紙とペンと、「三人の」悩める小説家【KAC4】
Nico
紙とペンと、「三人の」悩める小説家
紙とペンと……。
さて、もう一つを何にするか。あとは、ジャンルも決めなくては。
僕は喫茶店の椅子に腰かけると、心の中でつぶやいた。
ずっと考えているが、なかなかアイディアが浮かばない。鞄の中からいつも通りパソコンを取り出そうとして、ふと手が止まる。
待てよ、せっかくお題が「紙とペン」なのだから、今回は手書きにしてみるか。
二度手間ではあるが、気分を変えて普段と違うことをすれば、何かいいアイディアが浮かぶかもしれない。まったく根拠などなく、どちらかと言えば神頼みに近かったが、僕はそうすることに決めた。
そう言えば、小説を書き始めたころは、原稿用紙に書いてたっけ。
懐かしさに駆られながら筆箱を取り出したところで、あることに気づいた。ペンはあるが、紙がない。最近はメモですらスマホで済ませているので、文房具は携帯しているが、ノートは入っていなかった。
仕方ない、いつも通りパソコンで書くか……。
相変わらず何の根拠もないが、急にいいアイディアが浮かばなくなった気がして、手書きをするというアイディアを持ち出した三十秒前の自分を恨んだ。
と、何気なく視線を向けた隣の席に目が留まる。飲みかけのアイスコーヒーの横に、白紙の原稿用紙が束で置かれている。それ以外には何もなかった。奇妙な状況の一致に首を傾げた僕の脳裏に、ある考えが浮かぶ。
一枚、もらってしまおうか。
しかし、すぐにその考えを却下する。紙切れ一枚とは言え、立派な窃盗だ。
持ち主が戻ってきたら、一枚もらえないか頼んでみるのはどうだろう。
不意にある言葉が浮かんだ。僕はそれがこぼれ落ちないように、慌てて手元にあった紙ナプキンにペンを走らせた。
『悩める小説家』
うーん、イマイチか……。
そこで、あることに思い当たる。僕はなぜ隣の席の人物を彼女だと思ったのだろうか。思わず、笑いが漏れた。おそらく、それは僕の願望に違いなかった。それから隣の席にいたはずの「悩める小説家」を想像しながら、僕はストローを
* * * * *
紙とペンと……。
あと一つを何にしよう。あとは、ジャンルも決めなくては。
私はアイスコーヒーの載ったトレイを運びながら、心の中でつぶやいた。
席に着き、バッグから原稿用紙を取り出す。私は小説を書くときは手書きと決めていた。主義や信念、と言えるほど強いこだわりはなかった。昔、一度パソコンで書こうとしたことがあったが、いくら画面とにらめっこをしてもただの一文字も言葉が浮かばなかった。以来、常に草稿は手書きだった。
原稿用紙を取り出したところで、ふと手が止まる。
しまった、ペンがない……。
記憶を昨日の夜までさかのぼり、自宅で執筆をしたあとにバッグにしまい忘れたのだと気づいた。
仕方ない。家に帰って仕切り直すか。
そう思いながらも、どこか口惜しい。自宅で書いていても筆が進まなかったので、今日は気分転換にカフェに来たのだ。私はアイスコーヒーを飲みながら、どうするか考えた。
お店の人に借りるか。
だが、すぐに思い直す。いったいどのくらいの時間借りることになるか、見当がつかない。相変わらず筆が進まないようなら十分で切り上げるかもしれないし、興が乗れば、数時間居座るかもしれない。誰かから借りるのは気が引けた。
そうだ、確かすぐ隣に本屋があったはず。
文房具も置いてあるに違いなかった。私は、飲みかけのアイスコーヒーを原稿用紙の隣に置くと、バッグを手に席を立った。
予想通り、本屋の片隅にはペンの売り場があった。だが、ひとつ予想と違ったのは、予想よりも品揃えが豊富だったことだ。三メートルはあろうかという棚一面に、びっしりとペンが陳列されていた。
まずい。
私は直感的に思った。きっと私は迷ってしまう。
いまは書ければ何でもいいのよ。迷うな、私。
そう言い聞かせたものの、最初のペンを手に取るまで優に三分は掛かってしまった。結局、新しいペンを手に入れてお店を出た時には、三十分が経っていた。
私は急いで戻った。急ぐあまり、カフェに入ったところで若い男性に肩からぶつかってしまった。「ごめんなさい」と彼の背中に声をかけ、自分の席を目指す。
アイスコーヒーと原稿用紙は三十分前と変わらずそこにあった。ただひとつだけ三十分前と変わっていたのは、グラスの氷がなくなり、少しだけアイスコーヒーの色が薄くなっていたことだった。
私は席に腰かけると、買ったばかりのペンを手に取った。と、すぐ脇の床に紙ナプキンが落ちていることに気づく。放っておこうかと思ったが、常に視界に入ってしまうのが気になり、私はそれを拾い上げた。
* * * * *
