レンタルJKワカコくん

桜森湧水

第1話

 パソコンの真っ白な画面を見ていた。

 言葉が浮かんでこない日。

 それでも、書かないわけにはいかない。

 ただ、最初の一文のきっかけが欲しい。

 気合を入れて始めるのはダメだ。

 自分のやる気なんてアテにならない。

 西部劇にある、酒場の看板がいい。

 風に吹かれて、落ちる。

 早撃ち勝負が始まる。

 そんなきっかけが。

 

 きゅいいいいん!


 掃除機が悲鳴を上げている。

 時計の表示は午後5時半。

 もうそろそろ、終わるはずだ。

 背もたれに身を預け、天井を見た。


 きゅいぃぃぃん……カチッ。


 止まった。

 上体を起こしてディスプレイと向かい合う。

 一気に文字を打ち込んでいく。

 左から右。

 文字が走る。

 頭は空っぽのまま。

 指が言葉を知っている。

 封じられたアイデアを解放する。

 打ち出された言葉が歓喜する。

 最高時速5000文字で一気に駆け抜けよう。

 細かいミスや誤謬は今はどうでもいい。

 空白を言葉で埋めるのはこの瞬間しかできない。

 立ち止まったら、続きは永遠に来ないかもしれない。

 指が動きを止めるその時まで、画面から目を背けるわけにはいかない。


「センセイ。今日の晩御飯、麻婆豆腐でいいっすか?」


 ワカコくんの声が聴こえた。


「ん? あー、いいね」


 画面から目をそらさず答える。

 当然、指はタイピングを続けている。

 

「辛いの大丈夫っすか?」

「う~ん、中辛くらいなら。ワカコくんは辛い方が好きなの?」

「自分は辛いの好きっすけど、センセイに合わせるっすよ」

「悪いね」

「センセイが謝ることじゃないっす」

「ありがとね」


 麻婆豆腐は好物だけど、頻繁に食べるわけでもない。

 最後に食べたのいつだったっけなぁ? なんて考える。

 当然、指はタイピングを続けている。

 キッチンから金属音が聴こえてきた。

 料理はしないけど、一通りの調理器具は揃っている。

 というか、足りないモノはワカコくんが自分で持ち込んだ。

 彼女は見た目は派手でいかにも遊んでいそうだけど、家事全般が得意なのだ。

 レンタルJKとして家政婦のようなことをしてくれている。

 いかがわしいサービスではない。

 もともとはフリーライターの先輩から勧められた。

 女子高生のリアルな生活振りがわかると言われ、作家志望の僕は創作に役立つかもしれないと利用してみたのだ。

 



________________


 ワカコくんは素っ気ない態度の女の子だ。初めは「ちょっと怖いかな」と感じた。でも、部屋の掃除をしてもらいながら話しているうちに、彼女も読書好きで小説を書いていると知った。

 長年新人賞に投稿しながら、フリーライターをしていることを告げると、ワカコくんは「自分が書いたものを読んで欲しいっす!」と言った。初めは断ったけど、まだ他人に読んでもらったことがない、と熱心にお願いされたので承諾した。


 後日読んだ彼女の作品は、とても拙かったけど、僕みたいなアラサーのおっさんでは思い付かないアイデアや独創的な表現が溢れていて可能性を感じた。

 感想を素直に伝えると、ワカコくんは目を潤ませて「ありがとうございまっす!」と言った。なんだ普通の可愛い女の子じゃないかと思った。


 それから、ワカコくんは僕のことをセンセイと呼ぶようになった。時折相談に乗って欲しいと言われたけど、僕だってアマチュアだ。あまり偉そうなことは言いたくない。だから、彼女を継続して雇うことにした。週に何度かうちに来て、家事手伝いをしてもらいながら創作の話をする。


 僕は苦手な家事をしなくて済むし、ワカコくんも創作の話をしながら(わずかながら)お小遣いが得られる。WIN-WINだと思った。

 そんな雇用契約が結ばれてしばらくすると、僕は思った以上に恩恵を受ける。

 

 ワカコくんとの会話の中に作品のヒントを見つけることが多くなったのだ。

 男女の差なのか。

 一回り違う、年齢の差なのか。

 僕とワカコくんの感覚は大きく違った。

 特に、キャラクターのリアリティに対する意見。

 僕はリアルなキャラの心情を描けていると感じても、ワカコくんの視点では違う。


「ヤバイっす」

「どうしてだい?」

「このヒロインは主人公のせいで両親を失ったんすよね?」

「そうだよ。でも、主人公に救われたから過去と決別して主人公を愛するんだ」

「それなら、過去と向き合う場面をもっと欲しいっす。それか、両親と上手くいってなかったエピソード。今のままだと鹿みたいで、主人公が言う『クールビューティー』とは程遠いっす」

「馬鹿な女……」


 その指摘は僕の心を抉る。

 だって、その時の僕は「最高にイイ女が描けたぜ! イヤッホゥ!」と舞い上がっていたのだから……。

 だけど、ワカコくんの言うことももっともだった。


 冷静に考えた結果、ラブラブだったはずの主人公とヒロインが対立するエピソードが追加された。どちらにとっても重大な決断を迫られるドラマティックなシーンへと続く。


 加筆したエピソードをワカコくんに読んでもらった。

 じっくりとパソコンの画面を眺める彼女の横顔を見る。

 チャームポイントの垂れ目はいつも気怠そうに見えるけど、ティスプレイの光を反射する瞳は真剣そのものだ。

 とても真面目な子なのだ。

 しばらくして、瞬きした彼女は画面から目を逸らした。

「どうかな? 前より良くなった気がするけど」

「……ヤバイっす」


 ……それ……どっちの意味?


