ようこそ、推敲屋へ

篠騎シオン

売れない小説家の俺

「はーあ、なんで俺の作品は売れないんだろうなぁ」

ぐびっとビールをあおぎながら、愚痴る。

大衆居酒屋、向かい合うのは美人なお姉さんとかではなく、少し年下の後輩作家。しかも男。男にしては長い黒髪、眼鏡。

「まあ、ツカサさんの作品読みにくいって、ファンの中でも言われてますからね」

「おい、お前。そんな、はっきり言うなよおお。解決策が欲しいわけじゃなくて、愚痴りたいだけなんだからよ」

「はあ、そんなもんですか。女の子みたいですね」

机に突っ伏しながら恨みがましく言うが、後輩は気にした様子はなく、果実酒を飲んでいる。果実酒って、お前のほうが女子か!? こいつは、男のくせに、なんだかんだいちいち行動がかわいい。

「くそっ、変な道に目覚めちゃいそうだよ、おい」

「ん、なんか言いました?」

小声でつぶやいた俺の言葉に反応する後輩。

「いーや、なんでもないね!」

慌てて大声でごまかす俺に、後輩はまた興味なさそうに視線をおつまみの枝豆へと移す。そして、手に取る。皿の上に豆を出す。箸で食べる。

なんだろう、こいつの行動はっ。どうしてこんなにかわいいんだ。

「そういえば、ツカサさん。知ってます? 推敲屋の女の話」

「は?」

後輩のかわいい仕草に見とれてた俺は、言葉を聞き逃す。

「だから、推敲屋ですって」

「なんだそれ? 俺の売れない小説の推敲でもしてくれんの?」

俺の言葉に、後輩はふっと笑う。

「そうなんです、なんでもどんな小説でもスマートに最大限面白く、かつ、作者の違和感がないように推敲してくれるって噂ですよ」

「んな、夢みたいな話があったら、俺たち小説家は苦労しないって」

「まあ、そうですね。あくまで噂なんでそこは何とも。夜中の0時過ぎに先輩の最寄り駅の線路の下のところ、あそこに出没するらしいですよ」

「噂にしては具体的だな。まあ、どうしても原稿に困ったら行ってくるかな」

「原稿に、じゃなくて推敲に困ったらにしてくださいね。あくまで推敲屋、って先輩は原稿でつまずくことはないか」

「ん、まあな。書くの自体だけは俺はそんなに難しくないからな」

そのあと会話はなくなって、ひたすらおつまみと酒をぐびぐびする時間。ちょっと気まずい。


そこから、1時間。

「とにかくうう、先輩はずるいんですよおお」

クールだった後輩が珍しくぐでんぐでんに酔った。店の中の他人の目が怖い。

「おい、お前、行くぞ」

俺は、後輩をひっぱりながらなんとか会計を済ませ、店を出た。

「ちょっと、先輩? きいれます?」

「ああ、うんうん、聞いてる」

話半分に後輩を帰り路へとぐいぐい引っ張る。

「先輩は、小説家として恵まれてるんですよ。なんで、そんなに早くかけるんれすか!」

「まあ、俺のカードがそういうものだからな」

「ほんと、ずるいです……」

俺のカードは、≪執筆≫だ。能力開発のかいあって、俺は自分の考えた物語を瞬間的に執筆し、紙に写し取ることができるようになった。文庫本程度の量なら、数分あれば頭から紙へと移行できる。

でも、それは、ただの執筆であって、初稿自体の直しはかなり多い。締め切りの関係で納得できるまで推敲できないことも多い。

「でもなあ、俺だって、はじめてのを書くのが早いだけで、そのあとはな」

「はじめてええ? 先輩彼女いたことないんですかあ?」

酔っぱらいの思考はよくわからんくて、後輩はそう言いながら俺のほうにグイっと顔を寄せてきた。

「ちょ、お前。顔近いって」

「僕の顔が近いと不快ですかあ?」

「いや、そんなこと言ったって。同性にこんな、顔を近づけられたらちょっとどうしていいかわかんない」

「は?」

後輩は、俺の言葉に急に傷ついた表情をする。俺、なんかひどいこと言ったか?

「先輩、目を閉じてください」

「なんで、そんなこと」

「いいから!」

俺は後輩の語気に気おされて、思わず目を閉じる。

「まだ閉じてなきゃだ——」

その瞬間、俺の唇はなにか柔らかいものによってふさがれる。これは、なんだ。柔らかい。俺はその甘美な感覚を必死でむさぼる。甘い、ふわふわする。何度も何度も吸い付き、犯し犯される。

気持ちよさに浸っていたところに、なにか口の中に侵入してくるものがあった。

これは……舌?

俺は、その感覚ではっと正気を取り戻し、手を前に突き出す。

「な、なにやってんだよ!」

目の前に頬を上気させて倒れているのはもちろん後輩だ。俺は、どうしていいか、わからなくなって、そこから逃走する。


くそっ、くそっ。


なんで、俺、男となんか、キスしてんだ。


どうして、何も考えないであんながっついた!


