彼女は僕の眼鏡が似合うところが好きらしい

久里

彼女は僕の眼鏡が似合うところが好きらしい

「いまだに、夢みたいだなぁって思うんだ」

「なにがですか?」

「半年前のあの日まで、まさか、千紗ちさみたいな可愛い後輩の女の子から告白される日がくるなんて思いもしていなかったから」


 冬の骨身に染み入る風が、並んで帰路につく僕らの間を通り抜ける。


 千紗は、吹奏楽部の後輩だ。

 ふわふわと波打つ栗色の髪、ブレザーの裾から覗くほっそりとした白い手足。大きな瞳は透き通っていて、きらきらとしている。こんなに小柄な身体なのに、部活中は懸命にチューバを吹いているところが、すごくグッとくる。


 千紗のチューバを背負っているのか背負われているのか倒錯させられる姿にときめいているのは僕だけではない。彼女は、誰もが認める可愛い女の子だ。彼氏になった贔屓目ひいきめなしに、そう思う。


 だからこそ、疑問に思い続けていたことがある。

 千紗は、どうして、僕みたいな冴えないパーカッション男に告白したのだろう。

 彼女なら、もっと格好良い男とだって、いくらでも付き合えるはずなのに。


「今まで聞いたことなかったけど……そ、その……っ」


 千紗は、僕のどういうところを良いなって思ってくれたの?


 口にするあと一歩の勇気が持てず、言葉となる代わりに白い吐息となって消えていく。あまりの不甲斐なさに肩を落としていたら、彼女は僕を見上げながらなんともなしに言った。


「もしかして、わたしが先輩のどこを好きになったのかと聞きたかったんですか?」


 魔法でも使ったみたいにぴたりと言い当てられて、硬直してしまった。


 千紗は、僕の返事を待たずして、そんなの当たり前じゃないですかと言わんばかりに自信満々の様子で答えた。


「それはもちろん、眼鏡が信じられないぐらい似合うところです」


 …………。


 今、僕の気のせいでなければ、眼鏡が似合うだとかいう死ぬほどどうでもいい理由が聞こえてきた気がする。


 でも、どうにかして幻聴だったということにしたい。


「……うん?」


 結構、聴き取り間違いようのないハッキリとした活舌かつぜつで言い放たれたけど、僕は負けじと難聴キャラを演じることでテイク2を試みた。


 なぁ、千紗。さっきのは、照れ隠しの類か何かなんだろ? ほら、二度目の正直だぞ。あれ、それをいうなら三度目だったっけ? まぁ、この際どっちでもいいや。


 嫌に心臓を高鳴らせ続ける僕に向かって、彼女は雪の頬を薔薇色に染めると、この半年間の中で見たこともないぐらい意気揚々と語り始めた。


「ですから、先輩ほど眼鏡によって引き立てられる人間はこの世界に存在しないと言ったんです! びっくりするぐらい冴えない顔立ちなのに、眼鏡をかけるとかなり良い感じになるのが不思議です。九割増といっても過言ではありません」


 泣いても良いかな?


「先輩は、眼鏡の貴公子です。実は、眼鏡星からやってきた眼鏡の国の王子さまだったりするんじゃないですか? ねえ、先輩。絶対にコンタクトなんかに浮気したらダメですよ」

「ストップストップストップ!!」


 耐えられなくなって大声でわめきたてたら、千紗はようやく僕の心を抉り続ける唇を閉じた。何かおかしなことでも言っただろうか? という困惑気味の表情が、さらに僕の心を追い詰める。


「他には!? 眼鏡以外に、なんかないの!?」


 千紗は急にとんでもない難題を突き付けられたかのように、うーんと唸りだした。

 マジか。そんなに悩むことなのか。つい数秒前までマシンガントークをぶっ放していた君は一体どこにいってしまったんだよ……。


「うーん……あっ、そうだ!」

「おおっ!? なに!?」

「先輩の、考えこんでいる時にひたいに人差し指を当てる仕草も、なかなか好きです。前から疑問に思ってたんですけど、あれって、探偵気取りなんですか? 映画の俳優以外で、あんな仕草を実際にする人間がいるんだって感じで微笑ましいです」

「死ぬほどどうでもいいな!! てか、それって、僕のこと馬鹿にしてるだけだよね!?」


 千紗は大きな瞳をぱちぱちと瞬かせたかと思ったら、へらりと笑った。


「ねえ、先輩。わたし、朝ご飯に関しては、ご飯よりもパン派です」

「はあ?」

「季節の好みは、夏よりも冬派です。海の家に赴いてかき氷を食べにいくのも捨てがたいけど、炬燵で蜜柑を食べるのに勝る至福は中々ありません」

「なぁ。今は、そういうどうでもいい話をしてるんじゃ……」

「でも、そういうどうでもいいことほど、案外、一生、変わらないものなんじゃないでしょうか」


 心臓が、激しく高鳴った。突然、素手で掴まれて直接揺さぶられたように。


「わたしは、先輩に一生の愛を誓いたいとは思いません」

「っ」

「それってロマンティックに聞こえるけど、わたしには、なんだか安っぽくも思えるんです」


 千紗の表情が、悲しそうに曇る。


 彼女は、いま、母親と二人で暮らしているらしい。父親とは別居中なのだという。なんとなく踏み込んで聞くのは悪いような気がして、詳しい事情は聞けていないけれど、その言葉から透けて見えた彼女の背負ってきたものの重みになんだか息苦しくなった。


 黙り込んでしまった僕を、彼女が覗き込むように見上げる。

 透き通ったヘーゼル色の瞳が、しゅんと項垂れている僕を映し出した。


「でもね、そんなわたしでも、眼鏡が世界で一番似合う人が好きだってところは一生変わらないんだろうなって信じられます。だから先輩は、これからも一生、眼鏡が世界で一番似合う人でいてくださいね」


 息が、止まってしまうかと思った。


 心臓は、破裂しそうなぐらい高鳴っている。千紗は、眼鏡の奥の瞳を真ん丸にしている僕を見つめながら、悪戯が成功した小さな子供みたいに笑った。


 全く、もう。

 たぶん僕は、一生、千紗には敵わないんだろうなぁ。


「ねえ、千紗」

「なんですか?」

「僕も、千紗の、驚いたときに目を見開いてぱちぱちって大袈裟に瞬きするところ、すごく好きだよ。まるで、漫画に出てくる女の子みたいで」


 千紗が大きく瞳を見開いて、ぱちぱちと瞬く。

 そう、この仕草だ。


「あははっ。それは、さいっこうにどうでも良いところですね」


 僕の彼女は、僕の『眼鏡が似合うところ』を好きになったのだという。

 そして、結局、その真偽のほどは定かではない。なんだかんだで、煙に巻かれたような気もする。


 でも、もう、そんなのどうだっていいやって心から思えた。


【彼女は僕の眼鏡が似合うところが好きらしい 完】

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彼女は僕の眼鏡が似合うところが好きらしい 久里 @mikanmomo1123

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