言の葉と、風使い

御子柴 流歌

言の葉と、風使い

 金曜日の夜。21時になろうかとする辺り。


 やるべきことは、あとひとつだけ。


 少し、自分の頬が緩んでいくのを感じる。


 いつも使っているカバンから大ぶりな手帳を取り出して、栞の挟んであるページを開く。


 昨日から、書いては取り消し線を引き、書いては取り消し線を引き、それでも何とか伝えたいことを並べ終わった。


 目の前に掲げて、もう一度確認。


 うん。……たぶん、大丈夫。


「たぶんだけど」


 ちょっとだけ独り言。


 口に出して、自分の耳にも「大丈夫だ」と伝えないと、やっぱり自信が持てない。自己暗示って、結構大事だと思う。


 一瞬だけ部屋の扉に視線をやってから、机の脇にある棚から便箋5枚とブルーブラックのインク、そして羽根ペンを持ち出す。


 机の手前に便箋、奥には先ほどの手帳を配置。


 デスクライトを点灯。


 これで準備完了だ。


 ゆっくりと慎重にペンにインクをつけ、僕の脳細胞が2日かけて必死に練り上げた言の葉を便箋に乗せていく。


 意識を集中させる。


 とはいえ、無感情になるわけではない。それは良くないことであるのは、今までの経験上よく知っていた。


 一言一句、間違えないように。慎重に。


 間違えたら、最初からやり直しだ。たとえ3枚目くらいまで書き進めていたとしても、また1枚目から書き始めないといけないのだ。


 少し融通が利かないのは難点ではあるが、仕方ない。


 きっとそれも、趣っていうモノなんだ。


 ただ、いずれにしても。


 しっかりと、受け手への想いを込めて。


 それだけは、忘れてはいけない。





        ○





 

 結局、2回目の挑戦になってしまった。――とてもダサい。


 便箋2枚目での失敗だったから、まだマシだと思うことにする。最後の最後とかじゃなくてよかった。


 壁にかけている時計は22時10分前。想定の範囲内だが、少しギリギリになってしまった。


 インク瓶の蓋を閉めて、一度椅子から立ち上がって大きく伸びをする。


 首と肩周り、背中に至るまで、関節がぱきぱきぱきと鳴った。気持ちいい。


 そこまで姿勢を悪くしていたとは思っていなかったが、カラダは正直だった。


 ともかくだ。


 ここまでで終わりではない。


 椅子に座り、ペン先を拭っておいた先ほどの羽根ペンを持つ。


 目の前には、先ほどの便箋5枚。もちろん正しく書けている物を。


 もう一度意識を集中させる。


 今度は、先ほどとは違って、感覚を研ぎ澄ませてさらに没入する感じで。


 脳細胞から首筋、右腕を通って、持っている羽根ペンの、細かい羽根ひとつひとつに至るまで。


 意識の枝葉を沿わせていく――――。

 




 羽根ペンの羽根の方で便箋をひと撫でして――――。


 ――――そして、その羽根に息を吹きかける。




 目の前には、白紙になった便箋が残されている。


 無事に成功したようだ。






「相変わらずめんどくさいことしてるわねー」


 背後から突然声がかかって、思わず肩がびくーん! と跳ねた。


「……ぶっ」


 明らかに、僕の動きを見ての噴飯だろう。


「姉ちゃん……。いきなり声掛けないでって言ってるでしょ」


「いきなりじゃないですー。術式終わるまで待ってましたー」


 それは、……まぁ、何というか。


「……本当に最低限の良識だけは持ってたんですね、っていうレベルでしかないんだけど」


「なんだと」


「っていうか、そもそもノックしてから声掛けてよ」


「ドア開いてたし」


「ウソだぁ」


「ウソじゃないですー。小指1本くらい開いてましたー」


「それ開いてるって言わねー!」


「閉まりきってないんだもん。だったら『開いてる』ってことでしょー?」


 とか何とか言いながら、しれっと僕の部屋に入ってきた姉は、そのまま僕のベッドにばたーんとうつ伏せになっている。


 よく見れば姉の手元には立ち読み防止の封が切られていない漫画本が2冊。


 ……あ、やばい。


 これ、絶対に、居座る気だ。軽く2時間コースで。


「ん? これ?」


 僕の視線に気づいたようだ。


「うん。何? 新刊?」


「そ。ほら、これアンタも好きじゃなかった?」


「ん? …………あああ!!?」


 ウソだ。まじか! しばらく新刊リリースされてなかったから油断していた!


