元勇者と元魔導師で魔物退治をすることになったけど歯が抜けてて正確な詠唱ができませんがな

かみたか さち

いつかの夜、どこかの王国で

 低い唸り声に、老女は目を覚ました。月の細い夜とあって、辺りは闇に包まれている。唸り声と共に、重いものを引きずる音がした。

 何かが、老いた二人が住むこの家に近づいている。


「爺さま、何ですかね」


 隣に寝ている老人を揺り起こした。

 衰えたとはいえ、かつては国王にも謁見を許されたパーティで魔術師をしていた勘が、只事でないと告げていた。「爺さま」と呼んでいるつもりが「フィイさま」と聞こえるのは、恐ろしさに声が震えているばかりが理由ではない。歯の大部分が抜けていることにもよる。


「魔王、覚悟!」


 寝ぼけ眼で飛び起きた老人も、同じパーティで勇者だった仲だ。

 ハゲ頭からずり落ちたナイトキャップを受けとめ、老女は耳をそばだてた。


「魔王とは、ちょっと違いますかねぇ」


 跳ね上げ窓を上げ、老女は目をむいた。


「魔物には、変わりませんのぅ」


 そこには、燐光放つ小山のような獣がいた。頭は狼、四肢は猪、尾は蛇。亀のような甲羅がある胴に、魔道具と思しきものが数個突き刺さっていた。


「こりゃ、でかい。結界の呪符は大丈夫かぃ」

「はいはい。きちんと貼っておりますよ」


 ずしんと壁が揺れた。魔物が体当たりしてくる。その度に、細い稲妻が横に走った。空気が軋む。


「おや。亀裂が。呪符が破けていましたっけね」

「だから、早く修復しろと言ったのに」


 メキメキと扉が砕けた。ヌッと、獣の鼻が壁の隙間から覗いた。生臭い息が室内に入る。


「おんや。爺さまの口より臭いねぇ」

「婆さまの屁のほうが臭いわい。こうしちゃいられね」


 老人は行李から剣を掴みだした。錆び付いた鞘を払う。


「くらえぇ」


 剣を振り上げた。

 ゴキ


「ぬおぉっ」

「あいや。ぎっくり腰かい。昔から大事なときに」

「年には勝てん。婆さま、治癒の魔法はまだ使えるかの」

「はて。それより、若返りの術のほうが良いかの。久しぶりに、男前な姿が見たいのぅ」


 ブツブツと、詠唱が始まった。老人の体を淡い光が包み込む。


「はうっ」


 仰け反った老人が、腰の痛みに呻いた。抱えた頭に、弾力ある髪を認めた。


「おお、髪が」

「懐かしいねぇ。そういえば、艶やかな黒髪だったね。すっかり忘れておった」


 ほくほく微笑んだ老女だったが、若返りの術は老人の頭髪にしか効いていなかった。頭頂部に蘇った黒髪を、老女は愛しそうに撫でた。


「歯抜けの詠唱じゃ、無理だったの。腰はほれ、この前、旅の術師からもらった呪符を試してみんかね。確か、この辺りにしまったはず」

「あれか。『貼って、寝てぇ~』とふざけた詠唱しおった」

「おお、あった。貼ってみなされ」

「しかし、寝てしもうたら、獣が来てしまうが。そうなったら、わしら永遠に眠らなければならん」

「それもいいじゃないですか。死ぬときも一緒だと、それがプロポーズの言葉だったから」


 穏やかな老女の笑顔に、老人はかつての彼女の愛らしさを見た。


「ほれ、ズボンを下ろして」

「なんか、恥ずかしいの」


 もじもじと、老人が露わにした腰に、呪符が貼られた。途端に、高いびきがあがる。


「おや、本当に寝てしもうた」


 さらにメキメキと音が広がり、獣の怒り狂った目が壁の大穴から老女を睨んでいる。


「念のため、魔方陣でも書いておこうかねぇ」


 老女は暖炉から炭を拾うと、老人の頬で試し書きをする。きれいにハートが描けているのを淡い光で確認すると、床にゆっくり陣を書き始めた。

 余裕なわけではない。体が動かないだけだ。

 二文字、三文字書いたところでひときわ大きな振動が起きた。

 老人も起きた。


「おや、早いお目覚めで。おはようのキスを」

「来たか、魔王め! って婆さんか」

「魔王と間違われるなんて。オトメごころが傷つきましたよ」

「老婆心の間違いではなかろうな」

「それより、腰の具合は、いかがですか」

「お、痛くない」

「じゃあ、もう一度これを」


 剣を差し出され、老人は首を振った。


「もう一度ぎっくりになるのかと思うと、恐ろしいわぃ」

「魔物と、どっちが?」

「一番は、婆さまに見捨てられること、かのぅ」


 獣は益々猛り、首を右左に振って穴を広げようとする。


「こうなっては、奥の手を使うかのぅ」


 老人が剣を手にした。振り返られた老女は、小首を傾げた。


「あれを?」

「そうじゃ。あれじゃ。やってくれるかのぅ」

「懐かしいですねぇ」


 老女は微笑み、老人と向き合った。左手で剣の柄を握った。老人の右手が重なる。抱き合うように体を密着させ、ふたりで剣先を獣へ向ける。

 若き日に編み出し、何度も町を、村を救った奇跡の合わせ技を発動すべく二人の顔は、皺が刻まれて尚、輝いていた。

 剣が赤く光り始めた。老女の低い詠唱が続く。やがて光は剣に巻きつき、刃から離れて渦を巻く。


「ゆくぞ」


 剣を掲げ、斜めに振り下ろしざまにふたりは叫んだ。


「らぶれぼるーしょんぱわー!」


 剣から放たれた赤い稲妻は、一直線に獣の眉間を貫いた。咆哮が響く。稲妻は眉間から放射状に広がり、獣の全身を包み込んだ。

 生臭い霧が室内に充満する。

 霧を割って、王国の紋章を刺繍したマントを翻し、警備隊が数名駆け込んできた。


「無事ですか」

「さすが元勇者殿と魔導師様。魔物を退治していただき、ありがとうございます」


 聞くと、猪退治に手こずった新米魔導師が詠唱を間違え、猟犬と側にいた亀と蛇を巻き込み、魔物を作り出してしまったそうだ。


「しかし、おふたりの術は、今もラブラブパワーが健在ですね」

「いんや。歯抜けで技の名も正確に言えず、申し訳ない」

「まあ、魔物消滅はなりませんでしたが、皆、幸せになれる術だったみたいで」


 苦笑する警備隊の示す先で、猪と猟犬が、亀と蛇が、異様に仲良くじゃれあっていた。


〈了〉



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元勇者と元魔導師で魔物退治をすることになったけど歯が抜けてて正確な詠唱ができませんがな かみたか さち @kamitakasachi

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