恋文 「KAC4」
薮坂
紙とペンとラブレター
人類が発明した最も素晴らしいものとは、なにか。
それは紙とペンの組み合わせだ、と何処かで聞いたのを私は思い出す。
紙とペンは素晴らしい。頭に浮かんだアイデアを書き留めたり、絵を描いたり、お話を書いたり、なんだってできる。
そしてさらには。自分の思いを書き残すこともできる。もちろん場所も時間も飛び越えて、その思いを誰かに伝えることだって。
紙とペンの組み合わせ。これはやはり最強ではないのだろうか。それに私は口下手だ。だからこそこうして『手紙』に思いを託したのだ。
これはそんな、臆病でバカでどうしようもない、私の恋の話である。
──────
気がつけば、私は今日も彼を見ていた。笑顔がびっくりするくらいに魅力的な彼。普段は眉間にシワが寄っていることが多いけれど、彼は笑うと本当に魅力的なのである。その彼の笑顔の素敵さを、一体何人が知っているだろうか。きっと少ないはずだ。
彼と初めて出会ったのは高校の入学式でのこと。
クラス別けが書かれてあるボードを、私が見ようとしていた時。絶望的に背が低い私は、前にいる人たちのせいで、どのクラスに自分の名前が書かれているのかよく見えなかった。だから後ろでぴょんぴょんと跳ねていると、彼に話しかけられたのだ。それが彼との出会い。
「ボードが見えないなら僕が見てやるぞ。名前は?」
「あ、いやその、」
「イヤソノ? どんな字を書くんだ、その苗字」
冗談で言ってなさそうなその表情。本当に不思議な人だった。彼はそのまま、ボードを睨むように見ると。
「イヤソノなんて名前はないぞ」
と、言ったのだった。当たり前である。私の名前はイヤソノではないのだから。
「あの、違う……私、名前、松木」
男の子に話しかけられるなんて久しぶりすぎて、思い切りカタコトの日本語になってしまった。彼はそれを気にするでもなく、「松木、松木……」と探してくれている様子。そして数分もしないうちに言った。
「松木ルコ?」
「あ、うん。そうです」
「それじゃあ僕と同じB組だな。よろしく。僕は武田だ。武田ワタル」
「私、松木ルコ。その……よろしくね」
「こっちこそ、これからよろしくな、松木」
ワタルくんはそう言って、ニカリと笑った。まだ春だけど、なぜか夏を思わせるその笑顔。とても印象に残る笑顔だった。
それからと言うもの。気がつけば私は、ワタルくんの姿を目で追うようになっていた。クラスが一緒になれた、というのがやはり大きい。同じ教室に彼がいる。そして見ようと思えばすぐに見れる環境。
もちろん、見るだけじゃない。話しかけることも出来るし、逆に話しかけられることもある。
そう、それはゴールデンウィークが明けた5月中旬の事だ。
昼休み。お昼を食べ終えた私は、教室の自席で本を読んでいた。タイトルは「生き残れ! もしもの時のサバイバル術」というムック本。
別にサバイバル術を本気で学ぼうなんて思ってない。ただ古本屋の100円コーナーに並んでいたそれを、私は暇すぎてつい購入してしまっただけなのである。
せっかく買ったからと言うことで読んでみると、これが意外と読み物として面白い。だから私は、暇があればこうしてサバイバル術について理解を深めていたのだ。
私は口下手なので、友達もすぐに出来るタイプではない。だからその時の私の友達は、そのムック本をはじめとする「本」ばかりだった。
本は良い。文句を言わないし、知識を与えてくれるし、持ち運ぶことだって容易。私は多くの本に影響されて、言葉遣いが少しおかしいと周りから言われていたけど、そんなの気にするものか。それが私の個性である。
ちょうどサバイバル術その6「サバイバルロープワーク」について読んでいた時の事。件のワタルくんが、私に話しかけて来た。
「松木、それアレだろ。『生き残れ! もしもの時のサバイバル術』。まさかサバイバル術に興味があるのか」
「あ、た……武田くん。えと、あのね。ちょっと興味があるっていうか、」
「素晴らしい!」
がっし。いきなりワタルくんは私の手を握って来た。がっしりした男の子の手。こんなこと初めてなので、私は大きく狼狽える。でもワタルくんは、全く気にしない様子で続けた。
「初めて出会えたぞ、同好の士よ。僕は冒険するのが好きなんだ。そのためにサバイバル術を学んでいる。もちろん将来の夢は冒険家だ。松木もそうなんだろう?」
爽やかな笑顔で語るワタルくん。なぜかサムズアップのハンドサイン付き。しかしそれはあらぬ誤解である。私は冒険なんてしたことないし、冒険家になるつもりもない。でもワタルくんの笑顔は眩しすぎて、うっかり私も「そうなんだ、私も冒険家になりたいんだよ」なんて言ってしまいそうになるほどだった。いやなんとかそれは堪えたけど。
ワタルくんは、頼んでないのに言葉を続けた。あと、そろそろ手を離してほしい。さっきからドキドキしっぱなしだし。
