安い肉でも嫌いじゃない

starsongbird

安い肉でも嫌いじゃない

 目の前に立ち込める煙の筋を、わたしは頬杖しながら片手に持った箸で追いかける。もうもうと湧き起こった煙は、たなびきながら天井へと吸い込まれるように薄く溶けていく。

「何してんだ、阪木? 食わないと焦げるぞ、肉」

 煙の向こうから流れてきた声に、わたしは「はいはい」と箸を振ってみせる。

「行儀悪いな阪木は」「高遠の前で行儀よくしても意味がない」「失礼な奴だな」「いいから肉食べてなさいよ」

 今度はしっしと箸を振るわたしに、「おおそうだな」と、高遠は私たちの間に置かれた煙の立ち込める網へと箸を伸ばす。

「うまいな焼き肉」

 幸せそうに自称上カルビを頬張る高遠。

 食べ放題の焼肉屋で、わたしは再び、天井へと上る煙を眺めた。



【安い肉でも、きらいじゃない】



 高遠とわたしは臭い飯を食う仲だ。こいつと一緒に飯を食べた日は、わたしのお気に入りのスーツはいつも焼き肉臭くなる。そしてこいつはそういうことに全くの無頓着だ。

 そう、こいつは昔からそうだったと、一心不乱に肉と白米を交互に口にかき込む高遠を見ながら、わたしは片手に箸で頬杖しながら思う。

 学生時代に金欠で赤貧にあえでいたわたしを、こいつが二人焼き肉に最初に誘った日からそうだった。

「阪木、上カルビ食えよ」

 学割食べ放題キャンペーンの焼肉屋で、山盛りの上カルビを前にした高遠の第一声がそれだった。

 女子を誘っての焼き肉の第一声がそれかと唖然としたが、当時の主菜がモヤシ炒めだった安下宿生のわたしは、恥辱に身を焼かれながら親の仇のように上カルビを食べに食べた。うまかったよちくしょう。

 それからも高遠から時々やってきた二人焼き肉の誘いに、貧しきわたしは「奢ってやるよ」という魅力に満ち充ちた言葉に断りきれず、毎度誘いに乗っていた。

 けれど。

 お決まりのチェーン店。90分の食べ放題コース。

 タンも野菜も通り越しての上カルビとフリードリンク、あと白いご飯。

 いつもいつもの光景は、わたしと高遠が在学中ずっと続き。

 そして、二人とも卒業し何とか就職し働くようになった今でも、ずっとずっと続いている。たぶん、これからも、ずっと。

「これからも、ずっと、か」

「? どうした阪木、ライスのお代わりか?」「いいから食え」「こわいな阪木は」「殴るぞ高遠」「よし俺ドリンク取ってくるわ。阪木も行こうぜ」

 わたしは溜め息をついて席を立つと、グラスに入っていたウーロン茶を一気に飲み干す。

「豪快だな」「うるさい馬鹿、お代わり行くよ」

 こいつはこういう奴なんだ。

 グラスを片手に、わたしは小さく息をついた。


 ウーロン茶を飲んで一息つき「阪木も食べろよ」と言いながら、「おねえさん、上カルビ二人前、いや四人前追加で。あとご飯」と追加注文をする高遠を見つつ、私はちびりと薄いウーロン茶を口にする。

 こいつはずっと変わらない。あの頃から、わたしと高遠とで二人焼肉を始めた日からずっと。

 どんなときでも、上カルビとライスとドリンクバーを頼んで、「阪木も食べろよ」と指し箸をしてはひたすら食べ続けて。

 こいつはいつも変わらない。学生時代、わたしが何となくおめかしをしてきた時も。うまくいかなくて落ち込んでたときも。どんなときも。

 わたしがお気に入りのスーツでばかり会っていても、こいつはそのことに、何も、言わない。


「あのな、阪木」

 煙の向こうからかけられた声に顔を上げたわたしの先で、高遠がいつものように箸の先をこちらに向けている。

「なによ」「ぼおっとしてたな、阪木。焼肉の最中だというのに」「だからなによ」

 氷が小さくなったウーロン茶のグラスを手にしたわたしに、高遠がぐい、と肉をつまんだ箸を向ける。

「阪木、くたびれてるときは上カルビだぜ、食えよ」


 こいつはいつも、こうだ。

 大学での始めての一人暮らしが心細かったときも。いつまで経っても慣れない仕事にくたくたになったときも。

 こいつはそんなわたしに電話をかけてきて、二人焼肉に誘って、そしてわたしを慰めるでもなく、励ますでもなくこう言うのだ、「肉食えよ、阪木」と。「上カルビはうまいよなあ、阪木」と。

 わたしはウーロン茶を少し飲んで、やれやれと首を横に振ってみせる。

「あんたはいつもそうだね」「ああ、焼肉は最高だろ? ほらよ」

 上カルビをわたしの皿に置く高遠に、わたしは思わず、ぷっと吹き出す。

「なんだよ阪木」「高遠、あんたまるで昭和のお父さんだね」「なんだそりゃ」「なんでもないよ。はいはい、わたしも頂きましょうか」

 自称上カルビを箸でつまむわたしを見て、満面の笑みを見せる高遠。



 今となっては、固い自称上カルビも、薄いドリンクバーも、消臭スプレーを吹きかけても取れない焼肉の煙の匂いも正直苦手なんだけれど。

 それでも、わたしは思うのだ。

 

 この不器用で頑なな、わたしが辛いときにいつだって現れる二人焼き肉の味は、そんなに嫌いじゃない、って。

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