「ええええ!? アレ? それ、出るって話知らないんだけど」


「そもそもさー、アンタ最近、現抜かし過ぎてて現世の話題把握できてないでしょ」


 ある意味図星だった。


「どっち読みたい? どうせ『返信』が来るまでは起きてるんでしょ?」


「そう、……だね。うん」


 そういうことか、なるほど。


「…………じゃあ、右のほうで」


「ほいよ」


「ぅぐぇ」


 手首のスナップを豪快に利かせて、漫画本が胸元に飛び込んできた。


 受け止め損ねた結果、角がみぞおちにクリーンヒット。


 ダサい。


 そんな様子を見て――さぞかし狙い通りだったのだろう――満面の笑みを浮かべている。


「かっこ悪いなあ」


「……黙っててよ、もう」


「ほんと、よく『コレ』で良いと思ったわねー、あの娘。なんか、姉として申し訳なくなるわ。『このような愚弟でよろしいのですか?』って」


「やめて。若干自覚はあるんだから」


「あら、そう」


 僕イジりからは興味を無くしたようで、適当な返事を投げ捨ててもう1冊の方の封を解いて早速読み始めている。


 まるでこのベッドの主人は私よ、と言わんばかりの態度だ。


 ベッドに限った話でなく、いつものことだが。


 とりあえず、インク瓶を蓋を再度開け、その傍らに羽根ペンと便箋を置いて、受け取った漫画に没頭することにしよう。





       ○



 


 30分くらい経っただろうか。


 机の上を、風が走った。


 漫画を一旦閉じ、机上の筆記具たちを眺める。




 羽根ペンが、風を受けたように動き始める。


 ペン先がインク瓶の中に飛び込んだ。


 過剰に付いてしまったインクを、瓶の縁を使って器用に落とす。


 そして便箋の上に、涼やかな風を受けて踊るようにそのインクで言の葉を紡いでいく。



「ん? 来たの?」


「うん」


 こちらの様子に気付いた姉が近寄ってくる。


 いつもの光景だ。


「まどろっこしいことしてるわよ、ホント。あんたたちって」


 そう言いながらも、便箋の上を舞う羽根ペンを見て少し笑みを浮かべている。


 その内容をあまり視界に入れないようにしているのは、姉なりの優しさなのだ。


 ――ただ、それを口に出して言ったりはしない。きっと鉄拳が飛んでくる。


「……まぁ、そういうあんたたちだから、付き合ってるってわけなのよね。たぶん」


「うん」




 そう。


 これが、僕と彼女の『文通』。


 どちらも得意魔法が風属性だからできること。




 

「敢えて手紙で、しかも手書きで。それでいてしかも、敢えて魔法を使うっていうのが、ね。メールでもチャットでもなく、魔法アンド手紙って」


「だからイイんじゃないか。……まぁ、彼女からの提案なんだけどさ」


「へえ、初耳。……と言っても、あんたから提案したとは思えなかったけど」


「ほっとけやい」


 ――実はそれは、半分正解で半分間違い。


 実は、とある小説で読んでから、密かに夢見ていたことだった。


 そして、その本は彼女の愛読書でもあって――。


 当然のように、彼女も夢見ていたことでもあった。


 ――それこそ、絶対に、姉には教えてあげないけれど。






 そんなことを話している間に、羽根ペンはすべての言の葉を紡ぎ終わったようだ。


 いつの間にやらまた僕のベッドに戻っていた姉が、こちらに視線を向けずに言う。


「読まないの?」


「……後で」


「恥ずかしいの?」


 ――そうだよ、恥ずかしいからだよ。本当は最優先で読みたいよ。


 とは言えず。


「……マンガが先だよ、そっちの方も読みたいし。まぁ、別に姉ちゃんがイイって言うならこれ一晩借りっぱでもいいけど?」


「……チッ」


 舌打ち!


 読んでるところを観察しようって腹積もりだったか。どうせそうだと思ってたよ。


「まぁ、仲良くしなさいよね」


「へ?」


「そんなに趣味と嗜好が合う子なんてなかなか居ないんだから。ね?」


「う、うん」


 そりゃもう。僕にはもったいないくらいだから。


 本音を言えば、全然語り足りないんだ。


 次は何を伝えようか――。


 そんなことを思ってしまって、結局マンガの内容なんてこれっぽっちも頭に入ってこなかった。


 

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