番外編2 帰ってきた二人

 早く目が覚めたのは疲れていたからかもしれない。飛行機移動、そして前後の電車移動。行きとは違い、それらの時間全てを睡眠に充てられたわけではなく。結果、家に帰って来た頃にはもうくたくただった。


 待ってた家族へのあいさつもそこそこに、ぱぱっとシャワーを浴びてベッドに入った。自分が一体何時に寝たのか全くわからない。


 とにかく、平日朝の平均起床時刻より、一時間ほど早くリビングに降りた。そこには、思わず目を疑う光景が広がっていた。


「そうそう、なかなか筋がいいじゃない」

「えへへ、そうですか? お褒めに与り光栄です、お母様」


 母さんの他に、もう一人キッチンの中にいる。銀髪を靡かせるその人物は、間違いなくアリスだった。彼女の制服姿を見たのは、ずいぶんと久しぶりな気がする


「あら、あんたもう起きてきたのね。早いじゃない」

「幸人さん、おはようございます」


 困惑したまま立ち尽くしていると、二人が声をかけてきた。アリスはさておき、母さんもなぜ平然としているのだろう。早朝……といっても七時をちょっと過ぎたところだが、来客があるような時間ではないと思う。


「何してるんだ?」

「見てわかるでしょうよ。朝ごはんとあんたの弁当の用意。それをアリスちゃんが手伝ってくれてんじゃないの。それよりも、せっかくアリスちゃんが挨拶してくれてるってのに、あんたはまったくどうしようもないわねぇ」


