紙とペンとスーパーハイパーウルトラメガトン先輩

大石 陽太

紙とペンさえ

 人気のない教室にペンを動かす男が一人。その男は天才! 天才! 男に敵う人間などいない!

「ははははははははっ! 俺は天才ダァァァァァァ!」

 男……つまり俺は、抑えきれない衝動にしたがい、紙の上に空想を作り上げていく。やべぇ、まじやべぇ! 止まらない! ペンが止まらないよ!


「うーん、いつ見てもすごいなぁ……」


「ひゃぅ!」

 すぐそばから聞こえた声に、驚きのあまり女の子みたいな声を上げてしまう。

「あっははははは! 何それ女の子みたい!」

 声の主、水谷みずたに千鶴ちづる先輩は俺の頭の上で、大声を出して笑った。ああ……まただよ……。

「先輩……描いてる時は入らないでくださいって言ったでしょ……どうせ用もないんだから……」

 俺は描きかけの絵を見て、ため息を吐いた。せっかくノッてきたところだったのに。

「あー! 用がないとかスーパー失礼だよ! ポン太くん!」

「誰がポン太くんだ!」

 このとにかくうるさい女は水谷千鶴といって、俺の天国をぶち壊した張本人だ。

「ポン太くん、今私のこと、うるさい女だって思ったでしょ!」

 俺は紙とペンさえあればよかったんだ。だから美術部に入って、描き描きライフを満喫するつもりだったのに。というか満喫できていたのに。

 部員が俺一人と聞いた時は、嬉しさで頭がおかしくなりそうだった。放課後は美術室を独り占めでき、おまけに顧問は超美術バカときた。絵を好きなだけ描き、行き詰まったときは顧問に教えを乞う。ああ、最高!

 だったのに、この目の前でワーワー騒いでいる女のせいで全てが台無しになった。



「どうもー! お、ホントにいた! 幻の美術部!」



 ああもう思い出しただけでも、頭痛と目眩が……。

「大丈夫⁉︎ どうしたの! 頭なんか押さえて!」

「すみません……ちょっと腹痛がひどいんで、今日は早めに切り上げて帰ります……。先輩も俺のことは気にせず帰ってください」

「えー! 分かった帰る! ポンくんも帰り、スーパー気をつけてね!」

 そう言うと、先輩は風の如き速さで教室を飛び出していった。はあ……これで集中して絵の続きが描ける……。

「悪い人ではないんだけどなあ……」

 水谷先輩は美術部の部員ではない。あの人は今年の夏、夏休みに入る数日前にこの教室に侵入してきた。

 なんでも、学校七不思議のひとつである『笑う美術室』が気になって来たらしい。そのタネは俺が絵を描いている時の笑い声が外に漏れていただけという、幽霊の正体見たり枯れ尾花案件だったのだが、それ以降も水谷先輩は「暇だから」と、この美術室に度々現れる。というか毎回来る。

 さすがに、受験勉強もある三年生が、暇だからという理由で用もない美術室に入り浸るだろうかと思った俺は、水谷先輩の俺に対する恋心を疑った。いや、まあ自分でもちょっと自意識過剰かなー? とは思ったけど、水谷先輩、見た目は結構可愛いし、俺も年頃の男の子なんだから期待しちゃうじゃん?

 疑い始めてから二日後、耐えきれなくなった俺は先輩に恥ずかしい質問をした。

「先輩ってもしかして、俺のこと好きですか?」

 いや、もしかしてだよ、もしかして。年頃の男女が二人きりで同じ教室にいるんだから、そういうこともあるかもしれないじゃん。

「あっははははははははは! ないない! あとポン太くん顔気持ち悪いよ!」

 あいたたたたたっ! 痛いっ! 本当に腹痛が!

「罠だ……これは罠だ……はたまた美人局だ……」

 誰かが馬鹿な先輩を利用して、俺に絵を描かせないようにしているに違いない。きっとそうだ。

「…………くそ」

 それに、先輩が来たことによる弊害はもう一つあった。それが一番厄介だった。

 先輩は感情をストレートに表に出す人だ。すごいと思ったら、大声ですごいと褒め称える。

 しかし、数日、数週間と会ううちに、先輩の評価にはすごいよりもさらに上のスーパーすごいがあることが分かった。この場合のスーパーすごいとは、よりすごいという意味だ。

 最初はあまり気にしていなかったが、一度気になるとずっと気になった。今日の絵はなぜスーパーが付かなかったのか、逆になぜ、この絵にはスーパーが付いたんだ、と今まで自分が満足できたかどうかだけで絵を判断してきた俺は、先輩の評価を気にして絵を描いていることにひどい嫌悪感を抱いた。

 そして、今日は「すごい」だった。

「まあ……描きかけだからな!」

 嘘だった。

 最近、美術室にいつ先輩が来るのかが気になって、完全にノリ切れていなかった。気になると言っても、別に先輩のことが好きとかではなく、単純に先輩が美術室に入ってくると集中力が切れるからだ。そのうち、いつ集中が切れるか分からない状況の中で自分の絵に没頭しきれなくなった。

