ろくでなしの馬鹿騒ぎ

九十九

ろくでなしの馬鹿騒ぎ

 泥と硝煙と火薬、それと鉄錆びた匂いが染みついた薄汚いその場所が俺達の寝床だ。お世辞にも良い匂いとは言えないが、随分と慣れ親しんでしまった匂いは不思議と落ち着く。

 俺達の寝床にはお綺麗な物も上品な物も何も無い。下劣な雑誌が床に散らばり、煙草は無造作に放り投げられ、酒瓶は空いている物も開けていない物も関係なく机に寄せ集められている。唯一綺麗に整理されているのは仕事道具くらいか。まぁその仕事道具も表面上は綺麗なだけで何百回と人の体液で汚れているからお綺麗とは言えない。

 明日のおまんまの為に誰の下っ端でもやるろくでなし。其れが俺達である。


「あー、綺麗なねぇちゃんを抱きてぇなぁ」

 屋外に無造作に敷かれた薄汚れた布切れに寝転がりながら俺がぼやいていると、相棒が顔を覗き込むように視界へ入って来た。目の前で柔らかにカーブした長い黒髪が揺れるのを何となく目で追う。

「おう馬鹿、暑さで頭までやられたのかい?」

 皮肉交じりに言葉を放つ可愛げの無い相棒は、しかし、恐らく俺がでかい傷口をこさえた事によって馬鹿みたいに高い熱を出しているのを心配している。

 俺達は薄汚れた小さい集団だが、しかし身内内での結束が固い。掃き溜めに捨てられた連中が身を寄せ合って出来た汚い俺達は、誰かを失う事を極端に怖がっている。

「今は暑くねぇだろうが馬鹿」

「熱を出してる癖に何言ってるんだい」

「大した事ねぇよ」

「数字も読めなくなったのかい、あんたは?」

 相棒の女らしいしなやかな腕がポケットの中を漁る。そのしなやかな腕が何人の首を明後日の方向に向かせたのか俺は知っている。

「……あの藪医者、告げ口しやがったのか」

 相棒がポケットから出した紙切れを前に俺は唸り声を上げた。

「これだけ膿んで熱もありゃあ女の一人も満足させられないだろうね」

「うるせぇ馬鹿。此処はむさ苦しいばっかで潤いがねぇんだよ、潤いが」

「目の前に見目麗しい潤いが有るだろうが馬鹿野郎」

「あぁ確かに青空は良いもんだな」

「おう、その節穴に風穴開けてやるから、目をかっぴらいたままにしておきな」

「何してやがんだ馬鹿共」

 互いに掴みかかって騒いでいる俺達を見かねた仲間内の一人が声を掛けに来た。眼帯にスキンヘッドと到底一般人には見えない怖い顔をしているこの男は、見た目に反して面倒見が良い。男の中での俺と相棒の立ち位置は、どうやら出来の悪い弟と妹らしい。

「節穴の眼に風穴を開けてやろうかと思ってね」

「潤いが何処かにありゃあなぁ。お前もそう思うだろハゲ」

「禿げていない。剃ってるんだ、これは」

「綺麗なねぇちゃんに看病されてぇな」

「それに関しては同意するが」

「おう、綺麗なねぇちゃんだよ。看病してやるよ」

「空って何処までも青いよな」

「てめぇこのハゲ」

「禿げじゃ無い。幾ら俺でも真顔で男の象徴をちょっと世間様に言えない事する子に看病してもらうのは不安しかないんだが」

「この間の依頼者の未亡人がそう言う趣味だったら?」

「この身を委ねる」

「喰い付きが早ぇなエロハゲ。……おい馬鹿、待て。俺の首が締まってるんだが、おい」

「二人纏めて風穴開けてやるよ。歯ぁ食いしばりな」

 

 そう言えばそんなくだらない会話をしていたのが一月程前の話だったな、と大きな屋敷の中でぼんやりと思う。窮屈なスーツに肩が凝りそうだがこれも依頼なので甘んじて受ける他無い。

 隣を見遣ると難しい顔をした眼帯の男がホールの中央を眺めていた。男に倣って己も顔を其方に向ける。

 何時も大抵隣に居る相棒が綺麗に着飾った姿でそこに立っていた。彼女の隣に立っているのは依頼人の優男だ。

 今回の依頼内容は「婚約者の振りをしてパーティーで振る舞って欲しい」と言う何とも陳腐な物だった。金持ちともなると何時までも気ままな独身ではいられないらしい。

 そんな訳で相棒は現在「本日入籍する幸せそうな婚約者」を演じる為に予行練習やら打ち合わせをしている訳だが。

「こんなに綺麗な君なら皆納得してくれるよ。それにしてもこんなに可愛くて綺麗な子が近くに居たのならもっと早くデートの依頼でもすれば良かった」

「あっと、えぇ、有難う」

 なんでそんな顔を赤らめてやがると、口に出しかけて閉口した。恥ずかし気に俯く顔に知らずの内に眉根が寄る。何時もは相手の顔を真っ赤に染める側が赤く染まるだなんて笑い草だ。いや、赤く染まる事も多いか。

 本当は相棒が顔を赤らめる理由は分っていた。相棒は女性として扱われる事に慣れていないのだ。恐らく今まで淑女として扱われた事は無い。だから相棒はあんなにもいじらしく照れている。

 相棒は別に女として見られる事を望んでいる訳じゃあない。性別で言えば仲間内で唯一人の女だが、誰も彼もが彼女を女として特別視する事はしなかったし、彼女に女を望んだ者は恐らく彼女を含めて誰も居ない。娘や妹として見ている連中は居るが、特別淑女として扱った事は無い。女と男と言う括りにして、何かしらの隔絶が生まれる事を誰も望んで居なかったからだ。相棒も含めて皆が皆そんな柄では無かったのもある。

