第6話
第5話
https://kakuyomu.jp/works/1177354054888884998/episodes/1177354054889055401
「それじゃあ、お疲れ様です」
エプロンを脱いで、自分のロッカーに仕舞うと、わたしはいそいそと帰り支度を始めた。
「香苗先輩、ご飯でも行きません?」
新山さんは五ヶ月前に入ってきた大学生だった。
研修期間によく話しかけていたからか、元々の懐っこい性格のせいか、よく声をかけてくれる。
彼女は喫茶店に行くのが趣味らしい。この辺りの美味しい喫茶店も教えてくれた。
「ごめんね、今日は水曜日だから」
「あー……っていうか本当は小説じゃなくてデートなんじゃないですか?」
「まさか」
笑い返して、後輩に手を振る。
「……やっぱ途中まで一緒に帰りましょうよ!」
「帰るだけならいいよ」
「じゃあ、ちょっと待っててくださいね」
慌てているのか、ガタガタと音を立てて彼女は着替えている。
――そんなに慌てなくていいのに。
思わず笑みがこぼれて、口許を押さえた。
そんな豪快なところも、彼女らしくて可愛いと思う。
「もう、店長ほんと酷くないですか? そんな怒らなくても!って感じしません?」
「まあね、怒り方に波があるよね」
「ですよね!」
興奮気味の新山さんの愚痴を聞きながら、夜道を歩く。
ふと見上げると、桜の花弁が舞ってきた。
「そこの大学のキャンパスからですね」
風に煽られた枝には、もうがくだけの部分もある。
「……あ、アイス切れてた。コンビニ寄っていい?」
「こんな寒いのにアイスっすか?」
「小説には付き物なんだよ」
「はぁ」
近くのコンビニで、アイスを三つほど買う。久しぶりに雪見だいふくをカゴに入れた。なんか気分がいいから、ビールも一つ追加。
呆れている新山さんにアイスを一つ分けようかと思ったら、すっぱり固辞された。
「じゃあ、あたしあっちなんで。お疲れ様でした」
「はいはーい。お疲れ様」
手洗いうがい、お湯を溜めている間にメイクを落として、疲れた体をお風呂でゆっくり
スマホを防滴の袋に突っ込んであるので、小説サイトを開いて何度目かの推敲。
最近、推敲にも気合が入ってしまう。橘月さんが読んでくれるだろうと思うと、余計に。
お風呂から上がって、髪を乾かすと、パソコンを開く。
その間に化粧水を顔に叩き込んで……最後にもう一度目を通してから、『公開』ボタンを押した。
時間の指定も出来るのに、毎回自分の手で公開することにしている。そこに特別なポリシーはなく、なんとなくだった。
「ふぅ……」
そして、公開のあと、近況ノートを開いて、小説の投稿をしたことを書き込むと、橘月さんのページを開く。
まだ連載中の小説の続きは上げていないらしい。
それでも、彼の過去作は長編、短編合わせて十作は超えている。
擦り寄ってきたナゴに新しいお水を与えに行って、わたしは珍しく冷蔵庫から、アイスではなくビールを手に取った。
ぷしゅりと缶を開ける。一口含むと、苦味が広がって、ムギの香りが鼻から抜けた。
ビールを好む人は喉越しが好きだというけれど、勢いよく飲めないわたしにとっては喉越しなんてどうでもよい。
ただ、そう、酔いたいのだ。
彼の作品を読んで、また一口ビールを飲む。
いい話だと思う。家族愛と夢をテーマに書いてあるその小説にどっぷり浸ったあと、次の作品を読み始めた。
――あれ、この設定。
既視感があった。どこでだろう。
思い出せないまま、続きを読む。
そして、ビールを一口。
「また会いましたね、探偵さん」
大正時代を舞台に月明かりの下で笑う華麗な怪盗と、江戸っ子染みた探偵。
「まちやがれ、その刀を置いていけ!」
「妖刀なんて人の世に必要ないでしょう。これは私が頂いて参ります」
丁寧な描写。怪盗が目の前で不敵に笑うのが見えて、思わず息が漏れた。
ビールを飲み干して、すっかり弱気な自分が鳴りを潜めると、わたしは彼の小説の応援ボタンを押して感想を書き殴った。
『橘月さん! こんなに素晴らしい小説を書いていらっしゃったんですね!
わたし、感動しました。同じ小説を書く者として、続きが読みたいです』
――この……がさ、妖刀を……理由がさ……
久しぶりに飲んだせいか、酔いの回りが速いらしい。
ぼんやりする視界で、ベルのマークに赤い点が付いていることに気付いた。
押すと、彼が早速わたしの上げた最新の話を読んでくれたらしい。
こっちのお返事じゃなかったか。
「ねえ、あなたは森山くん……?」
そんな訳、ないか。酔ってるなぁ、わたし。
同窓会の話を聞いて、あの淡くて優しい記憶が蘇って、橘月さんと森山くん重ねているのだろう。
ナゴを抱き上げると、目尻から流れた涙を拭って、パソコンの電源を落とした。
――まだ、彼が小説を書いていてくれたらいいな。
ベランダに出ると、夜空を覆うような厚い雲間に薄い月が見えた。
第7話へ。
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