第7話

第6話

https://kakuyomu.jp/works/1177354054888890745/episodes/1177354054889097240



 水曜、二十一時過ぎの下り電車は思いのほか空いていた。たまたま空いた目の前の席に座り、スマホで自分の書いた小説を開いた。


 大正時代を舞台にした探偵小説――。

 十代の自分が書き始め、とん挫し、ほったらかしていた小説。いまなら完成させられるのではないか。そう思い立ち、投稿と並行して続きを書き始めたが、思うように筆は進まず、あっという間にネット上のストーリーは手元の原稿に追いついてしまった。


 ――妖刀って何だよ……やっぱ、消しちゃおうかな


 何度となく考えてはいるが、いつも「削除」のボタンをクリックする寸前で思いとどまる。いまも同じだった。


 ふと、今日が水曜であることを思い出し、「フォローしている小説」を確認する。約束どおり、第四話が公開されていた。

 読み始めてすぐに、猫が初登場した。おそらく、叶さんが世話をしているというナ……ナギ? ナガ? あれ、何だっけ……とにかく、あの猫の影響だろう。最近飼い始めたのだろうか。もしかすると、意外と単純な性格なのかもしれない。


 もう一つ気づいたことがある。叶さんの小説には、よくアイスを食べるシーンが出てくる。今日も仕事帰りに買っていた。俺は自然と望月香苗を思い出した。餅好きではなく、アイス好きの望月香苗。


 高校三年になる時のクラス替えで、俺は香苗と同じクラスになった。ある時、なにかのきっかけがあって、俺は彼女にその時書いていた小説――十年経ったいま頭を悩ませている妖刀の話だ――を見せた。彼女はそれをひどく気に入ったようだった。


 それから夏休みに入るまでの間、俺たちは水曜日の放課後の教室でお互いに小説を書き、お互いの小説を読み、お互いを批評しあった。水曜日であることに特に意味があったわけではなかった。たまたま都合があったとか、そんな理由だったはずだ。

 夏休みに入り、それが一時中断した。だが、夏休みが明けても、俺たちが水曜の放課後の教室に集うことはなかった。たまたま都合があわない水曜が続いたとか、照れくさくなったとか、ほかにもっと夢中になれることを見つけたとか、そういう高校生にありがちな理由で、俺たちの特別な時間は終わったんだと思う。


 ――叶まどか。君は、望月香苗なのか?


 迷うことなく「応援する」を押したところで、電車がちょうど駅に着いた。電車を降り改札に向かう途中で、通知があることに気がついた。妖刀小説の一話目に応援コメントが付いている。叶さんだった。胸が締めつけられるような感覚があった。


『橘月さん! こんなに素晴らしい小説を書いていらっしゃったんですね!

 わたし、感動しました。同じ小説を書く者として、続きが読みたいです』


 ――感動って……妖刀に? ほんとかよ


 そんな意地の悪い思いがよぎる。駅を出ると、薄い月が見下ろしていた。



 翌日の昼前、俺は冴島さんと一緒に飯田橋にいた。

「ねぇ、お昼食べるよね?」

「え? えぇ、食べますけど」

 言外にある「一緒に」という意味と冴島さんの気遣いを感じながら、俺は気づかないふりをして答えた。

「川岸にカフェがあるの知ってる?」

「あぁ、テレビで見たことあるかも」

「そこ行ってみたかったんだよね」


 隣の課でありながら、冴島さんとの業務上の接点はほとんどなかった。二人で外出するのも、俺がいまの部署に来て丸二年で初めてのことだった。

「あ、ここだ。いい感じね!」

 冴島さんが子どものようにはしゃいだ。その姿に思わず恋をしてしまいそうで、俺は視線をそらした……ところで別の視線とかち合った。

「あれ?」

「うん? どうしたの?」

「いや、あそこに、猫が……」

 少し先の生け垣の下に黒猫がいた。

「あ、ほんとだ。首輪してるね。ほら、おいでおいでー」

 冴島さんが屈みこみ、手を出しながら呼び掛けると、驚いたことに猫は人懐っこくすり寄ってきた。

「ニャー……ニャーゴー」

「ニャーゴ……ニャーゴっていうのね!」

「なんですか、そのトトロ的展開」

 冴島さんが、黒い塊を抱き上げる。

「あれ、この子、目を怪我してるね」

「ほんとだ」

 近くでよく見ると、確かに右目にひどい傷があった。

「虐待されてたのかな……」


 俺たちが昼食を食べている間も、ニャーゴは逃げることもなく、おとなしく足元で丸くなっていた。

「このカフェがペットOKでよかったですね」

「森山くん、この子飼うの?」

「え? いや、ペットって言ったのはそういう意味じゃなくて……うちはペット不可ですし」

「じゃあ、私が飼おうかな。ペット大丈夫だから」

「冴島さんちで飼うんですか?」

「うん。目の傷がまだ癒えてないみたいだし、放っておくのは心配じゃない?」

「でも、ご家族は大丈夫なんですか? お子さんとか」

 そのセリフに冴島さんは一瞬きょとんとしたあとに、吹き出すように笑った。

「ちょっと、森山くん、もう少し私に興味持ってよ」

「え?」

「私、独身の一人暮らしよ」

「え、そうなんですか? てっきり結婚してるんだと……」

「二年も隣の課にいるのに。ひどいなー」

 

 お昼を終えると、冴島さんはニャーゴのためにキャリーケースやらキャットフードやらを買いにペットショップに行くと言った。

「仕事、大丈夫なんですか?」

「午後は会議とかないから、休みにするわ」

「自由ですね」

「このままじゃ電車にもタクシーにも乗れないし」

「俺は会議あるんで、申し訳ないですけどここで」

「うん、大丈夫」


 駅に向かおうとした俺を、冴島さんが呼び止めた。

「でも、この子の面倒は一緒に見てよね。私、猫飼ったことないから」

「俺もないですけどね」


 ――うん? 一緒に面倒を見るって、どうすればいいんだ?


 冴島さんの家に遊びにいく口実ができたことには気づかないふりをして、満開の桜の木の下でニャーゴを抱く冴島さんに手を振った。





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