マリアさんの日記。

鮎川 晴

ホワイトデーとマリアさん 

桜の便りが届く春三月中旬 週末の金曜日

僕の名は滝沢 健太郎 二十三歳 工学部卒から凡そ一年、課内恒例お花見の場所取りは若手の役割。

自動的に僕と一年先輩の二人が命ぜられ、朝から公園にブルーシートを敷いて、ほとんど咲いてない桜の木を見上げた。


「この桜、三分も咲いて無いですね」

『今日しか都合が付かないから、仕方無いだろう』


僕の所属する技術部システム課は新製品発表前の年度末はとても忙しい。


「先輩、今日の場所取りは上司からの業務ですよね?」

『滝沢、お前未だ甘いな、今日は俺も、お前も年休扱いだ』


「理不尽です」

『それが社会と言うものだ』


「それじゃぁ、僕は来年も、ですか?」

『あぁ、俺は今年で任務終了だよ』

悪びれる事も無く先輩は笑っている。


それでも時折スマホを弄りながら、僕に向かって

『滝沢はお昼に何処で何を食べる?』

「ここへ来る前に、コンビニ弁当を買ってきました」


『じゃあ、俺は食べに行くから後は任せたよ』

「え!」

驚く僕に先輩は、『ユウ君、お待たせ』と来た彼女を連れて居なくなった。

なにがユウ君だぁ、リア充め、あいつもブラックだ。


弁当を食べブルーシートで場所取りをして居る僕の尻に、土の冷たさから底冷えしてもトイレにも行けない。


周りの空いたスペースにはチラホラと場所取りが始まり、今はここを離れられない。


『済みません、近いですけど横は善いですか?』

「はいどうぞ」

声を掛けられて振り向くと、シートを手に持った若い女性が笑顔で訊く瞬間、

僕は彼女を見て固まった。


学生時代の微妙な関係の彼女、西恩寺マリアさんは外国語学部卒で、何処かの広報課に勤めると友人から噂を聞いた事を思い出した。


『滝君、お久ね』

「西恩寺さん、こんにちは、ちょっとゴメン、トイレに行くから、ここを見てて」

・・・命拾いとはこう言う事だろうが、戻った後が不安・・・


彼女の会社用場所取りシートに座る西恩寺さんが言う。

『滝君は前の様に、私をマリアと呼んでくれないのね』

彼女から先制のジャブが飛んでくる

「社会人に成ると、以前の様に軽々しく言えないです」

僕は上体を後ろに逸らしたスウェイで避ける。

もちろんそれは僕の心理的な物だが。


『へえ、私にも敬語なんだ』

彼女から連続のジャブが来る。

「一番下っ端の僕には敬語が標準語です」


『じゃあ、英語でお話しましょうか?』

外国語学部卒の彼女に英語で敵うはずが無く、黙った僕へ畳み込む様に、


『都合が悪くなると、あの時の様に沈黙するのね』

マリアさんが言う『あの時』とは去年の3月14日、ディナーを約束した僕が内定を貰っていた今の会社から、入社研修と言う名目で強制参加になり、彼女との約束をキャンセルした。

