二十年越しのダイス

横山記央(きおう)

第1話 二十年越しのダイス

 もともと古い家だったからだろう。


 二十年ぶりに見る実家は、記憶の中と大きな違いはなかった。


 毎年顔を見ているからか、両親は変わらず元気そうだった。それよりも、五年ぶりに見た兄は、前に比べ皺が目立った。


「元気だったか」


「うん」


「今、うちのは子供たちを連れて買い物に出ている。連絡もらった通り、洋服類はうちのに言って処分してもらっておいたからな。他はそのままだ。何かあったら呼んでくれ」


「わかった」


 長く薄暗い廊下を進み、突き当たりを曲がると階段がある。そこを登ったところが、僕の部屋だった。


 僕の実家は、昔は豪農と呼ばれていたのだろう。江戸時代から続く家で、広い田んぼを持っていたらしい。その田んぼは、国道のバイパスが通り、市のスポーツ公園と文化会館ができたことで、なくなっていた。


 家の周りに畑があるが、周りの家と比べても、畑は特別広い訳ではない。古くて広い家だけが、その名残をとどめていた。


 二十年ほったらかしだった部屋は、きれいに整頓されていた。壁のポスターが色あせたくらいで、それ以外は、何一つ変わっていない。小学校のときから使っていた勉強机と椅子もそのまま残っていた。


 この部屋に足を踏み入れたのは、高校を卒業し、東京の三流大学へ進学して以来だ。


 窓から見える柿の木は、大きくなっていた。


 懐かしい風景だった。


 同時に他人の家に来たような気がした。僕の人生の半分は、この部屋にあったはずなのに、それがもう残っていないようなに感じた。


 僕が大学に進学してから、両親は、東京見物と称して毎年上京してきた。兄と会う頻度はそれより少なかったが、家族連れでテーマパークに遊びに来る度に会っていた。


 在学中は、アルバイトで忙しいから。卒業してからは、仕事が忙しいから。を理由に、僕はずっと実家に帰らなかった。


 僕は大学在学中からマンガを描いていた。剣と魔法の世界を舞台にしたマンガだ。


 現実から目をそらすように、一心不乱に描いていた。公募に何度も落選したが、描き続けた。その結果、在学中に一度、読み切りが週刊誌に載った。週刊誌での連載は一年も続かなかったが、それから数年後に描いた月刊誌の作品は好評で、長期連載となっている。


 マンガ家は忙しいからと、実家に帰らない僕のことを、家族は何も言わずにいてくれた。


 それがほっとした。同時に、不安でもあった。僕を信用してくれているのか、それとも、何か知られているのか。その考えが、余計に僕を実家から遠ざけていた。


 その結果、僕とこの部屋だけが、二十年という隔たりを抱えることとなった。


 日本各地で発生する地震を考えると、耐震性の怪しいこの家では危ないだろうと、兄が実家の立て替えを決意した。増築や改築はしているらしいが、築百年近い家だ。僕としても自身を考えると心配だった。

 

 その実家は、来月の取り壊しが決定している。その前に、部屋にある物で、必要な物があるなら、引き取りに来てくれと連絡があった。先月末のことだ。


 一度は全て処分してもらおうかとも考えたが、こうして戻ってきた。


 机の引き出しを開け、押し入れの中を見る。まとめられていたが、当時使っていた物がそのままそこにあった。


 一つずつ手に取り、用意されていた段ボールに入れていく。


 その度に少しずつ、二十年前、ここで生活していた僕を思い出す。


 あの頃好きだった音楽や、仲の良かった友人たち。そして思いを寄せていた人のことを。


 彼女を呼び出した、上京する前の日の夜のことも。


 それは確かに僕のはずなのに、どこか他人の人生のように感じていた。それは僕が大人になったからではないだろう。ここを出るときに、僕が時間の連続を断ち切ったからだ。


 結局、引き出しの中にも、押し入れの中にも、今の僕に必要な物はなかった。


 最後に洋服ダンスを開けた。事前に連絡してあった通り、服は全て処分されていた。


 残っていたのはただ一つ。


 高校のとき使っていた鞄だけだ。その鞄が不自然にふくらんでいる。


 中に入っていたのは、ゴルフボールのような百面ダイスだ。ダイスは、二十年間ずっと待っていたかのように、僕を見上げてきた。


 高校の三年間、僕は仲間たちとテーブルトークRPGに夢中になっていた。


 テーブルトークを始めたのは、小学校五年生のときだ。四つ上の兄に誘われた。予定していたメンバーが来られなくなり、そのままのシナリオだとプレイヤーが足りないというのが、理由だった。シナリオに手を加えるより、プレイヤーを増やした方が楽だったからだろう。


