鳩に託す

小峰綾子

鳩に託す

青い空に鳩が飛び立っていく。鳩は平和の象徴とされる動物であるが、その平和とはどのような状態か。私たちはもう考えることもなくなって久しい。


政府が、通信、出版、言論の自由などを厳しく統制するようになったのは今から50年ほど前のことだ。SNSでの、一部の人々の政治批判、反政府運動の動きが激しくなりつつある一方で、政府は少しずつ自由を制限していった。その頃の日本は多くの人が政治に無関心だったことも政府にとって有利に働いた。まあ大丈夫だろうとたかを括っているうちに、いつの間にか強い言論統制、プロパガンダがまかり通る国になってしまったのだ。その昔システムエンジニアをしていた祖父から、明菜も当時の話をよく聞いていた。


「お前は昔からじいちゃん子だったしな」

祖父の部隊に合流すべく家を出る際、父は言った。反政府の動きが知られれば、捕らえられ収容されることもあり得るので、始めは父母ともに反対していた。しかし明菜は昔から強情で、やると決めたら頑として聞かないのを知っていたので最後には諦めたようだ。そして明菜の父も母も、まだギリギリ自由な発信、表現が許されていた時代を知っている。私も自由に言いたいことを言いたい、政府の顔色を窺うことない暮らしをしたい、そう言う娘の言葉を聞いて、止めることができなかったのだ。


明菜の祖父は政府の体制に反旗を翻すためのレジスタンスのリーダーだった。小さいころから優しかったじいちゃんがそんな危険な活動をしていると知った時は驚いたが、その時から明菜はいつかレジスタンスに入ろうと決めていた。


明菜が任されたのは鳩の世話だった。郵便、出版、電波を通じた通信が厳しく検閲される中、鳩は彼らにとっては大事な通信手段であった。伝書鳩は鳩の帰巣本能を利用している。ある場所で育てた鳩を、別の場所に連れていく。そこから放つと、数百キロ離れた場所であっても元いた場所に戻れるという。つまり、政府本部の近くにも鳩を飼っている場所がある。それぞれの場所で世話している鳩を必要に応じて秘密裏に輸送し、文書を括り付けて放つことで電波を介さない通信ができるというわけだ。


「元々伝書鳩って軍事目的とかでも使われてたんですよね。私たちの鳩たちも、いつか気付かれるんじゃないですか」

明菜は先輩である和田に尋ねた。

「もちろん、怪しい動きを見せたら気付かれるだろうな。だからあまり時間はかけられないんだ。勝男さんが短期決戦で行くって言ってるのはそういう意味だ。」

勝男さんというのは、柊勝男、明菜の祖父だ。

「政府側に潜り込んでるスパイってどれくらいいるんですか?」

「何人いるのか、誰がスパイなのかは少数の幹部しか知らない。こちら側にも向こうのスパイが潜り込んでいる可能性があるからな。迂闊に情報が漏れないように細心の注意を払っている」

「味方の中に裏切者がいるなんて、考えたくもないですけどね」

「この間も、データ管理部の中から裏切者がでたろ?あれ、ハニートラップだったって」

「ハニートラップ…」

「かわいい子といい仲になって、機密情報を話してしまったらしい」

「そのかわいい子がスパイだったわけですね」

「嫌な話だな。お前も気をつけろよ」

「大丈夫ですよ」


「新しいデータです」

文書係が封筒を持ってくる。その中には5ミリ四方の小さなチップが入っている。どこでハッキングされているかわからないため、文書作成はパソコンで行えない。通信手段はまず紙に手書きで書かれ、それをスキャンし、データ化し、小さなチップに保存する。チップはダミーも含め複数準備される。このチップを鳩の足に取り付け、指定の日時に放つのが彼らの役目である。これで、体制内部とレジスタンスの連携を図り作戦の時を待って一気に体制を翻す、それが勝男らが企てている作戦だった。

「明日7時に飛ばすんですよね。何時入りすればいいですか」

「準備も含めると6時だな。」

「分かりました。では明日」

データが入ったチップを金庫に入れ鍵をかけ、二人は鳩舎を後にした。


帰宅し、寝る準備をした後明菜は引き出しからノートを出し、今日起きたことを簡単に記録する。いつか自由を手に入れたら、自分が見てきたことを誰かに伝えたい、そう願うからだ。


あらゆる表現は、紙とペンから始まる。


勝男が良く言う言葉だ。何かを発信するにはまず、発信しようとする人間、そして、紙やペンなどの道具、さらにそれを色々な人に広げるための手段、これらが揃って初めて世に出回る。


記録が終わったあと引き出しに入っている封筒を取り出す。あの人、意外と綺麗な字を書くんだな、思わずにやけてしまう。

「勝男さんに出会えて本当に良かったと思ってるんだ。」

正はそういった。歳は明菜より5歳ほど上だが部隊に入ったのがほぼ同期の彼。クーデタが成功したら、いつかノンフィクションライターになりたいんだ。そう話してくれた日、同時に彼は言った。

