紙とペンと伝言ゲーム

津田梨乃

紙とペンと伝言ゲーム

 それは、いつも置いてあった。


 仕事で赴いた地方のバス停には、決まってペンと紙が置かれていた。

 義輝がそれに気づいたのは、四度目の打ち合わせの帰りだった。

 話が思ったより長引いたことと、交通の便の悪さが重なり、珍しく本社からは直帰を許可してもらえた。


 日が沈んでいない頃合いなので、喜ばしい。

 しかし、次のバスは二時間後で嘆かわしい。

 今までは、運良く乗れていたことに気づく。

 不幸なことに暇を潰せる書店も、喫茶店もなかった。見渡す限りの田園風景だ。

 義輝は仕方なく、バス停で腰を下ろした。古木でできた小屋は、長居を想定していないのか、すきま風がやたらと寒い。


 これでは風邪をひく。しばらくは耐えたが限界だった。せめて軽い運動を。義輝は、狭い小屋をうろうろ動き始めた。

 色褪せたポスターを眺めながら、ふと視線を落としたときだ。簡易的に取り付けられた板の上に、紙とペンが置いてあることに気がついた。

 今ほど携帯が普及してなかったころ、伝言メモ的な役を担っていたのかもしれない。その名残といったところか。


 輝義は、ペラペラとめくってみるが、なにかが書かれた形跡はない。白紙のままだ。そこかしこに貼ってあるポスターに比べて、妙に紙が綺麗なのは気になったが。


 暇つぶしにはいいか。義輝は、ペンを手に取り絵を描き始めた。

 学生時代にノリで考えたオリジナルキャラクターを紙いっぱいに殴り書く。

 ヘビメタテイストの鶏がアコースティックギターを持って、ピヨピヨ鳴いている。悪ふざけ以外の何物でもない産物だ。先輩に命名してもらったが、その日に忘れた。


「戻りてえなあ……」

 ペンを置いて、呟く。最近、思い出すのは学生時代のことばかりだった。

 あの頃はよかった。そんな月並みな言葉をまさか自分が言うことになるとは。


 しばらく歩き回るうちに、バスがやってきた。義輝は、ペンを持ったままなことに気づき、慌てて元の位置に戻した。明日も仕事だ。



 別の日、義輝は、去りゆくバスを呆然と見送り、停留所の小屋をくぐった。

 気になるのは、やはり件の紙だった。果たして自分の力作は残ってるだろうか。暇つぶし程度にのぞいてみた。


『カワイイキャラクターですね。名前はなんですか?』


 知らない文字が踊っていた。育ちの良さを伺わせる、規律正しい綺麗な文字だった。


 義輝は、困った。

 名前などない。いや、忘れた。

 けど見たからには答えなくてはならない。


 謎の使命感に駆られた義輝は、即興で『カーペンター』と書き添えた。その場に紙とペンがあったのと、たまたま今朝カーペンターズを聴いてきたからだ。

 センスをどこで置き去りにしたのか。義輝は、期待している誰かに心で詫びた。



 また別の日。今度は意図的にバスを見送っている自分がいた。連絡した上司は不機嫌になったが、社会に出て身につけた平謝りでなんとか乗り切った。


『じゃあ、こうすればカーペンターズですね』

 そんなメッセージと一緒に可愛らしいネコが書き加えられていた。ピアノを弾いている。


 義輝は、なんとなく嬉しかった。

 学生時代の友人は、所帯を持ったり、仕事に忙殺されていたりで、まともに交流している人間がいなかったのだ。

 どんな形にせよ、損得抜きのコミュニケーションは心地よいものだった。


「絵、上手いですね。美大出身とかですか?」

 気になったことを書いてみる。本当に上手いと思ったのだ。単に、義輝の美術的センスが低すぎる可能性もあるのだが。

 仮に返事がなくても、顔も知らない相手だ。気楽でいい。

 チャットにはまる甥っ子の気持ちが少しわかった気がする。



 それから客先に赴くたびに、バスを華麗にスルー。紙を通じて、謎の誰かと交流するのが定番になった。


『いいえ。ただ絵をかくのが好きで。ほめられたのは、はじめてです。ありがとうございます』

「すごい。美術で2を取ってた身としては、芸術レベル」


『ほかに何かかけますか?』

「スライムが書けますよ」

『? これがスライム? もっとドロドロしてるのでは?』


「似顔絵描いてみました」

『こわいです。ヒゲを足しましょう』

「では、サングラスも」

『こわい』


『ネズミを描きました』

「夢の国の偉い人に見つかる前に、隠しましょう!」


『じつは、犬が好きです』

「え!?」


 気づけば、クライアントに会いに行くのではなく、この伝言ゲームをやるために、ここまで来ているとさえ思えてきた。

 この気の抜けたやりとりは、社会でささくれ立った義輝にとって癒しとさえ言えた。


 しかし、そんなひと時の楽しみも呆気なく終わった。


「もしかして、ここの紙を変えているのは、あなたですか?」

 はじめて紙とペンの存在に気づいた時、ポスターに比べて、妙に新しいことが引っかかっていたのだ。義輝としては、何気ない話題提供のつもりだった。


『はい。ときどき、古くなったら新しいのを置いてます』

 やっぱりか。自分の推測は当たっていた。そこでやめていればよかったものを。


「どうしてそんなことを」

 そう書いてから、返事が途絶えた。

