第10話

第9話

https://kakuyomu.jp/works/1177354054888884998/episodes/1177354054889227212



 キーボードを叩く音。

 最後に『続』の文字を打ち込むと、わたしは天井を仰いで、ふぅ……と一息ついた。

 今書いている連載は次回で最終回を迎えられそうだ。

 振り向くと、クローゼットがある。中にあるのは、わたしの書いた原稿用紙二百枚の恋愛小説。

 最後に書いたハッピーエンドでもある。


 ――もう、限界かなぁ。


 先ほど、母親から連絡があった。

 山梨に帰ってこいという催促だった。

 いつものことだと、聞き流そうと思っていたけれど、お見合いをセッティングしていると聞いて、流すわけにいかなくなった。

 今時お見合いなんて、と適当に難癖をつけて逃れようとしたけれど、最後の一言に心が揺らいでしまった。

「小説家になることを諦めなくてもいいから、結婚だけはして頂戴。幸せは逃したら、もう手に入らないのよ」

 涙ながらに訴える母親に、何も言えなくなってしまった。

 ……小説家になる夢を、初めて肯定的に言われたせいだ。

 結局押し切られて、明日一度山梨に帰ることになった。

 職場に連絡しなきゃ。 新山さん、代わりに出て貰えるだろうか。

 ぐちゃぐちゃしていく思考の中でふと、橘月さんは元気かなと思った。

 わたしの投稿した時間が遅かったせいか、一週間経っているのに、前回の投稿分に応援ボタンが押されていなかった。

 彼のページも何も更新されていない。

 たった一週間だ。忙しくててんてこ舞いなのかもしれない。

 それでも、気になって、何度もページを更新してしまう。

 橘月さんが森山くんだと、彼の小説を読んでいく中で確信をした。

 どの小説も、学生時代に見せてもらった大学ノートに書かれていたものだ。

 小説を読むたびに、あの夏の日の記憶が鮮明になってくる。


 ――淡い恋心と一緒に。


 画面を食い入るように見つめていると、ナゴことニャーゴを拾ってくれた、さえさんからLINEが来た。

『ごめんなさい。土曜日の予定、急にキャンセルになってしまって』

『大丈夫ですよ。よければ、また誘ってください』

『ええ。また連絡しますね』

 丁寧な方だなぁと感心して、スマホに充電器を差し込んでからテーブルの片隅に置いた。

 冷凍庫にアイスのストックがない。買いに行かなきゃ。

 春用のコートを羽織って、わたしは外に飛び出した。



 出版社の前。今日は雪見だいふくを食べながら、ビルを見上げていた。

 まだ、凍えそうなほど寒かった春先にも、こうしてアイスを頬張っていたことを思い出す。

 そして、もっと遠くの記憶――高校生の夏休み。

 彼は覚えてないだろう。初めて小説を見せ合った日、帰りに二人でアイスを買って食べたこと。

 それから、なんとなく、小説とアイスがわたしの中でセットになっていたこと。

「ほんとにアイス好きなんだね」

 森山くんはそう言って笑っていた。

「……そう、好きなの」

 ――でも、アイスじゃないよ。森山くんが好きなんだよ。

 小説を書くことは、彼に繋がる行為だった。

 彼の小説が読みたくて、わたしの小説を読んで貰いたくて……小説家になれば、もしかしたらまたあの夏の続きが迎えられるのではないか。そう思った。

 けれど、実際は書き溜めた小説を出版社に持ち込めなかった。

 ……あと少し、勇気がなかったせいで。

 ハッピーエンドが書けなくなってしまったのは、彼に読んで貰えないと思ってしまったからだった。

 


 翌日、新宿駅。

 わたしは下りのホームで、十二時発のあずさ十五号が来るのを待っていた。

 ひとつ向こうのホームに、上りのあずさ十号が止まっている。甲府から来た人達が、降りてくる。

 風が吹き抜けて、思わず目を瞑った。駅はよく風が吹く場所だけれど、今日は特別風が強い。

 目を開けて、髪を解かしながら、向かいにあるあずさ十号の車両から降りてきた人物に、目をみはった。

 変わってない。あの頃と同じ、人好きのする優しげな面立ち。柔らかそうな風に揺れる黒髪。

「森山くん」

 ――人違い、なんかじゃない。

 ホームにわたしが乗るはずのあずさ十五号が入ってきた。

 でも、わたしは振り返って近くの階段を駆け上がった。久しぶりの全力で、階段の途中で息が上がる。わたしの居た九番ホームの向かい側。七番ホーム。

「森山くん……森山くんっ」

 応えてくれる人はない。代わりに冷たい視線が投げ掛けられる。

 それでも、彼に会いたい一心で、新宿駅を駆け回る。



「もしもし、お母さん。ごめんね。――わたし、まだ山梨には帰らない」



 結局、一時間探したけれど、森山くんの姿はなかった。

 それでも、なんだか気持ちは晴れやかだ。



 ――お願い。この恋を、もうすこしだけ。


 


 第11話へ。

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