青年執事は八歳のお嬢様に迫られて困っています

松宮かさね

青年執事は八歳のお嬢様に迫られて困っています

「ねぇ、ルシアンはなに色がすきなの?」


 そう問うたのは、子爵家令嬢のリリア。亜麻色のゆるやかに巻いた髪の美しい、いまだ八歳のご令嬢である。


「青ですかねぇ」


 その傍らに背を伸ばして控え、興味なさげに答えるダークブラウンの髪の男性は、ルシアン・マクマナス。若くして執事という重職を任されている有能な青年だ。

 リリアは満足げにうなずくと、質問を重ねた。


「すきなどうぶつは?」


「犬です」


「すきな食べものは?」


「牛肉のステーキです」


「すきなお花は?」


「特にはありません」


 少々なげやりなルシアンの返答に、リリアは驚き、不審な表情になって言った。


「うそ。お花がすきじゃない人なんていないでしょ? ちゃんとこたえて」


「では、バラです」


 それは明らかにその場しのぎの適当な答えだったが、リリアは納得したように笑った。


「バラね。わたしもバラはすきよ。やっぱり気があうわね」


「あの、お嬢様……。私はそろそろ仕事に戻りませんと」


 ルシアンは女の子の言葉をさえぎるように切り出した。主に対していささか無礼なふるまいではあるが、そうでもしないとこの子は、いつまでたっても自分を解放してはくれないのだ。


「旦那様や奥様に叱られてしまいます」


「……そう、わかったわ。またね」


 しぶしぶ了解して、リリアは椅子から立ち上がると、ルシアンに身を屈めるようにせがんだ。

 彼が従うと、その頬にキスをして、にっこりと微笑んだ。


「いってらっしゃい。あなた」




 家事使用人として生きてきたルシアンの人生は、これまではすこぶる順調であった。

 子どもの頃からの実直な働きぶりが、主である子爵に気に入られ、二十三歳の若さで、当家の執事の職を任されるに至ったのだ。

 さらに、頭脳明晰で勤勉であった彼は、特別に頼まれて子爵の大切な一人娘の勉強もときおり見ることとなった。その分、手当てははずむからと。

 雇用条件には恵まれていた。特に給与的な面では大いにほくほくであった。

 しかし、これが不幸の始まりであった。


「ルシアン。おそかったのね」


 ある日の夕食後、お嬢様の部屋を訪れたルシアンを、リリア嬢は椅子から立ち上がって「おかえりなさい」という場違いな言葉とともに出迎えた。


「申し訳ありません。仕事が立てこんでおりまして」


 言い訳の言葉を述べる青年のもとに、女の子は、たたたと駆け寄ると、顔を埋めるようにしてぎゅーっと抱きしめた。


「おしごとならしかたないわ。でも、あなたモテるからしんぱいなの。こんなにかっこいいのだから、それもとうぜんね。でも、わたしというこいびとがいながらほかの女に目うつりしちゃだめよ?」


「はは……」


 ルシアンは乾いた笑いを浮かべた。

 これが彼の不幸だ。どういう訳か、リリアがルシアンに身分違いの恋をしてしまったのだ。幼いお嬢様は、十五歳も年上の使用人にぞっこんだった。

 ルシアンとて女性に言い寄られるのは満更でもないし、とりわけ年下が苦手なわけでもない。だが、さすがに八歳の子供は対象外であった。


 しかも、主人の愛娘である。年齢的にも身分的にも不釣り合いだ。

 赤子の頃からその成長を見てきたリリアのことはかわいいとは思っている。が、それはあくまで大人が子どもを慈しむ心なのだ。


「あいしてるわ、ルシアン」


「いえ、そのような……。もったいないお言葉です」


 ルシアンは困り果てていた。強く拒絶して泣かれでもしたら困る。

 なので、やんわりとお断りをするのだが、この前向きなお嬢様には通じない。

 毎日のように繰り広げられる、この「恋人ごっこ」を、彼は迷惑でしかないと考えていた。


 それでも、お嬢様の方はごくごく真剣であった。

 彼女は両頬に手を当てると、恥ずかしそうにくねくねしながら言った。


「……あのね。……わたしたち、思いあってずいぶんたつのに、いまだにあなたからキスの一つもしてくれないのね」


 そりゃそうだ。戯れにでもそんなことをしたら、いままで築き上げてきた彼の社会的信用は地に落ちる。さらに子爵の怒りをかい、この屋敷を追い出されてしまうだろう。


 というか、そもそもいつ思いあった?