 僕のプレイは悪くなかったようだ。それ以来、兄が高校を卒業するまでの四年間、僕は兄たちのセッションのメンバーに加わることになった。家が広かったので、兄たちが毎回僕の家に集まっていたということもある。


 兄が進学のため家を出ると、テーブルトークをすることはなくなった。高校受験の年だったし、周りのみんなが、テレビゲームにしか興味がなかったからだ。


 再びテーブルトークをするようになったのは、高校に入ってから。偶然放課後の教室でやっている所をみかけ、話しかけたのがきっかけだ。


 僕を入れて男子四人と女子二人。その仲間たちは、みんな親友と呼べる存在だった。


 そのうち、僕はその中の一人の女子に興味を持ち、恋心を抱くようになった。やがてテーブルトークをするよりも、彼女に会うことが目的になっていった。


 彼女がマスター役の友人と付き合っていることを知ったのは、だいぶ後になってからだ。


 その頃には、彼女に対する気持ちは、僕の中で消したりごまかしたりできないくらいに大きく育っていた。他の人を好きになることもできないまま、僕はその気持ちを押さえつけ隠し続けた。


 もし僕が、最後まで気持ちを隠し通せていたら、今とは違っていただろう。


 高校卒業後、友人は地元の専門学校へ、彼女は短大へ進むことになっていた。彼女の短大は、僕と同じ東京だった。


 僕は、遠距離恋愛につけ込もうとした。


 電車に乗り、彼女が使っている駅まで行った。そこから公衆電話を使い、彼女の家の近くの公園に呼び出し、告白した。東京に行ったら僕と付き合って欲しいと。


 困った顔をする彼女をむりやり抱きしめた。ずっと好きだったんだと何度も口にした。


 一時の激情が去り、冷静になったとき、腕の中で泣いている彼女に気がついた。


 僕は怖くなり、走って逃げた。


 卑怯で卑劣な自分を恥じた。彼女の心変わりを期待していた自分が嫌になった。三時間かけ、家まで歩いて帰った。後悔しかなかった。


 同じ東京と言っても、僕の大学と彼女の短大とは、距離があったことだけが救いだった。


 上京して一年目の終わりのことだ。大学を卒業し、実家に戻って地元の企業に就職した兄が、付き合っている人を伴ってアパートを尋ねてきた。将来結婚するつもりだという。


 名前を聞き、話しをして愕然とした。兄が連れてきたのは、彼女の姉だった。それからしばらくして、兄はその人と結婚した。


 僕が犯した罪に対する罰だと思った。


 実家近くのホテルで行われた兄の結婚式は、病気を理由に欠席した。


 鞄から出てきた、百面ダイスを手に取った。当時の出来事がいくつも思い浮かんできた。この部屋で生活し、友人たちと、そして彼女と遊んだ日々は、確かに僕のものだった。


 自分が断ち切った時間が、再び僕の手に戻ってきた瞬間だった。


 今までずっと、僕はあの日の夜から逃げ続けてきた。贖罪として、僕は実家に帰らなかった。そう思っていた。でも違う。逃げていただけなんだと分かった。


 二十年たって、やっと僕は自分の罪に向き合うことができた。過去の自分と今の自分をつなげることができた。


 あの夜のことは彼女にとって、深い傷となっているのか、それとも笑い話なのか。


 僕はまだ、何一つ罪を償っていない。


「お、百面ダイスか、懐かしいな。お前も持っていたんだな。オレが使っていたヤツはなくしちゃったよ。片付けのキリがついたら下来いよ。飯の準備できたから」


 様子を見に来た兄が、僕の手にしたダイスを懐かしそうに見ている。


「いやーこうしてみると、お前のこれまでの人生って、紙とペンでできているって気がするな」


 マンガもテーブルトークも、紙とペンがあればいい。そう言いたいのだろう。


 この部屋から出て行ったままの僕だったなら、確かに紙とペンでできた人生だったと思う。でも、過去の自分と向き合って、それだけじゃないことを知った。今は、僕の人生を作っているもう一つの要素を無視できない。


 僕がマンガで、剣と魔法の世界を描き続けたのは、現実から逃げたかったからじゃない。彼女や親友たちと過ごしたあの時間が、僕にとって掛け替えのないものだったから。それを亡くしたくなかったから、ずっと描いていたんだ。描き続けてきたんだ。


 そのことにやっと気がついた。


「兄さん、違うよ。僕の人生は、紙とペンとダイスでできているんだ」


 高校一年のクリスマス。彼女ともう一人の女子が、僕たち男子四人にそれぞれくれたプレゼント。それがこの百面ダイスだった。


 まずは彼女に謝罪をしよう。そしてマスター役の友人にも連絡をしよう。


 もう僕は逃げない。


 二十年ぶりのダイスを手に、僕はそう誓った。

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