第1章 



 空は青く、雲ひとつ見当たらない。



 快晴だ。ここ数日荒れていた天候が嘘のように澄み切っている。


 馬が引く馬車の後ろを歩いていた鎧姿の男は甲冑の隙間から空を見上げながら、そう思った。



「ア”ァ”~~~ッ!!尻が痛い!オイ、アグウィベール!聞こえておらぬのか、アグウィベールよ!!」


 

 突然 聞こえてきた女性の声に、アグヴィベールと呼ばれた男は空から馬車の荷台へと視線を戻した。

 


「オイ、アグヴィベール!最愛の主人であるこの私をこのような古ぼけた馬車に乗せておいて何を悠々と歩きながら空を見ておるのだ!!」



 そこにいたのは声を大にして、馬車の荷台から身を乗り出した長髪の女性だった。

 馬車の乗り心地の悪さに相当ご立腹らしく、手に持つ小さな杖をこちらに向かって不満を漏らしてきていた。



「もう我慢ならんぞ!乗り心地が悪いだけならまだしも獣臭くて構わん!私の尻も限界だ!!私は降りる!降ろせアグヴィベール!こんな馬車など乗っていられるものか!!」



 獣臭いのは馬車だからだ。とアグヴィベールは辟易した。

 馬を引く馬車の騎手に聞こえようとお構い無しの彼女の傍若無人ぶりには呆れを通り越して尊敬の念すら覚える。


「申し訳ありませんお嬢さん。ここいらの道は魔女の森の名残がまだあるのか。野盗も妖魔も現れないので我々商人にとっては安心して街まで行ける唯一の道なのです」



 馬を引きながら少し年のいった商人の男が申し訳なさそうに謝罪すると馬車を止め、降ろしやすく配慮してくれた。

 男の親切心に不満を大に口にしていた彼女はジッと不服そうに睨んだ後、アグヴィベールに向き合った。


 

「…アグヴィベール!」



 馬車まで止めさせたのだ。これ以上無視していたら何をしでかすか分かったものではない。

 杖を振り回す彼女の元に近付き、馬車から降ろすと女はようやくやって来たアグヴィベールに遅い!と憤慨してきた。


「何をモタモタしおったのだ貴様は!私の言葉には如何なる時も優先せよとあれほど命じておるのに貴様と言うヤツは!」


「…そも馬車に乗ってみたいと言ったのは貴女の筈ではなかったか?」


「口答えするでないアグヴィベールよ。私はそんなことは言っておらん。お前の聞き違いだ、お前の背中の方が快適に決まっておるではないか。獣になんぞ劣るはずが無かろう」



 当然とばかりに胸を張り屁理屈を一方的に言いのけた彼女は子供のそれその物だ。

 たまたまやって来た馬車を優雅そうだから乗りたいと言っておきながらワガママが過ぎる。



「…何を呆けておる。早く私を背負わんか。日が暮れるまでに街に行くのだぞ」


 

 どれだけ頭を悩ますことを言おうと彼女には関係ない。アグヴィベールは小さくため息を吐いた後、彼女を乗せた際に置かせてもらった背負子を背負うと彼女は嬉々として背中に座った。



「うむうむ。やはりこの乗り心地だ。流石私の愛しい騎士殿だ」



 一人満足げに頷く彼女を背負ったアグヴィベールは再びため息を吐いた後、乗せてもらった商人に僅かな硬貨と礼を言い、街までの道を進み始めた。



 道中はそれほど険しい道のりでは無かったが、先ほどと打って変わって上機嫌となった彼女の気まぐれには程々手を焼かされる。

 急げと言っておきながら実った木苺を見つけ採ってくれと命じ、喉が乾いたと不満を溢してはアグヴィベールの足を止めさせる。

 そんなことを繰り返ししばらくして日が沈みかけた頃、森の中にある道を歩きながらアグヴィベールは意を決して言うことに決めた。



「キルフェイ」


「なんだ?あぁいや、言わずとも分かるぞ。アグヴィベールよ。本当は街に行きたくないのか、であろう?」


  

 切り出そうとしたアグヴィベールの言葉を先読みし、鼻歌を歌っていたキルフェイは何でも無いように言ってきた。

 やはりな、とアグヴィベールは小さく肩を落とした。

 キルフェイは騒がしい場所を好ましく思っていない。長年自然豊かな場所で住んでいたのもあるが、彼女曰く騒々しいのは盛った獣だけで良いらしい。



「街は好かぬ。空気は汚れ、水は清らかさを失い鉄の打つ音は耳障り、その上欲も人も際限なく溢れかえっておる…そう母様が毎日言い聞かせてくれたわ。街は危険で溢れておるとな」


「…だったら何故、街に行く?」



 そうまで言っておきながら、何故彼女は街に行けと命じるのか。アグヴィベールはすでにその答えを分かってはいたが、敢えてそう口にした。

 アグヴィベールの言葉に、キルフェイは得意げな表情でニヤリと笑って見せる。



。生涯を愛しい愛しいお前と森の中で静かに過ごすのは至上であろう。だが、好奇心に駆られ外に目を向けるのも一興と言うものよ」


「…好奇心は猫をも殺すと言うが?」


「それもまた一興。まあそんなことはあるまいがな。お前が殺される事など万にひとつもあるまいよ」



 妖艶で不敵な瞳を向けられ、キルフェイの微塵も疑っていない強い信頼にアグヴィベールはキルフェイには今日何度目かのため息を吐いた。



「………何故街に行くのを拒む」


「乙女とは怖がるものなのだアグヴィベールよ。しっかり私を守れ、離れることは許さんぞ?」


 傲慢なのか。臆病なのか。満足げな顔で鼻歌を歌い直すキルフェイにアグヴィベールはバレないように静かに呆れ果てたのだった。





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異端者の寵愛に接吻を モッキー @276001

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