甘い挑戦状

藍澤 廉

甘い挑戦状



『今日が何の日か知ってるかい?』


 都内のそれはそれは閑散とした所にひっそりと佇む廃墟同然のビルの二階にある、従業員は二人だけという小さな探偵事務所の中。依頼も無く穏やかな平日の午後をソファの上で満喫していた俺に、向かいに座っていた所長である音無おとなし静香しずかさんは唐突にそう書いた紙を見せてきた。

 彼女は頭脳明晰で容姿端麗の知る人ぞ知る名探偵なのだ。だが、一切喋らないという欠点を持っていて、会話は基本的に紙に書いてする。


「今日は三月十四日ですから……ホワイトデーですか?」


 俺はカレンダーを眺めて思い付いた事を口にすると、静香さんは小さく頷いた。


『そう、ホワイトデーだよ』

「ホワイトデーがどうかしたんですか?」

『私はバレンタインの日に、君にチョコを渡したよね?』

「もしかしてお返しですか? それならちゃんと──」

『ここで一つ、君に謎解きをしてもらいたい』


 まるで最初から用意していたように静香さんがそう書いてある紙を見せてきた。だが俺は戸惑うしかない。バレンタインとホワイトデーの話題を出して何故問題を出されるのだろうか。


「唐突ですね」

『謎はいつだって唐突なものだからね』

「そうですね。それで、どんな謎ですか?」

『私は今ね、とても欲しいものがあるんだ。それが何なのかを君に推理してもらいたい』


 この紙も書く素振り無く出てきた。どうやら彼女の中でこの展開はすでに決まっているらしい。なら助手の俺に出来ることはそれに付き合う事だけだ。


「質問するのはありですか?」

『好きなだけ良いよ』


 静香さんは余裕そうな表情を浮かべている。名探偵の欲しい物を助手が推理する。つまり、これは探偵から助手への挑戦状というわけだ。受けて立とうではないか。


「ではまず、それは食べ物ですか?」

『食べ物ではないね』


 ヒント一、食べ物ではない。

 これだけでは流石に絞りきれないな。


「それなら、それは買えるものですか?」

『“お店で”という意味なら否、“お金”でという意味なら多分人によっては買えると思う』


 ヒント二、お店では買えないけど、人によってはお金で買える。

 これはどういう意味だ? 全く分からなくなったのだが。


「……えっと、それは実在する物ですよね?」

『そうだね。架空のものではないね』


 ヒント三、それは実在する物である。

 架空のものではないとは随分と遠回しな言い方だな。


「それはどんな色をしてますか?」

『色……そうだね、強いて言えば“赤”になるかな』


 ヒント四、赤い物である。

 これまた曖昧な言い方だ。赤くてお店では買えない物……そんな物欲しいか?


「ちなみに、それは静香さんは持ってるんですか?」

『まぁ必要な素材は持ってる。でも私だけ持ってても意味は無いんだ』


 駄目だ、ますます分からなくなってきた。静香さんの言っている意味が分からない。


「……静香さんは、それは好きですか?」

『それは人によるかな』


 ──は? どういう意味だ? 誰から貰うかによって変わるってことか?


「……分かる気がしないんですけど」


 今分かっている情報は、それは赤い物でお店では買えないけど、人によってはお金で買える物である。静香さんも一応は持っているらしいけど、それは静香さんだけが持ってても意味は無く、貰う人によっては好きな物になり得る……駄目だ、今とてつもなく嫌な想像をしてしまった。


『おや、君には少し難しかったかな? なら一つ大ヒントをあげようか?』


 静香さんの勝ち誇った顔でそう提案してきた。とても憎たらしいが、こればかりは仕方がない。このままだとグロテスクな発想にしか辿り着けない。

 俺が頷くと、静香さんは新たな紙を取り出した。


『ずばり好きの反対だよ、深治しんじくん』


 再び静香さんが見せてきた紙に書いてあったのはそんな言葉を読んで、俺はとうとう思考が停止した。

 好きの反対? つまり嫌いな物って事か? 嫌いなのに欲しい物? 嫌いなのに欲しいってどういう物なんだ? いや、でもさっき人によっては好きだって静香さんは言っていたのに──。

 頭の中がぐしゃぐしゃに掻き回されるような気持ち悪さが襲いかかってくる。駄目だ、もう何も分からない。どうやら俺には静香さんの助手に相応しい力量は無かった様だ。


「もうお手上げです。全く分かりません」


 俺は両手を上げて降参を宣言すると、静香さんはニヤリと笑った。


『まぁ深治くんは鈍感だからね、難しかったかな』


 そう紙に書いて、静香さんはソファから立ち上がると、何故だか俺の隣に腰掛けた。そして懐から新たな紙を取り出す。


『それじゃあ答え合わせをしようか』


 その紙には既にそう書いてあって、あぁ俺が解けないのも想定内か──と少し肩を落としたのも束の間、静香さんの右手が俺の頬に添えられた。そしてゆっくりと静香さんの唇が俺のそれと重ねられる。

 いい匂いだとか、温かいだとか、柔らかいだとか。そんな直情的な感想だけが頭の片隅に浮かんだ。


『“すき”の反対は“きす”だよ、深治くん』


 離れていった温度の余韻に呆然としていた俺に、静香さんは得意げにそう紙に書いた。──やられた。


「……謀りましたね」

『ちゃんと質問には答えたよ?』


 食べ物ではないし、お店では買えないけど、お金を払えば人によってはキスくらい了承するだろうし、キスに必要なのは自分と相手の唇だし、キスに色は無いけど唇の色は赤い。全く知らない人からのキスはお断りだけど、君からのキスなら嬉しいし好き。どうかな? ちゃんと答えられてるよね?

 そう説明されて、俺は納得せざるを得ない。あーこの人は本当にずるい人だ。そんなの分かるわけがないじゃないか。


『あぁ、それから事前にお返しを用意してるなら喜んで貰うよ?』


 静香さんが悪戯に笑うのを見て俺も諦めた様に笑った。分かってはいたけど勝ち目なんて最初から無かったようだ。まだまだ静香さんには敵わない。

 ふと、入口の方から「おぉ」という声が聞こえてきて、振り返るとそこには驚いた様に口を開いている男性の姿があった。どうやら暇な時間は終わりを迎えたらしい。

 俺は緩んだ顔を引き締めて、その男性に向けて声をかけた。


「ようこそ。音無探偵事務所へ」










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