紙とペンとタイプライター

澤田慎梧

紙とペンとタイプライター


『ペンは剣よりも強し。新聞記者の武器は紙とペンさ!』


 父アンドリュー・ホワイトは、そんな高い志を持った新聞記者だった。

 そしてその言葉通り、世の巨悪に紙とペンで挑み――敗れた。

 父のペンは剣よりも強かったかも知れないが、銃や金の力には勝てなかったらしい。

 俺も幼心に悔しさを噛み締めたもんさ。


 ――そして時は流れ、後に「狂騒の20年代Roaring Twenties」と呼ばれる時代がやってきた。

 その頃、俺ことダニー・ホワイトは、父の敗れた理想を継ぐように新聞記者になっていた。


 俺が勤めていたのは、南部の片田舎のちっぽけな港町の、これまたちっぽけな新聞社ではあったが……報じるべきこと、暴くべき悪事はあまりにも多すぎた。

 世の中は、禁酒法やらギャングの台頭やら政治家の汚職やらで、目まぐるしく動いていたんだ。


 小さな新聞社にも小さいなりの戦い方がある。

 そんな信念を胸に、俺は仲間達と紙とペン――いや、正確には「紙とタイプライター」を武器に戦いを続けていた。ペンを愛用していた父と違い、俺も仲間達もタイプライターの速さと正確性を重宝していた。


 ――カカカッ、カカカカッ、カカカカカッ……ガチャン!


 俺達のオフィスには、日がな一日、そんなタイプライターの音が鳴り響いていた。

 ギャング共のばら撒く怒号と銃声とは正反対の「戦いの音」。俺達の誇りそのものの音だ。

 この音が鳴り続ける限り、「正義」は死なない。そんな信念を胸に、俺達は来る日も来る日も取材と執筆に明け暮れていた。


 ――だが。その信念は、無残に打ち砕かれることになった。


「皆、すまんが今すぐ手を止めて聞いてくれ――編集長が撃たれた」


 ある日の昼下がり。副編集長が告げたその言葉に、オフィスから全ての音が失われた。


「撃たれたって……無事、なんですよね?」


 誰かがあげたそんな声に、副編集長は沈痛な面持ちで、ただ首を横に振るだけだった。つまり、編集長は、もう……。


「今日、編集長は他の社の代表との会合へ行っていたんだ……例の、ブランコ・ファミリーとケント市長の癒着関連の情報交換の為に、だ。そこを襲撃された。警察は『犯人については目下捜査中』とか抜かしてるそうだが……十中八九、見つからんだろう」


 ――ブランコ・ファミリーは、この街最大のギャングだ。

 新興勢力にもかかわらず、禁酒法を利用して密造酒や違法バーで荒稼ぎし、田舎ギャングとは思えぬ勢力を築きつつある。

 市長のケントは、地元有力者の家系に生まれた所謂「名士」だったが……早々にブランコ・ファミリーと手を結び、様々な悪事に手を染めていた。


 うちの社も他社も、彼らの悪事を暴くことを最上の使命としていたのだが……。


「それを受けて、社長プレジデントからのお達しだ――『ブランコ・ファミリーと市長についての取材や記事は、一時取りやめろ』だとさ。やっこさん、ブルっちまったらしい」


 副編集長の言葉に、場がざわつく。編集長の仇討ちをするどころか、ケツをまくれと言っているのだ。

 当然、仲間達は口々に異を唱えるが――。


黙れシャラップ! 俺だって悔しいんだ! 編集長とはガキの頃からの仲だ……俺だって仇を討ってやりてぇよ! ――でもな、死んじまったらなんにもならねぇんだ!

 いいか? 必ず今後、潮目が変わる時がやってくる。それまで……それまでは我慢だ! 耐えるんだ! 牙を研いで……明日の復讐に備えるんだ! 絶対に短慮を起こしちゃならねぇぞ!」


 副編集長の涙ながらの言葉に、仲間達は誰も何も言えなくなってしまった。

 ある者は拳を悔しそうに握りしめ、またある者は十字を切って祈りの言葉を口にしている。悔し涙を流しながら、副編集長を抱きしめる者もいた。


 ――だが俺は一人、仲間達とは異なる感情に身を焦がしていた。

 編集長は俺にとって、二人目の父親みたいな人だった。やさぐれていた俺に、「紙とペン」の強さを再び信じさせてくれた、大恩人だ。

 それが、ブランコ・ファミリーに殺されちまうだなんて……!