 このおばさんは朝から元気だな。よくもまあこんな長々と捲し立てられるものだ。呆れを通り越して、尊敬すら覚える。


 母さんの言うことはもっともで、俺はちょっと神妙な顔を作ってからアリスの方へと身体を向けた。彼女の姿が眩しくて、なんだか照れ臭い。


「……おはよう、アリス」

「はい! おはようございます、幸人さん」

「それ、さっきも聞いたぞ」

「えへへ、そうでしたl


 可愛らしくはにかむアリス。もはや完全にいつも通りの日常だ。


 釈然としない部分はあるものの、俺はリビングへ。ソファに腰を落ち着けて、テレビのリモコンを操作する。


「アリスちゃん、手際いいわねぇ」

「まああの、一人暮らしですから」


 テレビを観ながらも、その内容は全く入ってこない。BGMにすらなりえない。二人の会話が気になってしょうがなくて、そっと聞き耳を立てていた。


「大丈夫? 何かと不自由してるんじゃない?」

「いえ、平気です。ようやく慣れてきましたし」

「何かあったらいつでも来てくれていいからね。なんならうちで暮らす?」


 ——吹き出しそうになった。もし液体を口に含んでいたら、大惨事になっていた。


 なんでそんなとんでもないことをぶっこむのか、あの人は……。冗談のつもりなんだろうが、ことアリスについてはシャレになってない。


「って、ダメよね。ご両親にもっと心配かけちゃうものね。せっかく、ちゃんと話し合いが出来たばかりなのに」

「…………あ、あはは、そうですね」


 その表情を決して確認するつもりはないが、彼女はきっと残念そうな表情をしているだろう。声の調子でわかる。


 両親やまり姉には、アリスは家庭の事情で東京に戻ったと説明してある。それが解消していっしょに戻ってきた。全ては俺の早とちりだった、そんな感じ。


 父さんはともかく、かあさんはうまく丸めこめられたようだ。本当は前世関連のてんやわんやなんて、口にする前からどうなるか予想はつく。


 彼女と母親の会話がそれ以上物騒になることもなく、俺はホッとした気持ちで寛いでいた。やがていい香りが漂ってくると、空腹感がその存在感を急激に強くしてくる。


「で、アリス。こんな朝っぱらからどうしたんだ?」


 ひと段落ついた彼女は俺の隣に座った。ピタリと身体をくっつけて頭を少しこちらにもたれかけてくる。甘い香りが鼻腔をくすぐった。


「無性に幸人さんに会いたくなって……非常識だとは思ったんですが、お母様に連絡をして来てしまいました。ごめんなさい」

「別に謝って欲しかったわけじゃ……そのびっくりはしたけど、嬉しかったし」


 気恥ずかしくなって、俺は顔を背けた。なにか、心が凄く安心した。さっき彼女を見た時に。平日らしい格好をして、ようやく戻ってきたという気分だった。


 だからこうして一緒に並んで座っているのもすごく落ち着く……のだけれど。


「ただもうちょっと離れてくれ。さすがにここでは……」

「そ、そうですね。わたくしもつい……」


 キッチンには母さんがいるまま。俺たちは今、決して二人きりなわけじゃない。そろそろ父さんが起きだしてきてもおかしくないわけで。


 アリスがちょっとだけ横にずれた。それでも肩同士は触れ合ったまま。


「ねぇ幸人さん。さっきの話、どう思いました?」

「さっきの話しって」

「聞いてたんじゃないですか? わたくしがここでお世話になる話。身体、ビクンってしてましたよ」

「……まあな」


 俺はもうアリスの顔を見ていることができなかった。この後に発しそうな言葉は容易に想像がつく。


「あーあ、本当に来てしまおうかしら。お母様もああ言っていたことですし」


 その呟きはとてもジョークのようには聞こえなかったが、俺は聞き流すことにした。やはり節度は守るべきだと、心の奥底で激しく継承が鳴っている。東京で遊び惚けた後だと尚更そう思う。


 父さんへの借金は膨れ上がっていた。




        *




 クラスメイトの登校は殆ど済んでいた。喧騒の中、真直ぐに教卓へと歩いていき、担任から押し付けられたプリントの束を無造作に載せる。


 自分の席に向かおうとして、すぐに剛と学と目が合った。


 着席するなり、二人してにやにやしながらこちらを振り返ってくる。


「溝口さんのとこ行ってたんだって?」

「ああ。昨日うちに電話来て」

「日曜日なのに大変だな」


 剛の言葉は生徒教師溝口どちらに向けられたものだろうか。


「で、だいぶ絞られたのか?」

「いや、表向きは休んでいた分の追加課題を渡されただけだったよ」

「ああ、それ持ってるやつか」


 白波幸人専用課題。溝口の担当する国語だけじゃなく、数学と英語も入っている。全三十ページのそれは、とても今週一週間では終わる気はしない。


 ある種のペナルティだというのはすぐにわかった。これを寄越してきた時の担任の顔が全てを物語っていた。あの人が焚き付けてきたくせに、と思うが、文句を言う権利も資格もない。


