二番目の誕生日【KAC2】
Nico
二番目の誕生日
「三十過ぎたら、誕生日なんて嬉しくもなんともないわよ」
明美さんが、笑いながらそう言っていたのを思い出す。
明美さんというのは、私が大学生のころにバイトをしていたパン屋のオーナーの奥さんだ。オーナーがパンを作り、明美さんがそれを売る。それが、テレビにも取り上げられたことのある地元で人気のパン屋の基本的な仕組みだった。
人生三度目のぞろ目を迎えたという明美さんは、秋田の田舎から上京したばかりだった私なんかより、よっぽど洗練された女子大生に見えた。
「えー、そんなことなくないですか? 一年に一度ですよ? いつまで経っても嬉しいと思うけどな」
「それは、人生を駆け上ってる人だから言えるセリフよ。山を登り終えて、あとは下るしかないって時にまた一つ老いるのよ? 嬉しいはずないじゃない」
「もう人生下り坂迎えてるんですか? 早くないですか? てか、いまの発言は世の中の三十代女性を敵に回しましたよ」
「画面の下に小さく『個人の意見によるものです』って注を付ければ、大丈夫よ」
あっけらかんとした性格で、いつも笑いながら経営者である夫を支える明美さんを、私は尊敬していた。
けれども、やはり明美さんは間違っていたと思う。今日、三十歳を迎える私は、人生で二番目に幸せな誕生日を迎えようとしていた。
業界二位のコピー機メーカーに入社した私は、入社三年目で営業職に就いた。その時に私の指導役だった先輩が、三年後に私の彼氏になった。そして、今日が二人で一緒に迎える二回目の誕生日だった。
去年の誕生日は、二人で過ごす初めての誕生日ということもあり、かなり奮発して東京タワーの見えるホテルの最上階のレストランで食事をした。人生で一番幸せな誕生日だった。
二年目の今年は、「地に足のついた誕生日にしよう」と彼が言い、私もそれに同意したので、私の家で迎えることになっていた。毎年、前の年より豪華な誕生日を迎えようと思ったら、たぶん五回目くらいで宇宙に行かないといけなくなっていたから、彼の提案は地に足のついた賢明な判断だったと思う。
彼は、優柔不断な私とは対照的に決断が早かった。だから、自然と彼がリードし、私がそれに従う関係性が築かれていった。私はそれに不満はなかったし、彼に従う二番目のポジションに居心地の良さを感じていた。
私は午前中で仕事を終えると、会社帰りに夕食の食材を買い揃え、両手にエコバッグを抱えて自宅のマンションに戻った。
彼は昨日から名古屋に出張に行っていて、帰ってくるのが午後七時過ぎになるということだったので、私が先に夕食を作って待っていることにした。彼には「私も仕事だから、夕食は簡単なものになるけどそれでいい?」と尋ねたが、決断の早い彼は「もちろん」と即答した。
そう見せかけて、午後休を取り、手の込んだ料理で彼を迎えるというのが私の魂胆だった。
そのために、普段は買わないA5ランクの牛肉や、おそらくは今日使ったらクリスマスまで戸棚にしまわれることになる調味料を買い込んでいた。
エコバックをキッチンに置き、料理に取り掛かる前に、とトイレのドアを開けたところで、中に人がいるのに気づいて腰を抜かした。驚きのあまり、声も出なかった。彼がばつの悪そうな微笑みを浮かべていた。
「え? うん? なんで? あ、てか、ごめん」
慌てて閉めたドアが彼のつま先に当たる。
「痛っ! 大丈夫だよ、トイレしてないから」
「うん? なに、どうなってるの?」
私の疑問に答えることなく、彼はにやけた顔のままリビングへと戻る。私は訳もわからず後に続いた。いつも通り、二番目のポジショニングだ。
「出張は日帰りだったんだ。昨日のうちに帰ってきてた」
「え? 嘘ついたの?」
「そう。で、今日はごちそうを作ろうと思って有休にした」
そう言うと、彼はソファの後ろから膨れたエコバッグを取り出す。
「裕子は仕事だと思ってたから、料理を作って驚かせようと思ってたのに、鍵を開ける音がしたから、焦ってトイレに隠れちゃった。てか、仕事は?」
「午後休。ごちそう作って驚かせようと思って」
「考えることは同じだね」
「私が一番だと思ったのに」
彼の方が先にいた。「やっぱり、私は二番目か」
彼がエコバッグの中身を取り出し始める。私も買ったものを横に並べた。牛肉と鶏肉、玉ねぎと長ねぎ、ごま油とオリーブオイル、パセリとバジルの香辛料が並んだ。
最後に、バッグの中から彼が赤ワインを、私が白ワインを取り出す。
「ことごとく、合わないね」と彼が笑う。
「全部かぶるよりいいけどね」と私も笑う。
「とりあえず、乾杯する?」
そう言って彼が白ワインを開ける。二つのグラスに注ぎ、私たちは乾杯をした。
「誕生日おめでとう」
彼はそう言うと、グラスを私のそれに合わせた。
「誕生日おめでとう」
私がそう言い、グラスを彼のに合わせる。
今日は彼と私の誕生日だ。同じ日が誕生日なので、私たちはグラスを二回合わせることにしている。一回目が彼の誕生日の分。私は二番目だ。それが心地よい。
「そう言えば、午前中に宅配便が届いたよ」
そう言って、彼がダイニングテーブルの上に置かれた小さな段ボールを指さす。
「宅配便?」
私は箱に書かれた送り主の欄を見て、思わず笑みをこぼした。箱を開けると、メイプルロールが顔を出す。
「え、パン?」
「とっても美味しいのよ」
あっけらかんとした明美さんの笑顔が浮かんだ。
明美さん、三十歳の誕生日、人生まだまだ上り坂ですよ。
※作中の表現は、個人の意見によるものです。
二番目の誕生日【KAC2】 Nico @Nicolulu
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