「きっとわたしのことをだいじにしすぎているのね。あなたのそういうとこもすきよ。でもね……」


 くねくねくねくね。

 その様子をルシアンは、まるで鎌首をもたげた蛇の威嚇みたいだなと思いながら眺める。


「もっとだいたんになってくれていいのよ。こんなことを言うなんて、つつしみがないって思わないでね。あなたへのこいごころがそうさせているの」


 この小さなお嬢様は、どこでこんなませた言葉を覚えてくるのだろうか。

 教育を任されているものとして、彼女の目にするもの、耳にするものには、もう少し気をつけねばならないと思う。


「あしたはあなたのおたんじょうびね」


 リリア嬢の言葉で、ルシアンはそういえばそうだったかと思い出した。


「たのしみね」


「もう誕生日が待ち遠しい年齢でもございませんが」


 ルシアンは苦笑しつつ答えた。

 リリアは「まあ」と小さな口をいっぱいに開いた。


「そうなの? あなたのおたんじょうび、わたしはとってもたのしみよ。ね、あした、夕食がおわったら、すぐにわたしのおへやに来てね。すぐによ?」


「かしこまりました」


 めんどくせえという内面を微塵も見せずに、優秀な執事は答えた。

 主人の給仕の仕事を終えたあとに、自分の食事をとる暇もなく、子守りに駆り出されるのか……。ああ面倒くさい。




 次の日、夕食の給仕を終えたルシアンは、約束どおりにリリアの部屋に向かっていた。


「ルシアンさん、あの……」


 そのとき、遠慮がちに彼を呼び止めたのは、新入りのメイドだった。

 話を聞くと、仕事をうまくこなすことができずに悩んでいるとのことだった。さらに、日々厳しいハウスキーパーに叱責され、かなり思い詰めているようだ。


 いくつか仕事をする上でのアドバイスをしたあと、ハウスキーパーには自分から、それとなくとりなす旨を伝えた。

 それから、自信をなくすことはない、君はよくやっている、初めは皆そんなものだと励まして、しばし談笑をした。


 お嬢様との約束を忘れた訳ではなかった。だが、職場の皆とのコミュニケーションも、大切な仕事のひとつだと思っていたからだ。



「うわきもの!」


 突如、廊下の角から女の子の大声がした。

 リリアだった。

 彼女は、ずかずかと大股で歩いてくると、なにやら丸めた紙で、彼をしたたかに打ちすえた。


「ずっとまってたのに。ほかの女とたのしそうにしてるなんて!」


 慌てて申し訳ありませんと謝るルシアンの言葉も聞かず、リリアは走り去った。まるで安っぽいの恋愛劇の一幕のようだった。

 メイドは呆然と立ち尽くし、ルシアンはため息をつきながら、リリアが落としていった紙を拾いあげた。


 それは絵だった。子どもらしい幼稚なタッチで、ふたりの人物が中央に描かれている。

 波打つ淡い金茶の髪をした小さな女の子と、ダークブラウンの髪をした大人の男性に見える。リリアと自分だとすぐにわかった。ふたりともしあわせそうににっこり笑っている。

 その横には、白いテーブルクロスがかかったテーブルがあり、白い皿には茶色の楕円形の物体がのせてある。

 反対の隣には、なにか茶色の四本足の生き物らしきものがいる。おそらくは犬だろう。

 用紙の空白には、たくさんのバラのような花が描かれて、ひとつひとつ青で丁寧に色がぬられていた。


 八歳という年齢を考えても、下手な絵ではあった。

 しかし、さまざまな色を使い、細かいところまで気を配ってぬられ、丁寧に時間をかけて描かれていることは見てとれた。

 この前、やたらいろいろ質問していたのは、この絵を描くためだったのか。


 ルシアンは胸をつかれた。

 絵を見ていると、作者である子供が「がんばってかいたの!」と叫んでいるように思われた。

 大人として、そんなけなげな子供の心に打たれたのだ。

 自分を祝うために、好きなものをたくさん詰め込んだ絵を、知られないようにこっそり描き続けたのか。

 わくわくと当日を待ちわびて、早く喜ぶ顔が見たくて、じれったく思いながら部屋でいまかいまかと待ち続けて。だけどなかなか来ないので、しびれを切らして様子を見に来たのだろう。


 リリアの部屋を訪ねると、何度か呼びかけを無視されたあとに、ようやく入室を許可する短い返事があった。

 子どもはしょんぼりと椅子に座っていた。顔には涙の痕があった。頬が赤らんでいるのは、泣いたせいか怒っているせいなのかはわからない。

 ルシアンは絵を抱えたまま、その前に跪いた。


「この絵、私のために描いてくださったのですね。私のことを大事に思ってくださるお嬢様のお気持ちが伝わってきました。こんなに心のこもった贈り物を頂いたのは初めてです」


 嘘ではなかった。たとえ下手でも、丁寧に時間をかけて描いたとわかる絵に込められた心は、とても嬉しかった。


「お許しください。浮気などではないのです。仕事の話をしておりました。新入りが上司に叱られてつらいと嘆くもので、笑い話などしてなぐさめていたのです」


 浮気でないと言い訳するのは、この子と恋愛関係にあると認めるようで引っかかったが、危急の際なのでとりあえず放置する。


 リリアはこっくりうなずいた。

 許してくれたようだが、無言のままなのは、まだ感情の整理がつかないのかもしれない。


「お手に触れることをお許し願えますか?」


 ルシアンは乞うた。リリアが手を差し伸べると、彼はその甲にうやうやしく口を付けた。

 八歳の子に恋人のようなキスは無理だが、敬意のキスで譲歩して欲しかった。

 まるで一人前の貴婦人を扱うかのようなルシアンの態度に、リリアは頬を染めた。


「……すてき。おひめさまになったみたい。ルシアンはきしみたいにりりしいわ」


 子どもの顔に笑顔が戻ったので、ルシアンもホッとして笑顔になった。

 だが、お嬢様の次の言葉に、彼の表情は凍り付いた。


「キスまでしたのだもの。けっこんしてね。さあ、おとうさまとおかあさまにごあいさつに行かなきゃ……!」


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