「サボりはバレバレだったってことかぁ。で、お土産は?」

「ないよ、そんなもん」

「えぇ、ちゃんと頼んだじゃないか。ひどいなぁ、幸人」

「今度機会があればな」


 当面はないだろうが。次東京に行ったら、アリスの実家に連れていかれそうで、俺は妙な恐怖を感じている。


「でもまあ、無事に二人で帰ってこれてよかったじゃないか。唯……吉永とか、滅茶苦茶心配してたぞ」

「……ねえねえ幸人」


 学に引っ張られて、剛からちょっと離れる。剛はかなり怪訝そうな声をしていた。


「剛、なんかおかしくない?」

「吉永との話だろ。お前も気づいたか」

「そりゃ気づくなって方が無理だよ。幸人は知らないだろうけど、木曜とか金曜も何度か口を滑らせてたし。あれ、気づいてほしいのかな」

「本人的には誤魔化せてるつもりなんじゃないか」


 元々、吉永は剛に気があったようだし。そういう関係になってもおかしくはない。だが、相手は剛。今まで勉強していなかった男。そう一筋縄ではいかないと思うが……。


 横目で、もう一人の疑惑の人物の様子を窺う。彼女はアリスと何か盛り上がっているようだった。さっき教室を出た時には、ちょっと揉めているような雰囲気もあったのに。


「おい、いつまでひそひそしてる?」

「――っと、ごめん、ごめん。ねえ、剛。吉永さんとはいつから付き合ってるの??」

「…………は?」


 剛の顔が、唖然とした表情のまま固まった。まばたき一つすらしない。


 初めて見る親友のそんな顔に、俺はある種の確信を得た。きっと学も同じだろう。


「見たぞ、俺。二人で抱き合っているとこ」

「ば、ば、馬鹿言うなよ……。何時の話をしてる?」

「学祭の花火の時」

「……どこでだ?」


 相手の顔がより険しくなった。カマを掛けるつもりだったが、あまりうまくは行かなかったらしい。そこにはいつもの冷静さが戻ってきているに見える。


 俺は学と顔を合わせた。正直な話、こいつが口を割らなくても、真実が明らかになるのは時間の問題な気はした。


「ええと、木陰で?」

「どこのだ? 校庭に、木陰はいっぱいあると思うが」


 完全に余裕を取り戻したらしい。奴はぐっと身を乗り出してきた。


「……うわっ、必死だねぇ、剛」

「俺はただ、でたらめを言う奴が嫌いなんだ」

「だってさ、幸人」

「こいつは本当に……」


 思わずため息が出た。腕を組んでふんぞり返る。本当に難儀な性格をしていると思う。まあそこが取り柄でもあるんだが。


「あ、お帰りなさい、幸人さん。そうだ、大力さん、おめでとうございます。唯さんとお付き合いされているんですよね」


 いきなりアリスがこちらを振り向いた。そして、爆弾発言を投下する。俺たちの会話を聞いていたような抜群のタイミングで。


 本当に直ぐに真実が明らかになるとは。これにはさすがに苦笑いをするしかない。


「…………そ、、それを誰から」

「へ? わたしからだけど。まずかったかな、剛君?」


 吉永も続いてこちらに身体を向ける。そこには無邪気そうな笑顔が浮かんでいた。


「待て待て。もうしばらく黙っているんじゃ……」

「別にアリスちゃん、無事に戻ってきたからいいかなーって」

「それはそうなんだが」

 

 剛が推されているところを初めて見た気がする。それも女子に。なかなか珍しい光景に、俺は思わず目を見張った。


 しかし、剛と吉永が、か。人のことを言えた義理じゃないけど、なかなかの組み合わせだな。だが、この感じを見ていると案外気が合うのかもしれない。


 ちょっと和んでいると、斜め前の席が強く机を叩いた。……俺の席なんだけど。


「剛! どういうことだい!」

「いや、これはだな……学、抜け駆けしたのは悪いと思っているが――」

「違うよ、俺は真実を隠そうとしたことに怒っているんだ」

「学……!」


 謎のコントが始まった。長い付き合いとはいえ、こんな目に見える地雷を踏むつもりはない。

 

 俺は少し椅子を引いた。そしてアリスの方に顔を向ける。


「ええと、なんでしょう、これ」

「俺にもわからん。――そうだ、吉永。アリスが色々と心配かけて悪かったな」

「どうして、白波君が謝るの? ……あっ、彼氏としてか!」


 核心をついた発言に、俺は言葉を失った。


「ラブラブだねぇ、アリスちゃん」

「いえそれほどでも」

「遠回しに認めないでくれよ……」

 

 誰からともなく笑い出す。そして、謎の言い合いをしていた剛たちも顔を突っ込んできた。


 これが今の俺の日常だ。この場所に、アリスと一緒に戻ってこれてよかった。平凡だった俺の学生生活は、こんなにも――いや、これから大きく変わっていくんだろう。


 そのことを思うと、俺は少しだけ胸が躍った。

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俺、自称前世の恋人に愛されすぎてます! かきつばた @tubakikakitubata

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