「俺の平穏が……」

 紙とペンさえあればいいと思っていた俺の日常は、いつしか紙とペンと先輩になっていた。

「なんでなん……」

 なんでこんなことになってしまったのだろうと、呆然とするしかなかった。



 ☆



「遠くに引っ越すことになった!」

 その日、いつも通り美術室にやってきた水谷先輩は、これもまたいつも通りの屈託のない笑顔で、いつも通りじゃないことを言った。

「いや、展開が急すぎるでしょ……せめて、時折悲しそうな表情を見せるとか、突然、泣き出すけど理由は教えない、とかしないと」

「あはははは、何言ってるの」

「がーん!」

 女の子に何言ってるのって言われちゃったよ……腹痛の原因がまたひとつ……。

「だからさ、何か描いてよ! いつもみたいなすごいやつ!」

 少しだけ、今の言葉には腹が立った。どうやら俺は水谷先輩に舐められていたらしい。

「嫌です」

「え?」

「すごいやつじゃなく、スーパーすごいやつを描きます。先輩もあっと驚くようなやつをね」

 俺の言葉を聞いた先輩はいつものような弾けた笑いではなく「ふっ」と上品に小さく笑った。

「嫌です!」

「え⁉︎」

 まさかの拒否! ここでまさかの拒否! 痛いよ、お母さん。俺、腹が痛いよ。

「スーパーハイパーすごいのを描いてください!」

 一瞬、何を言われたのか分からなかったが、すぐにそれがスーパーのさらに上であることを理解した。これまで一度も聞いたことのなかった未知の領域。

 俺は自分の体が震えていることに気づいた。すげえ、ワクワクしてんだ。俺の体がハイパーに挑みたがってる。

「先輩、引っ越しはいつですか?」

「十日後!」

「十日後⁉︎」

 俺は、十日で今までの自分を超えなければならないのか。

 前に俺の最高傑作を先輩に見せたことがあったのだが、その時は

「ハすごいね!」

「ハ⁉︎」

 今思えば、あれはハイパーのハだったのか。だとすると、少なくともイパーが足りない。

「先輩、ギリギリになるかもしれないですけど、いいですか」

 本当は十日でも厳しい。だけど、先輩が十日でいなくなってしまうというのなら、俺は死ぬ気で間に合わせる。

「えー、今日中がいいんだけど……」

「それは無理!」

 かくして、俺の全身全霊十日間が始まった。


 まず、初日。いつも通り絵を描きながらスーパーハイパーすごい絵の構想を練る。


 二日目、今日もまたいつも通り絵を……。

「出来たーー⁉︎」

「早いよ! ていうかこういう時は十日目まで会わないもんでしょ!」


 三日目、今日もまた……。

「まだーー⁉︎」

「もう好きにしてっ!」


 四日目、もう何も分からない。ハイパーってなんだ。何がハイパーなんだ。


 五日目、車のフロントガラスの汚れや不純物を拭き取ってくれる機構の絵を描いた。


 六日目、歌ってみた。


 七日目、踊ってみた。


 八日目、今日は何もない平和な一日だった。


 九日目、うわああああああああああああああっ! 全然、描けねええええええええええええええええええええ!


 そして、約束の十日目。

 俺は一睡もすることなく、朝を迎えた。しかし、眠気は一切感じない。

 これと似たようなことが小学生の時にあった。夏休み最後の一日だ。どうやっても夏休みの宿題を終わらせることができなかったあの時の感覚に似ている。

 似ているが。

「あれの何倍も重い……!」

 最悪の気分だった。今まで、紙とペンさえあればいいと思っていた自分が、その紙とペンで何もできていない。まるで今までの自分の考え方、生き方、何より描いてきた絵を全て否定されているようだった。

「くそ……俺には紙とペンしかないんだよ……他のものなんてあるわけ……」

 あるわけ……あった。

 もうひとつだけ、俺の日常に欠かせなくなったもの。

 俺は今までにない速度でペンを走らせた。間違いなく人生の中で一番の集中力だ。

「間に合え……ッ!」



 教えられた住所に行くと、先輩が一人、ポツンと何かを待つように立っていた。

「先輩っ!」

 先輩は俺の顔を見ると、パーっと顔を輝かせた。

「遅いよー! もー、みんな先行っちゃったよ!」

「すみません……でも……なんとか描けましたよ……スーパーハイパーすごいの」

 息を切らしながら、ギリギリで言葉を吐き出す。それから、俺は黙って絵を差し出した。

「うおー……なんかドキドキするなぁ」

「それはこっちの……セリフですよ……」

 言葉の割に、先輩はなんの躊躇もなく絵を見た。

 先輩は少しの間、無言で絵を眺めていた。いつもの先輩なら一目見ただけで「すごい!」とか「何これ!」と反応するんだけど……。

 やっと絵から目を離した先輩は、頰を赤く染めて照れたように後頭部を撫でた。

「えへへ……なんか照れるね……こういうの」

「それ、間違いなく俺の一番なんですから、そんな感想で終わらせないでくださいよ」

 先輩はもう一度、愛おしそうに絵を眺めた後、絵をこちらに向けて言った。



「スーパーハイパーウルトラすごいっ!」



 俺は今まで、人生には紙とペンさえあればいいと思っていた。けど、もうひとつだけ、俺の人生にどうしても必要なものがあったらしい。

 つまり、俺のこれからの人生は



 紙とペンとスーパーハイパーウルトラメガトン先輩



 だ!



「にっしし!」

 目の前にある二つの笑顔は、どこまでも俺の心を豊かにした。

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紙とペンとスーパーハイパーウルトラメガトン先輩 大石 陽太 @oishiama

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