 次の時も、その次の時も、返事は書かれていなかった。

 顔の見えない相手だから気楽だ。そんなことを思っていた自分はいずこやら。

 ネットの子に恋をした。そう言って姉を困らせた甥の気持ちが少しわかった。



 頭の固いクライアントが、ようやく注文の欄に判を押した日も、やはり返事はなかった。


 交換にも来ないか。

 ひどく寂しかった。



 やがて、クライアントが繁忙期ということもあり、しばらく打ち合わせに行かなくなった。行ったとしても、バス停にはよらず、ダイレクトにバスに飛び乗った。


 学生時代なら、まだしも日々仕事に追われている身だ。自然と伝言ゲームのことは頭から抜け落ちていった。ちょうど同じ時期に友人たちと再会し、交流が復活したのもそれを後押した。



 半年ほど経過した。納品前のデモテストのために、再び客先を訪れた義輝は、久々にバスに乗り遅れてしまった。

 季節は、もう夏になっていた。木小屋に入ると、冬はすきま風で寒かったのに、今はどういうわけか熱がこもって暑かった。

 ふと思い出し、紙とペンのスペースを覗いた。


『ごめんなさい。じじょうがあって、ここに来ることができませんでした』


『もう来られませんか?』


『思い出に、今までの紙はもらいますね。ありがとうございました』


 はじめの文は、雨風で掠れて辛うじて読めたものだ。後の二つは、それよりも新しいが、直近に書かれたのものではないだろう。

 紙は、湿気と日当たりで黄色く変色していた。


 義輝は、デモテスト用に持ってきていた太いマジックで、「今週の日曜待ってます」とでかでかと書いた。なぜ、そうしたのかは、自分にもわからない。

 紙は重なったそれにも染みるほどだった。



 日曜。

 義輝は、仕事でもないのに、バス停にいた。紙が回収された形跡はなかった。


 午前のうちは気持ちに余裕があった。しかし、持参したおにぎりを胃に流し込み、お茶を全て流し終えると、とたんに虚無感が襲った。


 何をしているんだ、俺は。


 帰ろう。そう思うが、ちょうどバスを見送ったばかりだった。日曜は平日と違い、本数が変わるようだ。次の時間は……確認して崩れそうになる。これなら歩いた方が早い。

 明日は、早出だ。デスマーチも確定しており、束の間の休息だったというのに。

 義輝は、座り込み、せめてもの体力回復をはかろうと目を閉じた。バスのエンジン音が遠くで聞こえた気がしたが、体は動かなかった。



「あの」

 声がした。義輝は目を開ける。今日は何曜日だ。日曜日? いや、でもあの後帰った記憶が。まさか。

 ガバリと起き上がる。「ひゃい」と小さな悲鳴が聞こえた。見れば、後ずさる影が一つ。


「……今日って何曜日ですか」

「に、にちようびです」


 よかった。会社は休みだ。義輝は二度寝をするくらいの勢いで、またへたり込んだ。影は、ますます後ずさっていく。申し訳ないことをしてしまった。


「あ、あの」

 義輝が謝罪を口にしようとすると、向こうの方から話かけてきた。


「間違ってたらすみません。その……カーペンターの人ですか?」

「君は」

「えっと、私は……なんの人なんでしょう」

「……猫の人?」

「ねこ」

 約束は、果たされたらしい。


「ずっと、来れなくて。ごめんなさい」

 相手は、ぺこりと頭を下げる。この健気さは、義輝が遥か昔に落としてしまったものかもしれない。


「私、友達少ないから、ここの紙を使って誰かと仲良くなろうかと思ってて……」

 なかなかファンキーな試みだ。こんなところに書き込む酔狂な人間に悪い奴はいない。と、義輝は勝手に思った。


「カーペンターが描かれてるのを見た時、すごく嬉しかったんです。でもすみません。熱を出して、しばらく来れなくなって……」

「あ、いや。うん。俺もあれだ。熱出してたから」

 お互い様だなあ、と無理して笑う。純度100パーセントの嘘が息を吸うように出てくるあたり、俺の心は汚れている。義輝は、心で泣いた。


 相手の人は、よかったあ、と手を合わせた後、なにやらもじもじし始めた。


 認めよう。義輝は、相手の人を同い年くらいかつ、聡明な女性と思っていたことを。

 認めよう。義輝は、この出来事をきっかけにお付き合いを……とか考えていたことを。

 チャットの子に会いに行ったら、男だった。そう言って、泣きそうだった甥っ子の気持ちが少しわかった。


「あの……よかったら、お友達になってください!」


 お気づきだろうが、猫の人は、の女の子だった。


 もちろん義輝にの趣味はない。

 義輝の好みは、年上でグラマラスな大人の女性だ。



 しかし、しかしだ。どうにも胸躍る気分は、偽れるものではなかった。いくつになっても友人が増えるのは喜ばしい。



 今度、甥っ子でも連れてくるかあ。

 そう思いながら、義輝は、親指を立ててやった。





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紙とペンと伝言ゲーム 津田梨乃 @tsutakakukaku

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