カモミールなあなた

赤とんぼ

カモミールなあなた

 彼女の瞳は今日もキラキラと輝いていた。

「おーい、お前また北島さんに見とれてるだろ。仕事中だぞー」

 同期の村田にこう注意されるのはもう54回目だろうか。

「いや、今回は嗅ぎとれてるだけだから。俺このにおいが好きなだけだし」

「嗅ぎとれてるってなんだよ。見とれてるみたいに言うなよ。初めて聞いたわ」

 同じく同期の北島さんが僕の近くを通るとカモミールの香りがする。彼女に見とれてることを村田に注意されるたびに僕はごまかす。確か最初に注意されたときは「時計見てただけだし」って言ったっけ。5回目くらいのときは「課長、結構禿げてきたなー」とか言ってたと思う。しかし、54回となると結構な数で、もうごまかしのネタが尽きそうだ。いっそ見とれてたことを認めたほうがいいのか。いや、同じことを54回も注意されていたら周りの人はさすがに気づいているだろう。そんなことを考えていたとき、僕のところに北島さんが歩いてきた。

「石田くん、この仕事手伝ってもらっていい? 今日中に終わらせないといけなくて」

「あ、うん。もちろんだよ。これやっとけばいいんだよね」

「ありがとー! ほんと助かるー」

 そう言って北島さんは自分のデスクに戻っていった。そばに残ったカモミールの香りを感じながら、僕はまた彼女を目で追っていた。

「また見とれてんな、お前」

 村田から55回目の注意がきた。1日に2回も言われるのは初めてかもしれない。

「いや、だから……」

 やばい、もうネタが尽きたようだ。

「なあ、お前今日の飲み会来るのか?」

「飲み会? 今日だったっけ」

「先週言ったじゃん! 北島さんも来るらしいぞ」

「よし、行こう」

 僕は即答した。

「お前、北島さんと家近いらしいじゃん」

「ああ、家の場所は知らないけどそうみたいだな」

「今日の飲み会の帰り、北島さんと一緒に帰れよ! ついでにコクっちゃえよ」

「な、なにを言ってんだよ! 正気か」

「お前が北島さん好きなことくらいわかるよ。あれだけ見とれてんだから」

 やっぱり北島さんを好きなことはばれていた。

「いや、断られるって絶対」

「好きなら好きって言っちゃえよ。お前最後にコクったのいつだよ」

「そうだなー、10年前かな」

「え、まじで! これはもう今日コクらないといけねーな」

「なんでそうなるんだよ」

 僕だって好きなら好きと言いたい。だけど言えない。あの日以来。



 高校1年生だった僕は、同じクラスの女の子のことを好きになった。文化祭の後、僕はその女の子を美術室に呼び出し、好きだと告白した。しかし、返事はNOだった。理由を聞くと「石田くんは2番目だから」だという。

 その2日後の放課後、僕は教室に忘れ物をしたことに気づき取りに向かった。教室の前まで来ると、教室から女子の声がした。こっそり見ると、夕日が差し込む教室の真ん中で、僕が告白した女の子を含む4,5人の女子が集まって話をしていた。

「わたしさー、おととい石田にコクられたんだよねー」

「え、まじで?」

「なんて返事したの?」

「もちろんNOだよ。で、そのあと理由をしつこく聞かれたんだけど、2番目だからってテキトーに言っといた」

「テキトーって」

「でもまあ嘘ではないよ。このクラスで2番目にイケてない男子だから」

「ウケるー」

 この会話を教室の外で聞いていた僕の心臓は、キューっと締め付けられた。教室の女子たちの顔は夕日に染まり、まるで赤鬼のようだった。告白なんてしなければよかった。



 あの日以来、僕は好きな人ができても好きだと伝えることが怖くなった。あとでみんなから馬鹿にされるのではないか、陰で悪口を言われるのではないかという考えがどうしてもよぎってしまう。しかし、告白をしなければ前に進めないのも事実で、僕の中で2つの思いがぶつかった。

 仕事も終わり、村田を含めた同期の7人が飲みに行こうと言い始めた。

「北島さんは? 行かないの?」

 北島さんはまだデスクで作業をしている。まだ今日中に終わらせる仕事ができていないようだ。

「あ、ごめんみんな! 私まだ仕事残ってるから先行ってて」

「わかった。先行ってるねー」

 そう言ってみんながオフィスを出た。僕も村田たちについていく。エレベーターに乗っている時も、会社を出るときも、僕は北島さんのことを考えていた。

「お前また見とれてんだろ。いや、お前流に言うと考えとれてんのか」

 いきなりの村田からの言葉にふと我に返った。

「はは、正解」

「やっと認めたか。お前さ、過去に何があったかはわかんないけど、自分の気持ち伝えたほうがスッキリするぜ。ほら、よく言うだろ? やって後悔するよりもやらないで後悔したほうがいいって」