____________


「センセイ!」


 大きな声で呼ばれた。

 ワカコくんにしては珍しい。

 僕の方に近付いてい来る足音。

 どうしたのだろう?

 当然、指はタイピングを続けている。


「コレ、なんすか?」


 耳元に何か差し出された。

 だけど、僕はタイピングを続けている。

 執筆中は集中したい、と言っておいたんだけどなぁ。


「ん? なぁに?」


 とりあえず、言葉だけで応える。


「コレっすよ!」


 ずい、と何かが視界を遮った。

 こうなると、流石にタイピング続行不可能だ。


「どうしたんだよ、ワカコくん」


 ディスプレイから離れて、視界を遮ったものを確認した。

 それはゴデバのチョコレートの箱だ。


「冷蔵庫にこんなものが入っていたっす」

「ああ、これはチョコだよ」

「そんなことはわかるっす! 誰からもらったんすか?」

「いや、自分で買ったんだよ」


 先週買ってきたものだ。

 僕はチョコがないと執筆できない特異体質なのだ。

 

「ヤバいっす。そんな下手な嘘はヤバいっす」

「嘘じゃないってば。ワカコくんも食べていいよ?」

「食べるわけないっすよ! 馬鹿にしてんすか?」

「え? なんで怒ってるの?」

「センセイが嘘つくからっす」

「いや、ほんとに自分で買ってきたんだよ? 食べたかったから」

「あり得ないっす」

「どうしてそんなこと言えるの」

「女の勘っす」

「oh……」


 女の勘がアテにならないことを僕は知った。

 同時に、どうしたら誤解を解けるのか頭を巡らせる。

 無実の証拠がなければワカコくんは納得しないだろう。


「いったいどこの誰とデートしたんすか? いつも引きこもっているくせに」

 なんだかトゲがあるぞぅ。

「デートなんてしてないよ。あ、そうだ!」

 スマホを取り出し、トークアプリを開いた。

「何してるんすか?」

「これを見れば納得してくれると思って。ほら、これが連絡先リスト」

 彼女に画面を見せた。

「たくさん女の人の名前があるじゃないっすか」

「女性は、仕事のクライアント、お袋、妹、従妹、他は男ばっかだよ。確認してみなよ」

 ワカコくんはスマホを手に取り操作した。

「え? これだけしか連絡先ないんすか?」

「……人付き合いは苦手だからね」

「ヤバくないっすか?」

「ヤバくはないでしょ」

 彼女の手からスマホを取り戻す。

「これでわかったでしょ? 僕のスマホに入っている女性の連絡先は家族や取引先くらいだ。あ、ワカコくんがいるか。でも、君も取引先に当たるのかな」


 「……当たらないっす」

「え? なんか言った?」

「なんでもないっす。でも、本当に一人でチョコ買ってきたんすね……」

「なんか言いたそうな顔だね」

「いや、なんか恥ずかしくないっすか?」

「恥ずかしくないよ! 男だってチョコ食べたいし! バレンタインの時期は流石に気後れするけどさ……。もう3月だし、いいでしょ」

「……通販でも買えるじゃないすか」

「そりゃそうだけどさ。お店で選ぶのが楽しいじゃん」

 

 そう言うと、ワカコくんは眉を寄せた。


「お店……もしかして、仲の良い店員さん目当てっすか!?」

「いや、違うよー。そりゃ可愛い店員さんもいるけどさ」

「アーアーアー! ギルティっす!」

「なんでさ!?」

「やっぱセンセイもそういう下心があるんすね」


 ワカコくんはため息をついた。


「違うってー! 僕はただゴデバのファンなんだよ! そんなに疑うなら、僕がチョコ買うところを見てればいい。僕はチョコしか目に入ってないからね!」

「……え? それって自分と一緒にチョコ買いに行くってことっすか?」


 ん? ああ、そうなるのか?


「別にワカコくんがいいなら、それでもいいよ」

 そう告げると、ワカコくんは後ろを向き、首を傾げた。

 何か考えているようだ。

 しばらくして振り返った彼女は、無表情のまま言った。

「明日でいいっす」

「え? 明日? まだチョコたくさん余ってるよ」

「明日はホワイトデーっす」

「あ~そっかぁ」

「たぶんなんかイベントあるっす」

「そうだろね」

「……行きたいっす」

 ワカコくんも甘いモノ好きなのか。

 まあ女の子はみんなそうか。

「じゃあ……、明日」

「うぃっす」

 いつものように素っ気なく返事をすると、ワカコくんはおもむろにチョコの箱を開けた。ひとつ摘まんで口に放ると、困ったような顔になった。

「……超甘いっすね」

「そりゃ……、チョコだもん」

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