月見草の嘘
時谷碧
月見草の嘘
涼子の様子がおかしくなった。
私がいるときにはそんな素振りは見せないのに、一人でいるときには、ぼーっと心ここにあらずな表情をするようになった。
移動教室のために、渡り廊下を同級生と連れ立って歩いていると、ぽつねんと一人佇む涼子を見つけた。また、あの表情だった。
同級生が、ほほう! と感嘆し、目を瞠った。
「ありゃあ、恋をしてますねえ」
よきかな、と頷く同級生の言葉を聞いて納得した。確かにあれはそういう表情だ。
でも、いったい誰に?
私たちは、たしかに同じ学校に通っていて、友達で、ある程度の時間は共有している。けれど、それは不完全。
涼子が、私の知らないところで、私の知らない誰かに恋をしたって、それはごく当たり前にありうることで、文句を言う権利もない。
焦りが、心を満たした。
放課後、いつものように涼子と他愛のないお喋りをする。
一応、一緒に帰るという名目ではある。けれど、実際は校門を出てすぐに、私と涼子の帰り道は分かれてしまう。それでも部活がない日は、どちらかの教室で、なんでもないお喋りをするのが習慣だった。
どのクラスの誰が誰と付き合ったらしいとか、あの先生が今年で離任するだとか。
そのくだらないお喋りに混ぜて、ちょっとかまをかけてみたら、あっさりと好きな人がいると白状した。
ちょろい。
「好きな人いるんだ。告白しないの? 涼子は可愛いからいけると思うよ」
まるで自分じゃない誰かが喋っているみたいだった。
いけると思うよ、なんて、いけちゃったらどうするんだ。
でも、もし涼子が好きな人が涼子を好きになってくれて、私といるときよりも幸せに過ごせるなら、それだったら、諦められるかもしれない。いっそ幸せになって、完膚なきまでに、この恋心を消し飛ばして欲しいとすら思う。
涼子の表情は、暗い。
「できないし、多分言っても信じてもらえないよ」
この子は時々こういうことを言う。
私にとっては世界一可愛いし、一般的にも十分通用するくらい可愛いのに自信がない。
今だって世界の終わりみたいな顔してる。
こういうところがたまにちょっとムカつく。ムカつくんだけど、愛おしい。
嗜虐心をそそられるっていうのかな。
それは置いといて、涼子には自信が必要だ。そのためには、練習?
その時、悪魔が囁いた。
告白の練習相手になってしまえば、好きと言ってもらえる。
どうせ本物をもらえないなら、偽物でもいいから先にもらってしまえばいい。そのくらいは許されてもいい。
名前も顔も知らない涼子の好きな人に、思っていた以上に、嫉妬していた。
「信じてもらえるって思えるまで、私が練習台になってあげる」
さも、いいことを思いついたという風に宣言する。
欲深い私は、回数を限定しなかった。
数えきれないほど好きって言われたい。そして、数えきれないほど練習台の私を踏みつけて、飛んでいってよ、私の手の届かないところまで。
新しい遊びとして承認されたらしく、涼子が首を傾げながら最初の一手を打つ。
「好きです。付き合ってください?」
イエス。
だけどここは突っ込むところ。涼子だってそういうつもりで言っている。
「なんで疑問形。自分で疑ってどうする」
「じゃあ、結婚してください?」
結婚。憧れはないこともないが。
「いきなりプロポーズはないでしょ」
くすくすと涼子と笑いだす。この控えめな笑い方が好き。楚々とした可愛らしさがある。いつまでも見ていたいくらいだけど、もう時間だ。
「お、そろそろ帰らなきゃ。明日はちゃんと私に告白すること。いいね」
今までのは遊びも遊び。私が欲しくてしょうがないのは本気の遊び。
そのくらい、くれてもいいでしょ。
帰り道、月見草の丘の側を通る。夕方といってもまだ早いから月見草は咲いていない。蕾の姿でじっと誰もいない夜を待っている。この姿には、
自分をこの花に重ねていたら、花言葉もどうやらそういう意味らしい。打ち明けられない恋。みんな考えることは同じなんだ。この花の群れに紛れていると、なんだか心が落ち着くから、この場所が気に入っている。
涼子にはこの花の名を月見草とだけ教えて、花言葉も半分だけ教えた。教えなかった花言葉は、移り気。私の気は移らないから必要ない。一時期、他の人を好きになろうと努力したからわかる。他の誰かを好きになんてなれない。
この花が、誰もいない夜には月を見るように、あなただけを想っています。
家に帰って、いざ寝ようとして、今更どきどきした。
なんて大胆なことをしたんだろう! 夢みたいだ。
明日私は涼子から告白されるんだ。一体どんな告白をしてくれるんだろう?
