第8話

第7話

https://kakuyomu.jp/works/1177354054888884998/episodes/1177354054889132055



「ナゴ」「ナゴ、どこにいるの?」

 先週の木曜日。ナゴは忽然と姿を消した。

 ゴミ捨てに行ったときに、すこし開いたドアから出て行ってしまったらしい。

 それから一週間、わたしは毎晩ナゴの姿を探していた。気付けば、ナゴは東京に来てから、初めての心の拠り所になっていたのだと思う。

「ねぇ、ナゴ……帰ってきて」

 片目のない子猫が、どうやって野良で生きていけるのか。

 ナゴの境遇を思うとぞっとして、眠れなくて、夜な夜なナゴの姿を探してしまう。


「香苗先輩、大丈夫ですか? めっちゃ顔色悪いですよ?」

「大丈夫よ」

「いや、でもさっきからふらついてますし」

 書店員は体力勝負だ。重い本を台車に乗せて、あっちの売り場、こっちの売り場と運ばなければならない。ポップを書いて、レジをしてカバーをして、ご案内。発注作業。

 正直人手はいくらあってもほしいくらいだ。

 それでも心配そうな新山さんに笑いかける。

「大丈夫」

 今日は水曜日だけれど、生憎更新は出来そうにない。

 それでも、橘月さんならわかってくれるだろう。

 彼は今でも、自身の小説を更新せずに沈黙を守っている。


「ナゴ? どこにいるの?」

 家の近くから、少しずつ範囲を広げていく。

 初めて出会った場所。猫の居そうな、公園や狭い路地裏。

 片っ端から覗いてみるものの、ナゴは見当たらない。

 ――なんか、寒いかも。

 花冷えとはよく言うけれど、山梨は雪が降ったらしい。桜に積もった雪の画像がアサちゃんから送られてきた。

「ナゴ……」

 悔しいけれど、今日は帰ろう。このまま体を壊したら、ナゴの捜索どころではなくなってしまう。

 しゃがんでいたのを、無理矢理立とうとして、視界がぐるりと回った。

 ――やばい、こける。

 しかし、やってきたのは痛みではなかった。柔らかくて、温かな感触。

「ちょっと、大丈夫?」

 顔を上げると、支えてくれた人物の顔が見えた。

 ――美人さん、だ。

 ノーメイクで、寝不足で、肌は乾燥してガサガサで……今の自分とは別の生き物がそこにいる。

「すみません」

「ねえ、顔色すごい悪いけど」

「大丈夫、です」

「……大丈夫じゃないわよ。うち、ここのマンションだから、ちょっと休んでいきなよ」

 遠慮しようにも、彼女に支えていてもらわないと今にも体は倒れてしまいそうで、渋々マンションにお邪魔することになった。

 2DKのマンションは、彼女らしくこざっぱりと整えられていた。

 ベッドに横にさせてもらうと、自然と目蓋が落ちてくる。

 いい匂い。香水のように華やかで飾り立てるような匂いではなく、リラックス効果のあるハーブや花のブレンドされた匂いだ。

「いいよ、ゆっくり寝て。起きたらなんか食べられそう?」

 一度頷くと、頭を撫でられた。子供の頃に母親がそうしてくれたのを思い出して、涙が滲んできた。


 ――くすぐったいよ、ナゴ。顔、舐めないでったら。


 猫独特の、ざらりとした舌の感触に、意識が覚醒した。

「なー」

「……ナゴ。ナゴ!?」

 勢いよく起き上がったせいか、頭からさっと血が引いて、またベッドに逆戻りした。

「大丈夫?」

 そうだ、この美人さんに助けてもらったんだった。

「おかげさまで」


 用意してもらったミルク粥を、息で冷ましながら口に運ぶ。

 ナゴは隣でおいしそうにキャットフードを食んでいた。

「へー、最初は貴女が拾った子だったのね」

「そうなんですよ、ナゴ……じゃなくてニャーゴ、怪我してたから可哀想で。うちペット不可だったんですけど、大家さんに無理言って置かせてもらっていたんです」

「ふふ。そうだったのね」

「でも、よかった。ちゃんと飼っていただけるなら」

「……またおいでよ、この子に会いに」

「いいんですか?」

「勿論。私たち、年も近そうだしね。きっと仲良くなれるわ」

 連絡先を交換して、わたしは彼女の家をお暇した。


 ――よかったね、ナゴ。



 少しずつ丸くなってきた月に照らされながら、夜道を一人歩く。胃の中のミルク粥のおかげか、先ほどの寒さが嘘のようだ。

 小説、投稿しようかな。

 日付が変わってしまったけれど、橘月さんは待っていてくれるだろうか。





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