「今はまだ、恋愛がどうとか言っている場合じゃない。でも、気持ちだけは言っておきたいんだ。」

真剣な眼差しで正は言った。

「明菜と一緒にいたい。僕たちは自由だ、この国は平和だ、そう思える社会になったら、付き合ってくれないか」

正はいま、体制側に潜り込むという危険かつ重要な仕事を担っている。彼からは時々手書きの手紙が届く。作戦に関することは一切書けないが、その分手紙には普段の正からは想像できないような甘い言葉がつづられているのだ。手紙を抱きしめ、ふふふ、と小さく笑う。19歳の明菜はまだ、恋だのなんだのに浮かれたことがなかった。意外にも戦いの中での恋だったが、好きな人と同じ志をもって戦えるのは誇らしかった。手紙を大事に引き出しにしまい、明菜は眠りについた。


次の日、約束の時間に鳩舎に入ると和田がいて、青い顔をしていた。

「柊、お前は幹部室に行け」

「え、何故ですか。今日は鳩を…」

「勝男さん直々の呼び出しだ。ここは俺一人でも何とかなる。早く行け。」

孫とはいえ勝男は明菜のことを特別扱いしない。直接呼び出すなんてよほど重要なことに違いない。


幹部室をノックすると

「入れ」

という声が聞こえた。ゆっくりとドアを開け、中に入る。中には勝男とその部下2人、そしてその隣に、驚くべき人物がいた。後ろ手を縛られて身動きがとれない様だ。

「正さん…!?」

「明菜、この男をやはり知っているんだな」

言葉が出ないが、明菜は辛うじてうなずいた。

「説明してやってくれないか」

勝男が幹部に指示する。

「こいつは、こちらの一部しか知らない情報を、政府側の人間に話していた。これは向こうに潜伏している仲間からの情報だ。決行の日に飛ばす鳩は、白い鳩。これは幹部の一部と、通信部しか知らないはずだ。」

それは、和田から聞いて明菜も知っていた。白い鳩は、平和の象徴。だから、私たちが思う平和、それを願い、最も大事なメッセージは白い鳩に託すのだと。しかし…

「確かにその情報は私も聞いています。でも、それをこの人に話したことはありません。他の誰かに話したことも絶対にありません。何かの間違いではないでしょうか」

勝男は口を開く。

「何かを伝えるときに必要なもの。まず、紙とペンだ。いつも言ってきたな。明菜。」

「紙と、ペン…」

気付いてしまった。確かに話したことはない。しかし、書いたことならある。あのノートだ。うちに来た時に、明菜の目を盗んであの記録を読むことはできただろう。


「正さん、あなたとなら、一緒に戦える、そう思っていました。嘘だったんですね。いつから…」

いつから騙していたんですか、そう聞こうとしたが涙で声が詰まる。

「最初から裏切るつもりはなかったんです。でも…子供が…生まれたんです」

正はすがるように話す。

「妻と子供が九州にいるんです。協力すれば、優先的にこちらに呼んでやると、そういわれて…」

今、国民は自由に住む場所を変えることができない。特に東京近郊は、情報統制のために厳しいチェックがあり、許可が下りるのに何年もかかっていた。だから家族と一緒に住みたくても住めない人が多くいるのだ。

「様々な事情を抱えた人はほかにもたくさんいる。それでも自由を取り戻すために皆戦っているのだ」

勝男が言う。

「今なら、向こうの人間に俺はスパイとして認識されています。2重スパイとして利用してもらえれば向こうの情報をこちらに入れることもできます。もう一度、使ってもらえませんか」

「一度裏切った人間を置いておくわけにはいかない」

「待ってください。明菜、助けてくれないか…」

幹部に引っ張られながら正は幹部室から出ていった。明菜は崩れ落ちた。信じていた恋人は、二重に自分を裏切っていたのだった。


明菜はその後、厳しく取り調べを受けた。しかし彼女自身にはレジスタンスを裏切るような行動はなかったと判断され、ほどなく現場に戻ることができた。実は白い鳩の件はダミーの情報だったそうだ。確かに、そんな大事な情報を分かりやすい特徴のある鳩に付けるはずはないのだ。試されていたことはショックではあったが、おかげで裏切者をあぶりだせたのだから効果はあったと言わざるを得ない。


「すみませんでした」

久々の復帰の日、明菜は和田に深々と頭を下げた。和田もバツの悪そうな顔をして

「ハニートラップには注意しろって言ったろ」

と言った。

最後の鳩を飛ばす日がやってきた。決戦の日、政府に対するクーデター決行の日だ。

作戦内容を伝達する情報が入ったチップは、頭がブチ模様の、ごくありふれた模様の鳩に託すことにした。ダミーのチップは真っ白い鳩に括り付けた。目指すのは、一人も血を流さず自由を勝ち取ることだ。剣や銃ではなく、紙とペンで戦う、それが、勝男たちが目指す戦いだ。何があっても、ここで戦えたことを誇りに思う。この戦いを、いつか誰かに伝えよう。そんな思いを込めて、明菜は、鳩を空に放った。


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