4.ずっと、そばにいて

美菜みな、ずっとそばにいて」

 近くで聞こえたその言葉に、君らしくないなぁと思いつつも、私は手を強く握り返した。

「そんなの当たり前に決まってるじゃん」

 少し意地が悪そうに返してみると、彼はふっ、と笑う。

 私だって君がそばにいてくれるだけで幸せだから。

 ずっとずっとこんな日々が続くと信じていた。

 __そんな幸福の毎日が一瞬で壊れてしまうなんて、思いもしなかった。




「...え?」


 一日の疲れを背負い、家に着いた私はポストを開ける。

 そこには見覚えの無い紙切れが入っていた。

“これから洋一よういちに近づいたら、お前の命は無いと思え”

 大きく書かれたその文字に、馬鹿げた内容だなと鼻で笑った。


 それから部屋で書類を片付けていても、頭にさっきの言葉が過ぎる。

「もう、寝よ」

 心を落ち着かせるためそう言葉に出して、私は無理矢理眠りについた。


 次の日も、その次の日も。その奇妙な手紙は私の元へ届き続けた。

 一週間経って、書いてある内容が変わった。

“洋一と関係を続けるなら、洋一の命さえ惜しまない”

 今までは私だったのに、なんで彼が?

 そういう疑問も恐怖もぶつけることは出来なくて、時間が過ぎた。

 当然、彼と連絡なんか取れるはずもなく、いっそのこと私がいなくなってしまえば良いんだ、という思考が心に巣くった。

 私が離れれば、彼は幸せになりますか___

 そう思うと突然に、涙が頬を伝わった。




 prrrprrr…


「あっ、美菜。お前さぁ…なんで連絡くれなかったの。心配したんだけど」

 一か月ぶりに聞いた君の声。機械混じりに伝わるのが惜しくて、引いた涙がまた出そうになる。

「ごめん」

「ごめん、じゃなくて…なんかあったの?」

「…」

 言い出すにも勇気が要るから、何度も口を噤んだ。

 でも、決めたことだから、ちゃんと言わないと。

「別れよう、うちら」


「…え?」



「私は、洋一のことが嫌いになったの。だからもう、近づかないで」

「は?どういうことだよ…」

「そういうこと。じゃあね、ばいばい」

「は?おい、待てって。え?おい、美菜!」


 プツ__


 途切れた君の声。

 もっと聞いていたかった。でも、これで、これで良いんだ。

 被っていた仮面が剥がれ始め、涙腺が崩壊する。

 ごめんね、素直じゃなくて。

 ごめんね、最後まで愛せなくて。

 ごめんね、そばにいられなくて。

 それでも、私は、君のことが大好きだよ。


 スマートフォンの画面に映る電話帳の君の名前。

 愛おしく撫でても、もう使うことはないのだと悟った。




 それから何か月が経っただろう。

 あんなに大好きだった君の電話番号を消してしまったのが、つい最近のことだ。


 ピンポン__

 家のチャイムが鳴る。

「はい」

 そう言ってインターホンのモニターを覗くと、見知らぬ人影が映る。

 宅配便ではなさそうだし、回覧板でもなさそうだ。

「どちら様ですか」

 すると聞こえてきたのは粗く汚い息。

「ぼ、ぼくだよ。君のことが大好きなの。開けて、開けて」

 これは、いわゆるストーカーというやつか。

「すみません、帰って下さい。誰だか知らないですけど、警察呼びますよ」

 言葉は続く。

「知らない…?そんなわけないでしょ。この前手紙を書いたのもぼくなんだから」

 手紙…?

 はっ、と脳裏に浮かぶ。

 私が不安で仕方がなかったあの紙。

 あれのせいで、最愛の人を失った。

「あれ、貴方のせいなんですか。なんであんなことしたんですか」

 本当は無視することが一番だとは知っていたけど、やるせない気持ちでいっぱいになり、つい聞いてしまった。

「なんでって、君が他の男といるからだよぉ。嫉妬だよ、嫉妬」


 は?

 意味が分からない。


「だから君のことが好きで付いて行っちゃった。ねぇ開けてよ」


 ふざけるな。

 あんたのせいで…私は、私は!


「意味が分かりません。もう…やめて、下さい」


 涙が嗚咽となり、声が出ない。

 その男はしつこくドアを叩き、挑発してくる。


 助けて…

 助けて…




「お前何やってんだ」


 ドア越しで聞こえた君の声。

「へっ、い、いやぼくは何も」

 あぁ、君だ。

 君がいるんだ。


「何も、じゃねぇだろ。こんな夜中に」

「えっ、いや、あの」

「おめぇだよな、美菜ストーカーしてたの」

「そんなっ、こと、してないです」


 ドア越しに交わされる言葉。

 君の声は聞いたことがないくらい、苛立っているのが分かった。


「自分が何やってっか、分かってんのか、おい!」

「あのっ、えっと」

「逃がさねぇぞ。てめぇのせいでな、こいつは悲しんで、不安になったんだ」


 遠くでパトカーの、低いサイレンの音が聞こえた。


「はっ、反省しました。だから…」

「言い訳は警察に気が済むまでしてろ、馬鹿が」


 そのあと、知らない男の人の声がして、少しわめく声がして、サイレンは遠くなっていった。



 ガチャ__


 やっと会えた。

 でも、怒ってるよね。

 こんな無責任の女の子なんて、もう嫌いだよね。


「よう、いち…」

 堪えきれなくなった声が、涙が、

 君に伝わり切れないくらいの愛が。


「ごめんね、ごめん…もう嫌いだよね」

「何言ってんの、好きだよ。ずっと、ずっと大好きだよ」


 君の言葉に安堵して、涙は止まらない。


「私も、大好き。洋一のこと大好き」

「もっと早く気付いてられなくてごめんな」

「なんで…?私の方が悪いのに、馬鹿なのに」

「美菜は馬鹿じゃないよ、俺の彼女なんだから。すんごく綺麗で可愛い彼女なんだから」


 私はそれから、ふふ、と笑って言った。


「じゃあ私の彼氏はかっこよくて、イケメンで、どんな時でも助けてくれるスーパーヒーローだね。」

「なにそれ。…なぁ美菜」

「ん、なに?」

「今度こそ、そばにいてくれる?」

「うん、ずっとそばにいる。絶対離れたりなんかしない」

「俺も、そばにいる。いなくなったら、また見つける」


 その日は二人で誓った。

 お互いがそばにいることを。

 絶対離れたりなんかしないことを。



 その上では満天の星が私たちを見て、微笑んでいた。

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珈琲短編集 紅絹ウユウ @momiuyu_0819

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