「いや、逆だろ。『やらないで後悔するよりもやって後悔したほうがいい』だろ、この場合」

「そう、その通りだ。自分でよくわかってんじゃん。告白して後悔するほうがいいって」

「お前、俺にそれを言わせるためにわざと……」

 村田にまんまとはめられた感じがしたのがしゃくだったが、確かにそうかもしれない。この10年間、好きだと言えなかったことでいつも後悔していた。

「俺なんて今までで告白して断られた回数なんてもう数えきれないぞ。確かに最初はめっちゃショックだった。陰で変な噂たてられたり、女子トークの話のネタにされたこともあったっけ。でもさ、勇気出してコクってみると案外スッキリするんだよ。それにコクって断られてって繰り返してると、もう断られてもショックすら感じなくなった。あ、またかって感じで」

 自分と同じようなことをされている人が意外と近くにいて驚いた。そして、それにめげずに前に進もうとしている村田が少しまぶしかった。「いや、そんなに断られ続けてるのもどうかと思うぞ」と言おうと思ったが、今の自分にそんなこと言える資格はない。

「お前らしいな。よし、わかった。俺今日やっぱり飲みキャンセルで」

 ほかのみんなにも飲み会をキャンセルすることを伝えた。村田は、「よし、行ってこい」と言わんばかりの笑顔でこっちを見ていた。僕はオフィスに向かった。

「あれ、石田くん、飲み会は?」

「うん、今日は休肝日だったの思い出したから行くのやめた」

「そうなんだ、休肝日ね」

 北島さんは笑った。普段は仕事している顔しか見ないせいか、ふとした彼女の笑顔にドキッとした。

「仕事手伝うよ」

 そう言って僕は北島さんのデスクに残った書類を半分取った。

 誰もいないオフィスに2人のパソコンのキーボードをたたく音だけが響く。1時間半ほどしてようやく仕事が終わった。

「はぁー、やっと終わったー」

「ほんとにありがとね! 石田くんが手伝ってくれたおかげで早く終わった」

 僕は、帰り支度を始めた北島さんの近くに寄った。

「あのさ、北島さん。話があるんだけど……」

「何?」

「俺、北島さんのことが好きです!」

「えっ」

 彼女は驚いたような顔をしてこっちを見た。2人は沈黙した。あまりの静かさに自分の心臓がバクバクしている音が北島さんに聞こえるのではないかと思った。そのとき、ふと「石田くんは2番目だから」という言葉が過り、あの日の記憶で頭の中がいっぱいになった。僕は耐え切れず、自分の荷物を持って走り去った。カモミールの香りがツンと鼻を衝く。



 そして現在、僕は29歳になり、今は結婚式場の新郎新婦の控室にいる。

「緊張してる?」

 僕の隣に座っている北島さんが聞いてくる。

「緊張しないわけないでしょ。あんなに人呼んじゃったんだから」

「顔ひきつってるからリラックスね」

 オフィスで北島さんに告白してから1週間後に、北島さんから付き合ってもいいという返事をもらった。そして3年間の交際を経て今ここにいる。

「あのさ、ほんとに俺でいいの?」

 僕は3年間密かに思っていたことを聞いた。

「どうしたの急に?」

「いや、俺が1番好きな人なのかなって」

 北島さんは僕の質問に戸惑っているようだが、すぐに微笑んだ。

「もう寿退社したから言うけど、オフィスであなたに告白されたとき、実はあなたは2番目に好きだったの」

「2番目」という言葉に一瞬動揺する。

「1番じゃないんだ……」

「そうね、1番は村田くんだったな」

「えっ、村田!?」

「うん。でもね、私考えたの。1番好きな人と付き合うのって疲れるだろうなーって」

「疲れる?」

「だって、嫌われたら終わりだって思っちゃって変に気を使ったりするでしょ。それに最初から1番の人だと相手への期待も大きくなって、ちょっとでも嫌なとこ見ちゃったら嫌いになりそうだし」

 そうか、最初から1番目の人だったら2番目以降に落ちることはあっても上がることはないんだ。

「これは俺喜んでいいのかな?」

「もちろんだよ。あなたには変に気を使うことはないし、一緒にいて楽だもん」

 そういえば北島さんから仕事を頼まれるときは村田ではなくいつも僕だった。

「俺、これから2番でいながら君の1番になるね」

「なにそれ」

 そのとき、村田が控室に入ってきた。

「おー、まさかお前たちが結婚することになるとはなー。まあ、とはいえおめでとうな!」

「サンキュー村田、来てくれて」

「ありがとね村田くん」

「で、2人で何話てたの?」

 僕は今の話を村田にも話した。村田は「まじかー。惜しいことしたなー」と悔しがりながら笑っている。そこに、式場のスタッフが入ってきた。どうやらもうすぐ式が始まるようだ。

「よし、行こうか」

 僕と北島さんは立ち上がった。

「うん」

 心地よいカモミールの香りに包まれている中、北島さんは僕を見てうなずいた。キラキラと輝かせた目を、僕だけに向けて。

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