いていいかわからず結局やめた。おそらく最終話が近いのだろう。すべてが終わったら、レビューを書きたい。そう思った。


 それから書きかけの妖刀小説を開いた。今なら続きが書ける気がした。俺はこれまで自分の小説はハッピーエンドでありたいと思っていたし、事実書き上げた小説はすべてそうだった。でも、ここ最近、現実と想像の悲しみに触れたことで、悲劇の中で描ける希望もあるのではないか、漠然とそんなことを感じるようになっていた。


 あっという間に一話を書き上げた。と思っていたが、携帯の時計を見ると三時近かった。時刻の下にLINEの新着メッセージがあることを示す表示があった。冴島さんだった。


『東京に帰ってきた?』

 着信は三十分前だった。俺が返信をした途端に「既読」の文字がついた。

『さっき帰ってきました』

『おかえり。もしよかったら、今夜飲みに行かない?』


 ――今夜?


 たぶん引っかかるべきはそっちじゃなかったはずだ。それまで冴島さんと二人で飲んだことなど、一度もなかったのだから。俺が返事をする前に、冴島さんからの次のメッセージが届いた。


『ごめん。そんな気分じゃないよね。落ち着いたら、行こう?』

『いいですよ。今日でも』

『ほんと?』

 それから冴島さんが場所と時間を指定し、俺たちは数時間後に落ち合うことになった。



 冴島さんが指定したのは四谷のイタリアンだった。

「ごめん、待った?……あれ、家に帰ってないの?」

 冴島さんが椅子の脇に置かれた場違いなボストンバッグを見て言った。

「えぇ、ちょっと用事があって、そのへんで時間潰してました」

「そうなんだ」

 冴島さんはそう呟くと、椅子に腰かけた。言った本人が、「用事があった」と「時間を潰していた」というのは矛盾するような気がしていたが、冴島さんは気にしていないようだった。


 コブサラダと真鯛のカルパッチョとチーズの盛り合わせと鴨のコンフィを頼み、それらを食べながら、俺たちはワインのボトルを二本空けた。俺は自分が酒に強いほうだと思っていたが、冴島さんは輪をかけて強かった。酒豪と言って差し支えないレベルだった。

「もう一本いく?」

 二本目が空になったところで冴島さんが言った時、俺はさすがに身の危険を感じた。

「本気ですか?」

「冗談よ」と言った冴島さんは、少し残念そうな顔をした。

「グラスなら」

 結局、俺たちはそれから二杯ずつ飲んだ。


 店を出たのは日付が変わる少し前だった。店に入ってから五時間以上経っていた。お互い電車はまだあったが、自宅はそれほど離れていなかったし、何より最寄り駅まで意識を保っていられる自信がなかったので、タクシーを拾うことにした。


「あっという間だったね」

 タクシーの中で、二人で過ごした五時間のことを指して冴島さんはそう言った。

「何かあったんですか?」

 俺は、冴島さんが二本目のボトルを何の躊躇もなく注文した時から気になっていたことを尋ねた。

「何にもないよ」

「……ならいいんですけど」

「何にもなさすぎて干からびそう」

「はい?」

 俺は笑いながら冴島さんの横顔を見た……つもりだったが、俺が見たのは横顔ではなかった。冴島さんはとろんとした目で、しかし、しっかりと俺の顔を見つめていた。


「皐月くん、私と付き合わない?」




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