そう考えていると親友の行動パターンだから、ある程度読める。
手紙だ。彼女は大切なことを文字にして伝えたがる習性がある。気づいた瞬間、私の興奮はしゅるしゅると音をたててしぼんだ。
ありえない。
自分は無言の宵待草なのを棚に上げて、手紙を阻止することに決めた。
手紙を手渡せば、私はその場で読むとわかっているだろうから、直接は渡したがらないはず。私のいない時間に、確実に私が気づく場所に置くことになる。
朝だ、涼子は朝に手紙を靴箱に入れる!
私が遅刻常習犯であることは、よく知られている。
早起きすべく、目覚ましをかけて寝る態勢に入っても、そう簡単に眠れるわけもなく、悶々と考え続けた。
翌朝、根性で起床し、学校へ先回りした。
慣れない早起きと睡眠不足のせいか、少しのどが痛い。
位置取り完璧。この位置ならば、私の靴箱に何か入れようものならすぐわかる。
のこのことやってきた涼子に宣戦布告する。
「ふっふっふ。君が来るのはお見通しなのだよ、涼子君。手紙でも書いてきたのはあるまいか? おはよう」
あー、のどの調子いまいちかも。
微妙に挙動不審な涼子が近づいてきた。当然ここで、鞄に手紙を滑り込ませられでもすれば、せっかくの早起きが水の泡だ。油断はしない。
「おはよう。はい、のど飴」
特に何も言っていないのに気づくんだよな、こういうこと。これのせいで、涼子も私が好きなんじゃないかって錯覚したこともありましたとも。所詮願望だけど。
「ん、ありがと。早起きって辛いよね」
手を伸ばし、できるだけ自然に飴を受け取りつつ、ガードを固める。
「今日に限って早く来なくても良かったんじゃない?」
少し気分を害したふうの涼子。はい、黒。
あなたは今手紙を書いてきたことが確定しましたよ、涼子さん。
「今日だから早く来たんだよ」
「邪魔しちゃ練習にならないんじゃ?」
「こういう予定外のことはつきものなんだから、邪魔も込みで練習だよ。というわけで、手紙で告白はなしだよ。そもそも、信じてもらえるかわからない相手に手紙は悪手だと思うなあ」
この後、手紙を私の鞄に入れる隙なんていくらでもあるんだから、ここできっちり牽制しておかなければならない。
実際のところ、手紙はまずいと思う。信じてくれないような相手に、手紙を渡しても、確実に疑われる。疑り深い私が言うのだから間違いない。
珍しく、涼子が食い下がった。
「手紙で告白じゃなくて、手紙で呼び出して告白という可能性は?」
「なるほど」
きたー。昨日考えてたパターンの一つ。
焦るな、考えるふりをするんだ。怪しまれる。ちょっと間をおいて。
「オーケー、呼び出された。放課後、月見草の丘で会おう。待ってるよ」
爽やかな笑顔で言い放つ。
無駄に夜更かししてないんだよ!
放課後、ホームルームが早く終わって、月見草の丘に急ぐ。
丘に着くと、重そうな蕾をつけた宵待草の一群に紛れ込む。
この場所こそ、恋心の墓場には相応しい。
待ちながら、ちょっと寂しくなった。
確かにここで私は、私が望んだように、涼子から好きを言ってもらえるだろう。でもそれは、練習で、どうしようもなく嘘なんだ。
偽物をもらえてしまえたならば、本物はもらえない。
嘘でもいいから好きと言ってもらいたくて、自分でこの状況を作ったのに、それなのに、今更やっぱり本物が欲しいと望んでいる自分に嫌気がさした。
涼子、来ないでくれないかな。
そしたら私は偽物を受け取らずに済んで、本物をもらう夢を見続けることができる。
でも、来るんだろうなあ。そういう子だ。
ほらね。
「来たんだ」
沈んだ声が出た。ごめんね、表情を上手く作る余裕がない。
涼子は、硬い表情で近寄ってきた。そして、すっと視線を上げて、私と目を合わせると、知らない表情になった。
今まで見たこともない、透明な表情。その意味を知らないから、私は慄いた。
涼子が今何を考えているのか、全くわからなかった。
「すき」
涼子の唇から零れた言葉は、単純で、何にも代えがたいもの。
それこそが私の欲しいものだと、本能は叫んでいた。
だけど理性は疑った。
これは練習。真に迫った練習をするのはとても合理的。
涼子の頬を涙が滑り落ちていった。
もうわかるでしょうと、本能が言う。
だけどそれでも、それでも疑ってしまうのが私。
疑り深くて狡い私なのだ。
ここで、「すごいよ、迫真の告白だった」と言えば、全てが終わるのだろう。
涼子から目を逸らして逃げようとした私は、月見草が咲いているのを見つけた。
月見草は宵待草。夜にはもう、待っていない。月に届かない恋を歌ってる。
月見草の声なき歌に包まれて、急に独りぼっちになった気がした。蕾でいるのは私だけ。
ここは墓場になんか相応しくなかった。ここは、恋心を歌う場所。
私の胸の中には歌いたい恋が、積もっている。
誰にも言えない恋心を秘め、独り膝を抱えてこの丘で過ごした時間こそが、その証。
私も、明かさなければならないんだ。
もし、それで友情が壊れたとしても、それは罰だ。
嘘でもいいといいながら、本物が欲しくてしょうがなかった嘘つきの私への罰。
それに、いいじゃないか。
本気で言ってくれているのかもしれない涼子の「すき」を踏みにじるよりは何倍もましだ。
そして何より、私も歌いたい。
好きだと言いたい。
決意して、涼子の涙を指で拭った。すべらかな頬。触れるのは、これが最後になるかもしれない。
「私は、涼子……あなたがすき。つらい思いをさせてごめんね」
もし練習だとしても、泣くほどにはつらいはずなんだ。謝るべきだ。
そして言うんだ、私の罪を。
「涼子に好きな人がいるって聞いて、嫉妬したの。練習でもいいから、嘘でもいいから、好きって言われたかった。涼子も私が好きなのかもしれないって思ったこともあったよ。だけどそれは私の願望でしかないって」
最後まで、言わなきゃいけないのに、涙が勝手に溢れてきて言葉が続かない。
「私も、楓が私のことすきだったらいいなって、ずっと思ってた」
願望じゃ、なかったの? こんなに、簡単なことだったの?