それに、どうして——


「男のくせに、あんなに唇やわらかいんだよおおおおおお」


走りながら絶叫する俺。



瞬間、頭の中で物語がはじけた。

そして、下半身に血が集まってくるのを感じる。

俺は、思わず立ち止まって泣き出す。

こんな状態じゃ気を紛らわせるために走ることもできない。

近くの公園、そのトイレ。

俺は個室に入って、鍵をかけた。

「男相手に興奮するんなんて」

俺はめそめそと鳴きながら、自分の鞄へと手を入れ、大量の真っ白な紙とペンを取り出す。

そして、ペン先を表紙である一番上の紙に当て、心を集中させる。

『≪執筆≫』

カードの力を使い、紙の一番上からそのまま文章を染みこませる。

俺は自分の物語にもだえ苦しむ。ああ、なんで俺、こんなの書いてんだ。

恥ずかしい、恥ずかしいよ。

「くっそおおおおお」

トイレの中で叫ぶ。そして執筆が終わる。白紙から原稿となった紙を鞄へとしまった俺は。

自分の高ぶる体を必死に慰めた。




「ほんと、何やってんだろうな、俺は」

俺は公園のトイレから出ると、自宅へと足を向けた。直しは必要だが、久しぶりに売れる作品ができた確信があった。でも、男の後輩にキスされて思いついた物語を何度も推敲するなんて、恥ずかしさで死ぬかもしれない。

そしてふと、後輩の言っていた推敲屋のことを思い出す。時計を見る。0時30分。

「ま、デマだと思うけど行ってくっか」

確率性の低い話にすがってしまうほど、俺はこの状況にげんなりしていた。これが俺の最大のヒット作となったらどうしよう。そうだ、この作品はお蔵入りにしよう。そうすりゃ、あのキスも酔って覚えていないことにできる。うん、そうしよう、推敲なんてやめて——

「お客さん、うちに何か用かな?」

「へ?」

話しかけてきたのは、黒髪の長い女。占い師のような風貌。ただ、あどけない感じの顔。まだ、若いんじゃないか。後輩と同じくらいかもしれない。

「あ、いや、間に合ってます」

あいにく、俺は占いなどにはかかわりたくない。

「いーや、お客さんからは未推敲原稿の匂いがぷんぷんする」

「あれ、ここ、推敲屋さん?」

周囲を見回すと、後輩の言っていた場所だった。どうやら、悩んでいる間に来てしまったらしい。

「いかにも、どんな小説でもスマートに最大限面白く、かつ、作者の違和感がないように推敲しちゃう、推敲屋です」

笑顔の推敲屋さん。あんまり屈託ない顔だったもんで、俺はなんだかちょっとこのいたいけな少女をいじめたくなる。この、R-18にカテゴライズしたほうがいいんじゃないか、な線を行く原稿を見よ!

「じゃあ、お願いするわ。推敲屋さん」

「承りました!」

にっこりと笑って、俺の原稿を受け取る少女。頭の中を罪悪感がよぎる。

少女は、原稿を占い師風の机の上でぽんぽんと揃えると、そのまま端から速読し始める。ぱららららら、軽快な音でめくられていく原稿を、目で追っていく少女。その少女の顔にだんだん赤みがさしていく。ぱた、最後のページを読み終わった少女は机に突っ伏す。なんだか、かわいい仕草で俺はどきっとしてしまう。なんだ、俺、女の子にもかわいいと思えんじゃん、最近後輩に対してしかそういう感情抱かなかったから、麻痺してた。

「こ、こ、こんな恥ずかしいもの、よく、読ませられますね」

「ん、まあ、俺小説家だから」

「小説家なのかもしれませんけど、これはっ。は、破廉恥です!!」

頬を赤らめ、こちらを見つめてくる少女にちょっと後輩の面影を見つけてしまう。ちょっと待てよ、後輩に似てるから俺はこの子をかわいいと思ってるのか? いや、ちょっとそれは、男としてどうなんだ。

「で、推敲できるの? できないの?」

自分の中の戸惑いを振り払って、俺は推敲屋の少女に詰め寄る。

「で、できます。見ててくださいね」

少女は、原稿にペンを当て、目を閉じる。それは、俺が念写をしているときと似ていて、俺は思わず「おおっ」と声を上げる。ペン先から、不思議な色の光が放たれ、原稿の中を泳ぎ回る。

「ふっ」

少女が小さく息を吐き出して、目を開ける。

「終わりました」

「お、おう」

俺は原稿を受け取る。この場で読むのもなんだかな、と思ったが、もし推敲されていなかったら詐欺に他ならない。少しでも確認すべきだ。

そう思って読みだした俺は、一気に物語の世界へととらわれてしまう。

なんだこれは。読みやすい。そして、作者である俺の重要視している部分はそのままに、迷った言葉や悩んだシーンをすんなりと、納得するような形に書き換えている。普段自分でさえ読みづらい文章が、こんなに変わるのか。なんだ、なんなんだこれは。

「すごい」

口から素直に称賛の言葉が漏れる。

でも、よんでいくうちに一つだけ違和感を覚える。これ、この文章。この直し方。俺は知っている。

「なあ、推敲屋さん」

推敲された原稿を読み終わった俺は、推敲屋の少女をじっと見つめる。よく見ればわかるじゃないか。そう、俺はもっとちゃんと。見た目の先入観で俺は勝手に判断すべきじゃなかった。

下を向いてぷるぷると震える彼女に、俺は改めてかわいいと感じる。

俺は、そっと手を伸ばし、彼女の被っているウィッグをゆっくりと取った。

「……先輩、僕」

彼女はうるんだ瞳でこちらを見つめてくる。

「さっきは突き飛ばしてごめんな」

そう言って、俺は彼女の唇に謝罪のキスをした。

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