当然のように怒った彼女とは其れっきりに成っていた。


「マリアさんには、今でも済まないと思っています」

『滝君は、それでも私に敬語なのね』

通り過ぎる人からは、ブルーシートに正座する僕が彼女から説教されている、と見えるだろう。


『人目が有るからこれ位にしておくわ、今もスマホと部屋は変えてないの?』

「そのままです」

『ふーん、そうなんだ』

学生時代からの口癖は今も変わらないが、その意味は今も判らない。


日が暮れる頃に、お互いの先輩達が集まり、僕達は素知らぬ顔で宴に興じた。


場所取りも、後片付けも新人の仕事、最初に場所取りして最後に掃除して帰る。

しかも今日の僕は有給休暇とマリアさんの説教で最悪の一日だ。


隣に陣取る彼女達のグループは全員で後片付けをして当の昔に帰って行った。


花見で出たゴミを持ち帰り、疲れた僕のスマホがテーブルの上で震えている。

ディスプレイにはメモリーされて無いナンバーに出て応対した。


「ハイ、滝沢です」

『あれから有志で飲み直したら、終電が無くなったよ、今日は部屋に泊めて』

女性の声に相手が誰かと気づいたが、


「どちら様でしょうか?心当たりの無い、間違い電話ですよ」

『私よ、マリアよ、部屋の近くに居る、もう階段を上がっている』


「ビジネスホテルを使えば善いでしょ」

『トイレに行きたいのよ、漏れちゃう、滝君は昼の恩を忘れたの?』

マリアさんの言葉で僕は、場所取りしていたブルーシートの冷たさを思い出した。


「分かったからトイレだけにしてよ」

『そこに誰か女性が居るの?』

次から次へ、マリアさんの口撃こうげきが続く。

「誰も居ないよ」

『じゃあドアを開けて、前に着いた、早く開けないとチャイムを連打しようか?』

僕の反応を楽しむかの様にマリアさんは悪戯をするのか、


「分かったから、ピンポン連打は止めて」

僕が開錠すると外側ドアノブを回してマリアさんは、一目散にトイレに向かった。

用を足して出て来ると、


『私がここに来なくなっても綺麗にしているね、歯ブラシも1本だけ、洗面台に化粧品も無いから彼女の影は無いね』

・・・君は僕の母親か?と突っ込みたくなるが言わない、言えない・・・


「本当に泊まるの?」

『ダメなの?』

質問に質問で返すのは、マリアさんの不機嫌な証拠と記憶している。

何かを言えば火に油を注ぐと思う。


「こんな所で良ければ、どうぞお泊まりください」

『最初から素直に言えばいいのに、シャワーも借りるわよ』


「着替えは有るの?」

『私の下着が前に泊まった時に置いて有るでしょ』


「一度だって下着を置いた事は無いよ」

『滝君のを貸してよ』


「男物を履くの?」

『嘘よ、下着とストッキングの替えくらい持っている』


学生時代と変わってない、ビジュアルの美しさに誤魔化されている、小悪魔を通り越しでドS女王様だ。


シャワーを浴びて、洗い髪にタオルを巻いたマリアさんが居間に座る。


『滝君、目が血走っているよ?酔った私を襲うつもりね』

「僕だって酒に酔っているから充血しているだけです、シャワーを浴びて来るから、先に寝てください」


『あなた、ベッドで待っているわよ』

コントの様に言うが、彼女は僕と一度も交わってない、と言うか僕は今でも童貞だ。


学生時代の彼女は僕へ、

『私が教えてあげるから、大人に成りたいなら、いつでも良いのよ』

そう言うが、ここに泊まっても一度も教えてくれなかった。



彼女を居間に残してシャワーを浴びる僕、彼女がドライヤーで髪を乾かす音が消えて、居間から仕切られた奥の寝室で、マリアさんが寝ていると想像した。


洗面台で歯を磨き、ドライヤーを取りに居間へ行くと、マリアさんが僕の机を物色している。

「なにしてるの?」

『好い物、見つけちゃった』


それはずっと前から机の引き出しの奥へ隠す様に入れた、白い包装紙の小さな箱を手に取り振りながら

『これって、彼女へのプレゼントなの?ひょっとして指輪だったりして?』

「そうだよ、指輪だよ」


『え!冗談の心算つもりだったのに、ゴメンなさい』

「いいよ、渡す相手に振られて、もう必要ないから」


『滝君から指輪を貰える人は、どんな人だったの?』

「気が強くて、意地っ張りだけど、涙もろくて優しい所が有る人だよ」


『そんな面倒くさい人が居るのね』

「そうだね、本当に面倒くさい人が僕の目の前に居るよ」


『え、え、何で、何で私なの?』

「その指輪は去年の今日、ホワイトデーに渡す心算の指輪だったけど、怒った君に渡し損ねて一年間そこで眠っていた」


『ねえ、開けてイイかな?』

「さあ、どうだろう、君に受け取る覚悟が有るのかな?」


『今日の滝君、意地悪ね』

「マリアさんはいつも意地悪だよ」


『ごめんなさい、私がこの指輪を貰っても良いの?』

「マリアさんより好きな人は未だ居ないよ」


『あの日の滝君は仕事なのに、意地を張った私ってバカよね』

「あれも、それも、マリアさんらしいよ」


『ねえ、明日の土曜日も泊まっていいかな?』

「どうしようかな?」


『また、滝君が意地悪を言った、私だって泣くよ』

「冗談だよ、好きなだけ泊まっていくと好いよ」


『ねぇ、どうしてマリアって呼び捨てにしてくれないの?』

「だって僕達は一度もエッチして無い、恋人でも無いでしょ」


『だって私、未経験のバージンなの、人前で裸に成るのは恥かしいでしょ』

「え!そうなの、マリアさんは経験者とずっと思っていた、ゴメン」


最終ラウンドで僕が判定勝利と思った試合は、

最後の逆転カウンターパンチでマリアさんのKO勝ちに成った。


言葉通りにマリアさんは金曜土曜の二日間、この部屋に泊まっていった。


え!僕が童貞を卒業したのかって?、それはあなたの想像に任せます。


ハッピー・ホワイトデー

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