僕の後ろに彼女が

椎慕 渦

僕の後ろに彼女が

人ひとりが一生の間に恵まれる運の量って限りがあると思う。だから宝くじとか年賀ハガキとかスマホゲーガチャとか”ごとき”で、自分の”一生の持ち運”を無駄遣いすべきではない。幸運はここぞという時に、人生を左右する様な重大局面でこそ全弾放出すべきモノだ。そう頑なに信じる僕は、佐江内 均(さえない ひとし)高校二年生。そしてそういう”一生の持ち運”を使い切る程の重大局面にいるんだよ今この4月8日に。


進級して高2になった。クラス替えが行われて新しいクラスになった。高1からの級友もチラホラ居るがほとんどは新しい顔だ。そんな中に彼女はいた。高杉 玲美(たかすぎ れいみ)が。


初めて高杉を見た時”異世界の住人”って思った。均整の取れた手足に整った目鼻立ちの可愛らしい顔、長い黒髪は雑に束ねられてピンと伸ばされた背中を泳いでいる。エルフっぽいというかどう見たって僕らの世界の住人じゃない。異世界にいる娘だと。


当然男子は高杉に注目した。新しいクラスではまだ人間関係が固定されていない。誰と友達になって誰と距離を置くか。4月のスタートダッシュが明暗を分ける。男子はもちろん女子も高杉との距離を詰めようと躍起になっていた。


対する高杉はなんか気の無い素振りで、かといって無愛想と言う風でもなく、「えマジ?」「ふーんそうなんだ」「いいよべつに~」言葉少なに相槌を打ち愛想笑いを返している。これで”お高く留まっている”とか思われないんだから、容姿とキャラとコミュ力の合わせ技おそるべし。


そんな高杉に無関心を装う者もいたが、それは自分の自信のなさをごまかす強がりでしかない事を僕は知っている。だって僕がそうだし。だから行動を起こすでもなく。僕はただ待っていた。幸運の女神が僕の”一生の運”を大放出してくれるのを。半ば諦めながら。


4月8日。担任が大きな袋を持って登壇した。「えとじゃあこの中に机番号を書いたカードが入ってま~す。各自引いてその机に着くように。それが1学期の席な。2学期、3学期も同じようにシャッフルするから」クラスからどよめきが起こる「先生!先引くのと後引くのとで有利不利が」「これは当たりを狙うもんじゃないから!んじゃ出席番号順!はいどんどん引く!」


・・・そりゃ違うよ先生。当たりはずれはある。誰の隣になって誰が前後に来るかという当たりくじが。


皆袋に手を入れ、運命のくじを引いていく。「俺6!なんだよ一番前じゃん」「何番何番?13?うっそ不吉」座席の位置が明らかになるにつれ、歓声と落胆の入り混じったざわめきが広がっていく。そして僕の番が来た。袋のくじは残り少ない。袋に手を入れる前、ちらっと高杉を見た。


エルフのような彼女はぼんやり立ったまま自分の引いたくじを眺めている。

何番なんだろう?どこの席に?「おい佐江内!何よそ見してる!早くひかんか!」

教師の声になかば反射的に袋に手を突っ込み、安いコピー紙で作られたペラペラの一枚を僕は引き出した。


「29」


マジックでそう書かれている。

窓際の列だ。

後から2番目。

のろのろと移動し、席につく。窓際だから外が見える。

4月の陽気が眩しい。自分向きじゃないなここ。


後に人の気配がした。振り向くと同じように

のろのろと席についた者がいる。

エルフのような人が。

「30」とマジックで書かれた紙を手にして。

どうやら僕の”一生分の運”は今日で全部使ったらしい。



  僕の後ろに彼女が来た。



「ど、ども。よろしく・・・お願いします」

それが、高杉にかけた最初の言葉だった。

「・・・なんで敬語?」

それが、高杉が僕に返した最初の言葉だった。

「え?じ、じゃ、よよろしくなっ!」

「・・・なんでタメ口?」

「え~どうしろってーの」

「ぷっ」エルフのような顔が笑みで崩れる。いたずらっぽく開いた口から白い歯が覗く。吸い込まれそうな笑顔だ。

「プリント!」背中の大声に、僕は前を向いた。眼鏡をかけた

まじめくさった奴がプリントの束を押し付けている。

「わ、わりい」僕はプリントを受け取ると自分の分を一枚取り、最後列の彼女に手渡した。彼女はこともなげに受け取り、目を伏せた。さっきの笑顔はかけらもない。もう僕は”その他大勢”のリストに放り込まれたようだった。





「えー~ここに変数Xを代入して」数学の教師が、黒板に謎の呪文を描いているのを僕はぼんやり眺めている。ふいに背中の一点に圧力を感じた。一度、二度、ぐいぐいと。え?高杉が指で僕の背中を突っついている?振り向きたいが、今授業中!すると小さな声「黒板見えない。頭下げて」僕は瞬時に机にひれ伏した。1分・・・5分・・・えーとまだですか?聞こうと思った矢先に「コラ佐江内!寝てるんじゃない!」数学教師の怒声とクラス中の忍び笑いが僕を押しつぶす。休み時間に後ろを振り返る。こういう時はやはり言っておかないと「なにか言うことはないの?」高杉は「結局板書取れなかった。ノート貸して」「僕だって取ってないよ!ずっと伏せてたんだよ?」一瞬きょとんとした表情を浮かべた後「そっか、ぷっ」エルフのような顔が笑みで崩れた。