「綺麗なドレスだね。君に良く似合うよ」

 当たり前だ。ずっと近くで見て来た俺と仲間達でああでも無いこうでも無いと用意した物なんだから似合わない訳がない。

 真っ赤なドレスは華やか過ぎず花の刺繍が上品にあしらわれた物だ。深いスリーブが片側に入っているが、けして下品では無く彼女らしい快活さを出している。ヒールも髪飾りも相棒が好むデザインの物で揃えてある。

 本当は皆、彼女がショーケースの中の真っ赤なドレスをぼんやり見ていた事を知っている。エスコートされる上品なお嬢さんを微笑みながら見送って居た事を知っている。

 それでも、相棒がそれを望まなかったのは、俺達がそれに触れなかったのは、俺達には必要が無かったからだ。その前におまんまの方が大切だったからだ。

 掃き溜めの馬鹿達らしく、仲間と馬鹿をして酒を飲む時間が好きだったからだ。

「君は綺麗だね」

 優男がはにかむ。そんな事俺達が一番よく知ってんだよ。ぱきり、と音を立てて高価なネクタイピンが手の中で折れた。

「この依頼きな臭いな」

「おうハゲ、顔が極悪人だぞ」

「お前にだけは言われたく無い」

 俺が相棒を見ている間に何処かに行っていたらしい男は、戻って来るなり開口一番にそう言った。互いに見遣る。

「それで?」

「依頼に託けて俺の可愛い妹を攫う気らしい。最初から茶番にする気は無かったって事だろう」

「糞が」

「攫って良いんだぞ?」

「あ?」

「依頼は『茶番に付き合う』だ。其れに俺達のルールを忘れたか?」

「依頼に関して家族の命、或いは意志が天秤にかかった時は破棄する」

「お前の役目だ」

「……」

「いい加減諦めちまえ」

 くそ、と呟いて俺は走り出した。背後で幾つもの金属を取り出す音がする。結局、薄汚い馬鹿共は全員、末娘の綺麗な姿を見たかったという事らしい。

「家族思いの馬鹿め。今更何かで括ったくらいじゃ離れねぇよお前等は」

 背後から飛んで来た言葉に「ハゲ野郎め」と心の中で悪態を吐いて、加速した。


 俺は走り出した勢いのまま、優男と相棒が話をしている間に身体を滑らせて割り込んだ。

 何か察したらしい優男とその部下は拳銃を取り出して様子を窺う。それでも優男が笑みを浮かべている所を見ると相手が二人だからと余裕らしいが、此処はとっくの昔に総戦力の戦場になっている。

「依頼は破棄されたよお坊ちゃん。薄汚れた奴らを出し抜こうとするとは大胆だな」

 厭味ったらしく笑って、上品な優男を下品に蹴り上げた。

 今此処であっけなく止めを刺す事も出来るが、この優男には見せしめになって貰う必要がある。明日のおまんまの為に誰にでもひっ付いて、人様に言えない事をしてきた連中の集まりだが、それでも裏切る事は許さない。許せば此方が簡単に命を奪われる。

 何よりも家族に手を出される事を許すなまっちょろい集団だと思われたままではならない。

 剣呑な空気を嗅ぎ取っていた優秀な相棒は既に愛用のナイフを手の内側に潜ませて戦闘態勢であったが、俺は構わず担ぎ上げた。

「は?」

 俺の行動に驚いたのか間抜けな声を上げて成すがままの相棒の腰をしっかりと掴むと、窮屈なネクタイを外しながら全力で走り出す。

 瞬間、背後で幾つもの銃声と囃し立てる馬鹿共の声が響き渡った。


「俺と結婚しちまえ馬鹿野郎!!」

 相棒を俵抱きにして、走りながら叫ぶ。

「はぁっ!?」

 常に聞いたことのない裏返った声に、ちらりと背後を見遣った。その顔は物の見事に赤く染まっていて、いっそ愉快だった。

 相棒は俺と視線が合うと険しい顔で目を逸らし、暫く空中に視線を泳がせた。

「急にどうしたんだい?」

「俺にとっては悪いが急じゃねぇ。我慢する事を諦めただけだ」

「我慢していたのかい?」

「あー、いや、出来てねぇな。お前の隣も背中も譲ってない時点で」

 走る速度を緩めずにもう一度背後を見遣る。口を両手で覆った相棒の顔は林檎のようだった。

「誰かと、なら俺と結婚しちまえ馬鹿野郎」

「こんな何人の男の首を落したのか分からない、ろくでなし女とかい?」

「こんな何人の女の腹を開いたのか分からない、ろくでなし野郎とだ」

「一端の人間のように幸せになったら、お天道さんに焼かれそうだね」

「知るか馬鹿。あの馬鹿な家族共が祝福してんだからそれで良いんだよ俺達は」

「……結婚は嫌だ」

「あぁ?」

「恋人、から、が……良、い」

 顔を真っ赤にして消え入るような小声でそう言う相棒は、意外と初心であったらしい。いじらしく肩口を掴む指が可愛らしくて、この姿が見られるのならもっと早くにこうすれば良かったと苦笑した。

 俺は早々に相棒を俵抱きから横抱きに変更して、キスをぶちかました。

 鳴り響いたのは祝福の鐘の音では無く小気味の良い張り手の音だったが、何だか其れが俺達らしくて、俺は幸せだ。

 

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