 やり場のない怒りをたぎらせながら、相棒であるタイプライターに目を落とす。

 俺の武器。俺の正義。俺の理想……。

 このタイプライターで、救いたい人がいた。「正義はあるんだ」と教えてあげたい人がいた。

 だが、それも、もう――。


   * * *


 ――数日後。俺は一人、夜の寂れた埠頭に佇んでいた。

 新しい港が出来た為に殆ど使われなくなった埠頭で、停泊している船は一隻もなく、周囲には廃墟同然となった倉庫が建ち並んでいるだけだ。


 街の灯火は遠く、月明かりだけが俺を照らす全ての光。

 そんな薄闇の中で、俺は人を待っていた。それは――。


「……久しぶりだな」


 夜陰に紛れながら、待ち人が姿を現した。

 高級そうなスーツに中折れ帽を被った初老の男――数年ぶりに会うが、随分と老けた印象がある。


「まさか、来てくれるとは」


 無表情のまま、男に歩み寄る。

 実際、この男は普通に会おうとしても会える相手ではない。懇意の情報屋に無理を言って、幾つもの伝手を辿って、ようやく連絡が取れる。そんな男なのだ。


「お前からの折角の呼び出しだ。無視するわけがないだろう」

「もう、何年も会っていなかったのに?」

「……お前の身の安全を考えてのことだ。万が一にも、俺とお前の関係を知られる訳にはいかないからな」


 言いながら、男は高級そうな葉巻を取り出し、慣れた手付きで火をつけた。

 ――昔は煙草の一本もやらなかったのに。


「――そうですね。お蔭で、俺と貴方の関係を知る人間は、この街に一人もいませんよ……。いや、とお呼びした方が良いですか?」


 ――そう。ブランコ・ファミリーのボスであるミスター・ブランコは、俺の父だ。

 巨悪を追う内に暴力と金に取り込まれ、名前と身分を変え、いつしか自分の組織を立ち上げるに至った、堕落した新聞記者。それが、アンドリュー・ホワイトことミスター・ブランコの正体だ。


「……好きに呼べ。で、用件はなんだ? ただ顔を見たかった、という訳でもあるまい?」

「俺の用件は、父さんの方がよくご存知では?」

「ふん! 持って回った言い方をせんで、はっきり言わんか! お前の上司編集長のことだろう? あの件なら、私が指示した。

 ……どうだ、これで満足か? 記事にでもしてみるかね? それとも、警察にでも駆け込んでみるかね? どちらも無駄だということは、お前が一番良く理解しているだろう?」


 ――そうだ。編集長達が殺されたことで、どの新聞社も怖気づいている。記事を書いても世には出せないだろう。

 警察は既に、ファミリーと市長のイヌだ。まともに取り合ってもくれない。

 だから――。


「ええ、父さん。『紙とペン』では、決して貴方に勝てない。かつての貴方が敗北したようにね。

 ――でも、なら、貴方を倒すことが出来る!」

「……? ダニー。お前、一体何を言って――」


 ――カカカッ、カカカカッ、カカカカカッ……ガチャン!

 ――カカカカッ、カカカッ、カカカカカカッ……ガチャン!

 ――カカカッ、カカッ、カカカッ……ガチャン!


 ミスター・ブランコの言葉を遮るように、


 途端、ブランコ――父さんは、月明かりをライトに全身をクネクネと揺らすを踊り始める。

 いや、正確にはダンスなどではなく――。


 タイプライターの音が止むと、父さんは糸の切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちた。

 いつの間にか、その足元にはが出来ていて――ベチャリッ、と嫌な音がした。

 俺はその光景を、無感情にただ眺めていた。


 ――ややあって、倉庫の中から数人の男が姿を現し、俺の方へ歩み寄ってきた。

 その手にはゴツい機関銃が握られている。


「ミスター・ホワイト、奴は?」

「……見ての通り、さ。穴だらけで完全に死んでるよ」

「おおっ! 確かにミスター・ブランコ本人だ! よしよし、これでブランコ・ファミリーも終わりだ!」


 父さんの死体を確認した男たちが、喜びの声を上げる。

 ――彼らは、ブランコ・ファミリーと敵対する組織のメンバーだ。

 俺は、こいつらに父さんを売ったのだ。「今夜、旧埠頭へブランコが護衛も付けずに一人でやってくる」と。


「で、ミスター。謝礼の話ですが――」

「いらんよ。先日話した通り、俺はあんた達のことを記事にしないし、あんたらはうちの社にちょっかいを出さない。お互いの不干渉を守ってくれれば、それでいい。社長には話を通してあるから、安心してくれ」

「へへっ、了解ですぜミスター! 今後はうちの組織の連中にも、あんたの所の新聞をとらせることにするよ!」


 そんな調子の良いことを言いながら、男たちは去っていった。

 後に残ったのは俺と、自らの血溜まりに沈む父さんの穴だらけの遺体だけだ。


「ほらな、父さん。タイプライターなら、あんたを倒せただろう?」


 父さんの命を奪ったのは、トンプソン・サブマシンガン。世界初の短機関銃サブマシンガンであり、ギャング達に愛用され、おびただしい数の死体を生み出した、時代を象徴する銃だ。

 そして、この銃のフルオート機構が放つ独特の動作音は、


 それらのことから、「ギャング達のタイプライター」というイメージでもって、後の世に「シカゴ・タイプライター」のニックネームで呼ばれることになるのだが――今の俺には、あまり関係のない話だった。



(了)

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紙とペンとタイプライター 澤田慎梧 @sumigoro

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