魔法の呪文のような設問が次々と並ぶ紙面を前に、僕はガマの油を搾られるカエルの気分を味わっていた。これで小テスト?静まり返った教室で鉛筆の音だけがこだまする。ふいに背中の一点に圧力が!またかい!「消しゴム」かすかな声が聞こえる。ちょ大胆過ぎるだろ!試験中の私語は厳禁だ。カンニングで一発退場だぞ!しかし彼女は臆することなく「消しゴム」再びささやいてきた。教師は気づいてないけど、これ以上喋られたら・・・どうする!?どうしよう!!僕は用紙を裏返す仕草をしてその弾みで筆入れを床に落とした。静寂を打ち破り筆記用具が後の床に散らばる。「さ~え~な~い~」試験教師がうんざりした様子でこちらを見る。「すっすみませんっ」そして後の彼女に「ごめん高杉さん、拾ってくれる?」「・・・」彼女は無言で筆記用具を集め、手渡してくれた。そこに消しゴムは入ってなかった。どうやらパスは通ったらしい。


・・・ところで僕の解答、ちょっと消して書きなおしたいんですけど。




 地獄の期末試験が明け、もうすぐ夏休みだ。

二学期になればまた席替えだ。あの席とも”後ろの席”ともお別れだろう。

そんな事をぼんやり考えながら教室の扉を開けた瞬間、違和感に襲われた。


僕の席に誰か座っている。


裾をはだけたシャツから浅黒い肌が覗いている。髪の毛はかすかに色が入っている。かかとを踏んだ薄汚れた上履きの色でわかった。3年。上級生だ。

3人の上級生が教室の隅っこで高杉を取り囲んでいる。

「なぜーったい楽しいって」「お金とかいらないから」「コイツのバイト先でよぉカラオケ無料だから!」しきりに早口で喋っているがよく聞き取れない。高杉は無言で膝の上できつく手を結んでいる。僕はおずおずと近づいて行った。「あの、先輩」「んぁ?」席に陣取っていた一番大きな上級生が笑顔で振り向く「あーこの席?わりわり、今ちょっと借りてっから、すぐおわっから」残る二人は「な噂通りだろ?」「ほんとすっげ可愛い!」1人は高杉の頭越しに壁に手をついている。これじゃ彼女はもう立つこともできない。僕はもう一度恐る恐る口を開いた。「あ、あの僕レポートとかやらないといけなくてその机に」「あぁ?何おまえ!?」今度振り向いた顔は笑顔じゃなかった。「聞こえなかった?あっち行っててよ。 行 っ て ろ 」 光を失った黒い目が僕を睨みつけてくる。僕は踵を返した。



結局、自分には縁のない世界だった。

幸運の女神が僕の”一生分の運”を

全放出してくれたおかげでお近づきになれただけ。

運を使い切った僕には・・・



そう、もう運はない・・・運には頼れない。

大事なものは・・・勝ち取るしかないんだ!

待ってたってだめだ!

自分で取りに行け!

僕は三度足を向けた!

片隅に追い込まれた彼女の元へ!



「先輩!そこは僕の席です!どいてください!」僕は自分でも意外なほどの大声を出した。上級生が恫喝の咆哮をあげる「しつけえぞてめえ!」イスを蹴飛ばして立ち上がり僕の方へ来た「お前何?つぶすよ?」

「先輩こそ何してんすか!下級生の教室来て!バイトもカラオケも禁止のはずですけうぅっ」下腹に膝蹴りが入れられて僕はうずくまろうとしたが胸ぐらをつかまれてつるし上げられた息苦しさで視界がにじむのは涙目のせいだとわかるのが悔しい。後ろで高杉が立ちすくんでいる。上級生が拳骨を振り上げた時に「何してんだおまえら!」ジャージ姿の体育教師たちが怒鳴り声と共になだれ込んできた。その後ろにまじめくさった眼鏡、僕の前の席の奴の姿が見えた。


教師に追い出され上級生は不貞腐れたように去っていった。教室には僕と高杉が二人きりになった。僕はまだ動悸と衝撃がおさまらない。一番見せたくない相手の前で情けない姿を晒した恥ずかしさで震えが止まらない。高杉の顔を見る事もできず背を向けて歯を食いしばっていると、背中に圧力を感じた。


指じゃない

手だ

手のひらだ

高杉の手のひらが僕の背中に押し当てられている。

嗚咽と共に小さな声が聞こえた。

「・・・ありがと さえないくん」



二学期。席替えが行われた。クラスの友達関係はだいぶこなれてきて、僕はと言えば、前の席にいたまじめくさった眼鏡と意外にウマが合う事がわかり

、何かと行動を共にする事が多くなってたりした。

高杉は対角線上の席に行ってしまった。

もう後ろの席じゃない。気軽に話せる距離じゃない。だから、

「高杉!ちょっといい?」

女子たちと談笑している彼女に呼びかけた。一緒に廊下に出ると

「なんか用?」エルフみたいな顔が聞いてくる。

「いや、特に用事はないんだけど」「は?何ソレ?」一瞬の困惑の後に

「ぷっ」笑みが広がる。



”その笑顔が見たくてさ”とは言わなかった。



だって、照れくさいじゃないか。






おしまい





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