隣の「悩める小説家」は戻る気配がなかったので、結局僕はいつも通りパソコンで書くことにした。
今日は調子がよかった。物語の中盤まで至るのに、二十分と掛からなかった。このまま最後まで書き上げてしまおうかと思ったが、あえて少し間を置くことにした。これまでの経験から、勢いで書き上げた作品は、往々にして後から読み返すと書き直したくなることを知っていた。
僕は、はやる気持ちをぐっと堪え、場所を変えることにする。お店を出るところで、駆け込んできた若い女性と肩がぶつかった。背中越しに「ごめんなさい」と謝る彼女の声が聞こえた。鈴を転がすような声だった。
道に出てすぐに本屋が目に入る。
そうだ、原稿用紙を買おう。
今回は叶わなかったが、手書きで小説を書いてみるというのは悪くないアイディアに思えた。僕は、どこかわくわくした気持ちで、本屋の入り口をくぐった。
* * * * *
『悩める小説家』
紙ナプキンにはそう書かれていた。
ひょっとして私のことだろうか。
ふと、そんな考えが頭をよぎった。アイスコーヒーと原稿用紙を残したまま、席に戻らない私を誰かがそう表現したのかもしれない。
そんなわけないか。
仮に私のことだとしても、それを紙ナプキンにわざわざ書く人など、いるはずがなかった。
でも、悪くないかも。
私はそう思い、買ったばかりのペンで原稿用紙に文字を記した。
『紙とペンと、悩める小説家』
うーん、イマイチか……。
それでも、特にほかに気の利いたタイトルが浮かびそうな
* * * * *
よし、これでオーケー。
僕は家に帰ると、買ってきた弁当を食べながら、つい先ほど完成した作品を見返していた。最高傑作とはいかないが、悪くない気はする。
「公開」のボタンを押し、ちゃんと投稿されたことを確認しようとトップページを確認する。
『紙とペンと、悩める小説家』
結局、タイトルは変えないことにした。「新着小説」の欄に表示されたその文字をクリックする。
『紙とペンと……。
あと一つを何にしよう。あとは、ジャンルも決めなくては。
私はアイスコーヒーの載ったトレイを運びながら、心の中でつぶやいた』
うん? 「私」?
出だしの二行は自分が書いた文章と同じだったが、そこから先が異なっていた。僕は、すぐ上に表示されているタイトルを確認する。
一瞬、混乱した。タイトルは同じだったが、作者として記されているのは自分のペンネームではなかった。
* * * * *
これで、よし。
原稿用紙に書かれた作品をサイト上に写し終えると、私は「公開」のボタンを押した。それからトップページに戻る。
うん?
そこで私は、束の間混乱した。
『紙とペンと、悩める小説家』
最終的に仮置きから正式採用に格上げとなったそのタイトルが、上下に並んで表示されていた。上にあるのは、間違いなく自分の作品だったが、下はほかの作者によるものだった。私は、そちらをクリックし、読み始めてすぐに心臓が止まるほど驚いた。
『紙とペンと……。
さて、もう一つを何にするか。あとは、ジャンルも決めなくては。
僕は喫茶店の椅子に腰かけると、心の中でつぶやいた』
なんと、二行目までが一言一句同じだった。三行目以降は文章こそ異なっていたが、喫茶店というシチュエーションはそっくりだった。
* * * * *
こんな偶然もあるんだな……。
僕は読み終わったあとも、随分と長い間呆然としていた。これはおそらく、喫茶店で隣の席にいたであろう『悩める小説家』が書いたものに違いなかった。
これはただの偶然ではなく、もう奇跡のような気が、僕はしていた。
* * * * *
こんなことってあるのかしら……。
この小説を書いたのは、なんと『悩める小説家』という言葉を紙ナプキンに残した張本人のようだった。百歩譲って、二人の小説家が同じ空間にいる可能性はあるとして、最初の二行がまったく同じなどということはありえるのだろうか。
これはただの偶然ではなく、もう運命のような気が、私はしていた。
* * * * *
二人の『悩める小説家』は、お互いの作品にほぼ同時に☆を付けると、コメントを書こうかどうしようか、同じように迷うのだった。
そう物語を締めくくると、俺はふぅっと深いため息をついた。一度推敲してから、公開する。それから、少しドキドキしながらトップページを確認した。
『紙とペンと、「三人の」悩める小説家』 ―― Nico
同じタイトルの小説は……残念ながら、ほかにはないみたいだ。
紙とペンと、「三人の」悩める小説家【KAC4】 Nico @Nicolulu
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