解けないと思っていたパズルが解けた。
私が言いさえすれば、涼子は信じてくれたんだ。
私が、言わなければならなかったんだ。
ようやく私の理性は涼子の「すき」を本物と認めた。
「多分言っても信じてもらえないよ」と言った涼子の言葉がよみがえる。
本当に、よく見てるんだな、私のこと。
「じゃあ、私達、願いが叶った幸せ者だね」
二人で恥ずかしげに微笑み合った。
「ねぇ、あの手紙、見せてよ」
「やだよ、恥ずかしい」
「駄目……?」
可愛く言ってみる。大抵断られないやり方だ。
涼子は私が好きなわけだからして、今の効果は覿面のはず。
一度信じてしまえば、私は早速それを利用した。
しぶしぶとではあるが、涼子は手紙を渡してくれた。
間違っても傷なんてつけないように慎重に開くと、薄紫の「すきです」があった。文面はそれだけで、宛先はおろか、差出人の名前すらなかった。思わず吹き出す。
「やっぱ返して」
「だーめ。これは一生取っとくの」
いそいそと手紙を取り上げられないうちに、大切にしまいこむ。
薄紫、お揃いで買ったペンの色。夕暮れの一瞬の色。
臆病な私は気が付いていた。
私達は、まだ、薄紫のすきを重ねたに過ぎない。それはガラス細工のように儚いもので、今日このまま分かれてしまえば、私達はまたもとに戻ってしまうかもしれない。
月見草は朝が来れば萎んでしまう。
お互いの好きを重ね合わせるには、もっと時間がいる。
私は、永遠が欲しい。欲張りだから。
朝も昼も夜も、お互いに好きでいたい。
「もう、なんなの?」
隣で、ぷんぷんと怒っている涼子はまだ気がつかなくていい。私が前に進めよう。
「これさ、宛先も差出人も書いてないよ。これじゃあ辻斬りだ」
ぽかんとした表情をする涼子。可愛いなあ、もう。
「でもね、私はわかるよ。涼子の字、好きだから」
照れた照れた。私のせいで涼子が真っ赤になるって、いいもんだ。
身の置き所がなくなったらしい涼子は、慌てて別の話題を持ち出した。
「なんで、手紙を受取ろうとしなかったの?」
秘密、と言いかけて止める。罪状告白はせねばならない。
「だって、直接言って欲しかったんだもん。手紙を渡されちゃったら、直接言ってもらえないじゃない」
幸せすぎて、つい忘れそうになるけれど、しなければならないことがある。幸せな時間を、ずっと続けていくための何か。
緊張が解け、のほほんと幸せそうな涼子を見ていると、言い出すのは無粋な気がして、どうしようかずっと迷っていたけれど、手紙がいい。ここは涼子の流儀に従うべきだ。明日も明後日も、その先も見返せるように。
「ちょっと待ってて」
涼子を待たせて、お揃いの薄紫のペンで、手紙を書く。本当は後で可愛い便箋に書きたいけれど、今じゃなきゃ駄目なんだ。
ノートの切れ端で作った手紙は、涼子の綺麗な手紙と比べると、不格好で、とても釣り合わない気がした。
私と涼子みたい。
不釣り合いかもしれないけど、明日からも一緒にいたいから、この手紙を渡す。
『付き合ってください』
私はもう、あなたを諦めようとしたりはしない。
月見草の嘘 時谷碧 @metarou
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