第9話

第8話

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「ねぇ、森山くん。今日、お弁当?」

 お昼休みが近くなったところで、冴島さんが声をかけてきた。

「僕、入社して一度もお弁当なんて持ってきたことないですけど。もう少し僕に興味持ってもらっていいですか?」

 冴島さんは、あははとそよ風みたいな笑い声をあげると、「じゃあ、お昼一緒に食べようよ」と言った。


 駅前の喧騒を脇目に見ながら、少し離れたところにある親子丼のお店に入った。注文を終えたところで、ちょうど一週間前の今日も冴島さんと川岸のカフェで昼食を食べたことを思い出した。

「猫は元気ですか? ミャーゴ」

「ニャーゴね。うん、目の傷は相変わらずだけど、それ以外はいたって元気そう。私も猫のいる生活にだいぶ慣れてきたわ」

 あの日以来、冴島さんとの距離が少し縮まったように俺は感じていた。だからどうということはないのだが、嬉しいのは事実だった。


「そう言えば、昨日の夜、ちょっとした奇跡の出会いがあったのよ」

 冴島さんの割りばしが、ぱきんと小気味よい音を立てる。

「奇跡の出会い?」

「そう。あのね……」

 冴島さんは、昨夜の出来事を情感を込めながらも理路整然と語った。確かに、奇跡と言っても差し支えないくらい可能性の低いことのような気がした。

「へぇ。そんな偶然もあるんですね。どんな子ですか?」

「歳は、森山くんよりちょっと下かしら? 可愛らしい感じの子。その子のマンションはペット不可だから、引き続きうちで飼うことにしたの。時々様子を見に来るって」

 そこまで言ってから、「そうだ」と冴島さんはひらめいたように声を上げた。

「森山くんも来ない? 今週の土曜」

「え」

 ついにこの時が来たと俺は内心どきっとした。「行くって、冴島さんちですか?」

「うん。その子も来るって言ってたから、三人でニャーゴと遊びましょう」

 心なしか、冴島さんは「三人で」のところを殊更ことさらに強調したように聞こえた。三人なら……いいか。


「そう言えば、その子は何て言うんですか?」

「うん?」

「そのニャーゴの元飼い主さんの名前」

「えっと……あれ、私、聞いてないかも。あ、でもLINEは交換したわ」

 それから、ほらっと彼女のLINEのページを見せてきた。「Kanae」という名前の下に表示された丸いプロフィール写真は、夜の海に浮かぶ満月だった。

「かなえちゃんっていうのかしらね」

「……」

「うん? どうかした?」

「あ、いや、別に」

 俺と冴島さんは親子丼を食べ、コーヒーを飲み、LINEを交換してからオフィスに戻った。



 その夜、俺は家に帰ると、いつもの投稿サイトを確認していた。今日の日付で、叶さんの小説の続きがアップされていた。「01:36」とあるので、昨夜遅くに投稿したようだった。


 俺はしばらく画面に表示されたその名前をぼうっと眺めていたが、やがて新しいタブを開き、アドレスバーに「叶まどか 望月香苗 Kanae」と打ち込んだ。三人の「かなえ」。それからふと思い立ち、「まどか」で検索をかける。出てきた国語辞書のサイトを開く。


*****************************************

まど‐か【▽円か】

[形動][文][ナリ]《古くは「まとか」とも》

1 まるいさま。「円かな月」

2 穏やかなさま。円満なさま。

*****************************************


「円かな月……」

 思わずそう俺は声に出していた。円かな月、満月……望月。その時、携帯が鳴り、俺はどきりとする。見ると、メッセージが届いていた。冴島さんだった。心臓がさらに高鳴る。


『お疲れさま。住所、教えておくね!』


 それだけの短い文章の後に、住所が記されていた。俺は『ありがとうございます。楽しみにしてます』という当たり障りのない返事を打ち込むと、ベッドの上に仰向けに寝転んだ。

 携帯で叶さんの小説を読もうとしたが、目が滑ってどうしても内容が頭に入ってこない。三回同じ段落を読み返したところで、俺はあきらめて寝ることにした。叶さんが上げた小説をその日のうちに読めなかったのは、初めてだった。



 翌朝、携帯の着信音で目が覚めた。目覚ましだと思って手に取ると、画面には「母携帯」の文字が並んでいた。俺は夢現ゆめうつつのまま、携帯を耳に当てた。


「もしもし?」

 発したはずの声は、痰が絡んでろくに言葉にならなかった。

「おばあちゃんが、亡くなったわ」と母親は憔悴しきった声で言った。


 よく、虫の知らせとか、夢枕に立つとか言うが、そんなものはまるでなかった。





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