3.一番星が見えた日に

 日が落ちるのが少し早くなり始めたこの頃、夕暮れ色に染まる街を二人で歩いていた。

 遠くで帰りを惜しむ子供の声が聞こえる。可愛いね、と共感を求めようとして君の方を見れば、夕焼けが君の瞳に反射して、余計に美しく染まっていた。

「一番星が見えた次の日は、きっと晴れるんだって誰かが言ってたね」

 その照れ臭い気持ちを隠すように、少し上のほうを向いて私は呟く。それに反応して彼も同じ方向を見つめた。

「そうだっけ。あ、ほんとだ、一番星。」

 辺りは紫に占領されて、それでも綺麗なままだった。

「ねぇ、瞬也しゅんや。明日どっか行こうよ」

 珍しく明日休みをもらった私は、君といることを望んだ。

「うーん、明日は用事あるんだよね。ごめん」

「そっか。」

 期待はどこかに抜けていって、不満な心を仕方ないんだ、と納得させた。


 。


 次の日私は、こんなにも天気がいい日に外に出ないなんて、一生悔やむぞ!と主張の強い太陽に押されて街に出た。

 昨日の予言は的中し、雲一つだけがぽかりと浮かぶ快晴になった。

 周りを行く人々もこの天気のせいか好機嫌に見えて、私まで楽しく思える。君が隣にいないのに楽しんじゃってごめんね、と密かに呟いた。

 と、なにか見覚えのある服装が目に移り、反射的に振り返る。ここに居るはずのない君がいる気がして、人混みの中跡をつけた。

 早歩きなのに、距離は縮まらない。それが、何か悪い伏線のようにも思えて気分が悪くなる。

 大量の人混みの間から、その人の隣に女性らしき人がいるのが分かった。

 わずかに見えた輪郭。それはやはり君のもので、それでも、その時見えた君の表情は、私が知らない顔だった。

 何故君がここにいるのか。

 何故君が私ではない女の人と歩いているのか。

 何故あんなにも楽しそうなのか。

 そんなこと私には到底理解できなくて、機嫌は沈んだまま家へと帰るしか、他が無かった。


 いろいろな感情が混ざって、昨日は良く眠れなかった。ただ、私の枕だけが、涙を拭ってくれた。

 そんな日の朝に、私は決意を固める。話したいこと、話さなきゃいけないこと。

 もう、君のそばにはいられない、と。


 。


 馴染みのカフェで待ち合わせをする。

 君はいつも予定の時刻より遅れてくるから、今日もそうなのだろうと、重い足取りで店へと向かった。

 予想は見事に外れて、そこには眉の下がった君がいた。私が何も言わずにいると、気遣ってか、彼はカフェラテを二つ頼んだ。

 メニューも見ずに言える口調は、これまで何度二人でココに来たのかを、物語っているように見えた。

「やっぱさ、うちら無理だったんだよ」

 店員さんが去ってから、間もなく私は告げた。

紗乃さの、だから昨日のは違うんだって」

「何が違うの?昨日、街で女の子と二人で歩いてたよね。しかも、凄く楽しそうに」

「だから、昨日は…」

 何度も言葉を濁す君が憎くて、もう抑えきれない。

「だから、だからって。言い訳しないで認めてよ!」

 それまでゆったりと流れていた空気が一瞬にして凍り付いた。

「もう私じゃなくて良いんでしょ?そうなら、そうって言ってよ…」

 滲む視界の先は何も無くて、鼻をすする度に匂う香りさえも、鬱陶しい。


「紗乃、ごめん。…これ」

 ガサガサと音がして見てみれば、有名ブランドの紙袋が机に乗っていた。

「誕生日プレゼント、紗乃に」

「…え?」

 思いがけないその事実に、言葉が出て来ない。

「紗乃がもうすぐ誕生日だから、なにかプレゼントあげようと思ってさ。でも俺、女の趣味とか全然分かんなくて、でも妹は相手にしてもらえなくて、結局、元カノと一緒に買いに行った。」

 彼の言葉は続く。

「誤解かけちゃってごめん。こんな素敵な彼女いんのに、他の女と歩くとか、ほんと俺最低だよな。もう絶対そんなことしない。ずっと紗乃のそばにいるから」

 溢れ出す涙はさっきとは全然違う温かさで、私を包んでくれた。

「そんなのっ…ごめん、ごめんね」

 私は涙交じりで、うわごとのように繰り返す。

「なんで?俺の方がごめんだよ。だから、もう泣かないで」


 やっと止まった涙の先には、それでも眉の下がった君がいた。

「…失礼します。ご注文のカフェオレでございます」

 タイミングが良いのか悪いのか、運ばれてきたカフェオレは私が好きなバニラの香りがした。

「…ねぇ、瞬也しゅんや。これ、開けていい?」

「うん、良いよ」

 そう言って微笑む彼の許しを得て、私は紙袋を開けた。

 中から出てきたのは、落ち着いた色をした長方形の箱。小さく力を加えると、パカッと音を立てて箱が開く。

 そこには黒いフレームをした、細淵の眼鏡が入っていた。

「…眼鏡?私視力2.0だけど」

「これ、ブルーカット眼鏡。なんかスマホとかパソコンとかから出てる光を削減する…みたいなやつ」

「へ、へー凄い。便利だね」

「絶対分かってないよね」

 突っ込みを受けつつ、その細いフレームをかけてみる。

「…どう?」

「頭良さそう」

「…他には?」

「はいはい、可愛い。」

「何それ」

 さっきまでの甘い君は、どこかに行ってしまったようだ。


 …それと、ひとつ気がかりなことがある。

「…あのさ、私の誕生日3か月後なんだよね」

「へっ!?」

 目を見開いて驚く姿は、少し可笑しい。

「ていうか、なんで誕生日分かったの?言ってないのに」

「いや、SNSの最後の四桁、あれ誕生日じゃないの!?」

「えー違うよ。ただの思い付き」

「マジか…」

 彼はがっくりと肩を下ろして、俯いた。

「でも、良いよ。良いものもらったし。…ちょっと誤解はあったけどね」

 彼はふふ、と笑って、カフェオレを口に注いだ。


 。


 つい話し込んでしまい、店を出るときには、空が橙色に変わっていた。

「あ、一番星」

「え、どこどこ?あ、ほんとだ」

 彼の言葉で、空に浮かぶ存在に気付く。

「明日は晴れるね」

「うん、そうみたい」

 紫とオレンジが混ざった空を見ていると、首が痛くなったので、視線を君へと変える。 君も同じことを考えたのか、不意に目が合ってしまう。

「明日はどっか行こーな」

「うん、ぜったい」

「ぜったい」


 さて、晴れた明日は何をしようか。

 君と一緒なら、なんでも楽しいのだけど。

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