「僕は、夏休みが来たら冒険しようと思ってるんだ。高校生になったことだし、だから自由度も高くなった。それに高1の夏休みは人生で一度きりだ。だからもし良かったら松木、一緒にどうだ? 忘れられない夏にしようぜ」
忘れられない夏か。ワタルくんとそんな夏を過ごせたらどんなに楽しいだろう。なんか、言葉以上のものを感じてしまいそうになる。
だけどどこまでも口下手で引っ込み思案の私。せっかくの誘いなのに。
「……うん。機会があれば、ね」
なんて、遠回しに断わって。せっかくのチャンスをふいにしてしまった。と、思っていたのだけど。
「そうか! 僕が必ず機会を設定する。だから楽しみに待っておけよ、松木!」
と、例の夏真っ盛りみたいな笑顔で、ワタルくんは笑うのだった。
多分、この時からだったと思う。「気になる男の子」から「好きな男の子」に、ワタルくんがランクアップされたのは。だけど、私は「好きだ」という気持ちを抱えたまま、何をすることもできなかった。それは先にも言ったとおり、私が引っ込み思案で口下手だから。
ワタルくんにもっと近づきたい。いろんな話をしたい。あわよくば「武田くん」ではなく、彼のことを「ワタルくん」と呼べるようになりたい。
そんな想いだけが先行してしまい、結局なにも行動に移せない。だから私は、引き続き私は彼を見ることしかできなかったのだ。
でも、ただ見ることだけしかできなかった私に、転機が訪れた。それは、梅雨が明けた夏本番。暑い暑い7月のこと。
ワタルくんの隣に、ある女の子の存在を感じた。
いや、正確にいうと存在は前々から感じていた。その子とワタルくんの距離がぐっと近くなった事を感じたのが、夏の始まりの事だったという訳だ。
最近ワタルくんの傍にいるこの女の子は、名前をユリちゃんと言う。クラスの女子内で「孤高の人」と呼ばれている女の子。
彼女は群れることを嫌い、いつも1人でいた。それは彼女の住む場所が、離島であることに原因がありそうなのだけど、詳しいことはわからない。ユリちゃんとはあまり話したことがないからだ。
とにかく。ワタルくんは彼女のことを「ユリ」と呼び、彼女はワタルくんのことを「ワタル」と呼んでいた。なんて羨ましい。私は自分から話すこともできないのに。
いや、これは全て自分が招いたことだ。私がうじうじと悩んでいるだけで何もしなかったから、こういう結果になってしまっただけのこと。
胸がチクリと痛んでどうしようもなかった私は、助けを求めるように例の本「生き残れ! もしもの時のサバイバル術」に目を通した。
サバイバル術その1「冒険の心構え」を読んでみる。
冒険とは「自ら行動すること」である。別にそれはなんだっていい。おおよそ冒険から離れた日常の行為でも、なんでもいいのだ。
しかし「受け身」だけは許されない。それは冒険と最も離れた忌むべき行為である。冒険家たるもの、常に自ら行動して見せよ。その果てに、君が望む「本物の冒険」があるのだ──。
うっかり感銘を憶えて、何度も読み込んだ冒険の心構え。今こそそれを、実践する時ではないだろうか。
でも、いきなり行動に移せるなら苦労しない。口下手を治せるのなら苦労などしていない。だから。
私は、彼に一筆したためることにした。
そう、恋文を。彼に書こうと思ったのだ。
私は紙とペンを取り、彼への恋文を書き始めた。
こういう時は、詩が一番。自分の気持ちが、一番伝わると思うから。
届け、この思い。
私の好きな人へと。
◇◇◇
「なぁユリ、ちょっと相談があるんだが」
「相談? あんたが? 珍しいこともあるもんね」
「いや、この手のことは初めてだからな。どう対処していいかわからないんだ、正直なところ」
「へぇ、さらに珍しい。まぁ、ヒマだし聞いてあげるよ。何を悩んでるの」
「これなんだけどな。今朝、下駄箱に入っていた」
僕は件の、淡い桜色の便箋をユリに見せた。一見すればそれは、恋文のように見えなくもない。しかし気になるのはその内容である。
「ラブレター?」
「まぁ見ての通りなんだが、内容がちょっとな」
手紙の内容。ユリはそれをマジマジと読む。
武田ワタル殿。
貴様のその笑い顔。夏を思わせるような、暑苦しいその顔。私はそれに参っている。参っているのだ。
だからその顔を奪ってやる。私のものだけにする。それが私の野望である。
いつの日か、貴様の心臓を奪う。否、必ずやその心臓を貰い受けるとここに誓おう。それが私にとっての「冒険」だからだ。首を洗って待っておけ。以上。
「……これはまた、とんでもないのが現れたというか、なんというか」
「脅迫文かな」
「いや、これはアレでしょ」
ユリは少しだけ困ったような顔を見せて言った。
「あんたのことを好きで、そして語彙力がちょっと特殊な女の子が現れたってことよ」
この手紙を出した人物との邂逅は、それからもう少し経ってからのこと。
でもそれは、また別のお話ってヤツだ。
恋文 「KAC4」 薮坂 @yabusaka
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