私だけは認めない
三谷一葉
私だけは認めない
百年に一度、魔王が目覚めの時を迎え、世界は滅びの危機を迎える。
その度に《勇者の剣》に選ばれた勇者たちが魔王を封印し、世界は今まで生き延びてきた。
故に、勇者の家系に産まれた者は、次期勇者として《勇者の剣》を引き抜くことを期待されている。
「勇者アドニスの娘、アンリ、前へ」
「はい」
聖職者の厳かな声に従って、一歩前に進み出る。
村に一つしかない教会の中に、入れるだけの村人たちが詰めかけていた。入口から中央にある十字架の前の道だけがぽっかりと空いていて、その真ん中にアンリがいる。
十字架の前に、石台に深々と突き刺さった抜き身の剣があった。柄は赤銅色で、細身の剣。勇者として認められたいなら、この剣を抜く必要がある。
「勇者となり、世界を救う覚悟があるのならば、この剣を抜いて見せよ」
「はい」
ひとつ深呼吸をしてから、剣の柄に手を掛けた。両手でしっかりと握り、ゆっくりと────
(…………あれ?)
どれだけ力を入れても、剣はびくともしなかった。動く気配すらない。
「どうした、アンリ。そなたの覚悟を見せよ」
「は、はいっ」
聖職者が顔をしかめる。慌てて返事をしたが、声が無様に上擦ってしまった。
額に冷や汗が浮かぶ。全力疾走した後のように心臓が暴れていた。どれだけ力を込めても、祈りを込めても、剣は抜けそうにない。
やがて、どこから共なく深いため息をつく音が聞こえた。
「もうよい。下がれ。そなたは勇者ではない」
「…………っ」
無慈悲な聖職者の声に、アンリは息を詰まらせた。
剣の柄から手を離し、最低限の礼儀として頭を下げて、すごすごと村人達の列の中に混ざる。誰かがクスクスと笑う声が聞こえた。
「勇者アドニスの息子、ヒューゴ、前へ」
「はいっ!」
何事もなかったかのように、聖職者が次の者の名前を呼ぶ。
剣の前に進み出たのは、まだ十にもなっていない幼い少年だった。
アンリの八つ下の、実の弟だ。
幼い少年の顔を見て、アンリの前では一度も笑顔を見せなかった聖職者が、ほんの少し頬を緩ませた。その次の言葉も、アンリと同じもののはずなのに、何故か優しげな響きに聞こえる。
「勇者となり、世界を救う覚悟があるのならば、この剣を抜いて見せよ」
「はいっ」
元気よく頷いた弟は、アンリのように深呼吸したりはしなかった。
返事をした勢いのまま剣をつかみ、一気に引き抜く。幼子の手には重いはずの剣を両手で軽々と持ち上げて、弟は得意げに周囲を見回した。
「よく示した。神聖教会は、勇者アドニスの息子ヒューゴを、新たなる勇者として認めよう」
聖職者の宣言が終わるのと同時に、教会の中に歓声が響き渡った。
次なる勇者が決定した後は、勇者の誕生を祝う祭りになる。主役は勿論ヒューゴだ。村中の人々の笑顔に迎えられ、花吹雪を浴び、この日のためにと用意されたご馳走が次々に振舞われる。
アンリはそれを、少し離れたところで呆然と見つめていた。
「お前は祝ってやらないのか」
背後から声が聞こえる。振り返らなくても、父がすぐ近くに居ることがわかった。
「自慢の弟が勇者として選ばれたんだ。姉として祝ってやったらどうなんだ?」
「…………」
確かに、姉としては祝ってやるべきなのだろう。
だが、アンリは勇者になれなかった。
何も言えないアンリに構わずに、父は容赦なく言った。
「なんでお前が剣を抜けなかったのか、わかるか? お前が偽物だからだよ。覚悟が足りない、想いが足りない、形ばかりの偽物だから、剣が応えてくれなかったんだ」
父はアンリの背後に立ったまま、滔々と続けた。回り込んで来たりはしない。こちらが振り向くのを待っているのなら、意地でも振り向いてやるものかと思った。
「お前、ヒューゴに嫉妬してただろ。八つも年上のくせに、みっともなく。ヒューゴは純粋に世界を救うために努力したが、お前はそうじゃなかった。他人に認められたい、一番になりたい、要は自分のためだけに努力してたのさ」
歯を食いしばり、手が真っ白になるまで拳を固く握りしめる。顔は見えていないはずなのに、父が不敵に笑っているのがわかった。
「本物の勇者っていうのは、そんな生半可なもんじゃないんだ。お遊びでやってたお前と一緒にするんじゃねえよ」
「…………っ!」
限界だった。反射的に振り向き、手を振り上げる。
父はやはり不敵な笑みを浮かべていた。アンリが手を振り上げたのを見て、多少は驚いたのか、目が丸く見開かれている。
殴ってやるつもりだった。女の力では、痛くも痒くもないだろうことは承知の上で。
だが、父の顔を見た途端に、そんな気は失せてしまった。
「私は偽物じゃない!」
父親に向かって怒鳴りつけ、何か言われる前に走り出す。
村にアンリの居場所は無かった。とにかく一人になりたくて、村の外の森へと走った。
「ああアアアァァア゛ア゛ア゛ア゛──!!」
森の中に、ぽっかりと空いた空間がある。
喉が裂けるような絶叫を上げながら、アンリはその中で剣を振り回していた。
技も何もあったものではない。ただ暴れているだけだ。
「アアッ、あっ、うあっ、ウアアアアッ!」
とてもじっとなどしていられなかった。叫ばずにはいられなかった。
父の言葉は真実だ。アンリはヒューゴに嫉妬していた。他人に認められたいと思っていた。それが勇者に相応しくない、偽物なのだと言われればその通りなのだろう。
「ウアアアア、ア、ヒッ、ウウゥゥァァアアアアッ!」
だが、何故アンリがヒューゴに嫉妬したのか、何故他人に認められたいと思っていたのか、父は知っているのだろうか。
勇者の家系の長女として産まれたアンリは、ことあるごとに男の子だったら良かったのにと言われ続けてきた。
早く男児を産むようにと、村人に急かされる母の姿を見てきた。
弟が産まれるまでは、お前が父の跡を継いで勇者になるのだと言い聞かされて育った。
弱音は許されなかった。泣き言など言語道断だった。少しでも隙を見せれば、これだから女はとため息をつかれてしまう。
「ハァーッ、ハァーッ、う、うぅぅ」
弟が産まれた時、両親だけでなく村中が歓喜した。それでも、アンリが勇者候補であることには変わりは無かった。
誰もがヒューゴに輝かしい笑顔を向けた。誰もがアンリに引きつった憐れみの笑みを向けた。
ヒューゴが正式な勇者候補で、アンリは補欠。弟のヒューゴは一番で、アンリはニ番目だ。
それを、見返してやろうと思っていたのに。
叫ぶ気力も暴れる体力も全て使い果たした。地面の上に大の字に寝転がり、ぼんやりと空を見上げる。
足音が聞こえる。こちらに近づいて来るようだった。アンリは寝転んだまま、動かない。
もし今何かに襲われたら、そのまま餌になるしかないなと思った。それならそれで構わないとも。
「あ、あのー。だ、大丈夫?」
足音が止まる。空しか映っていなかった視界の中に、ひょっこりと女性の顔が割り込んできた。
知らない顔だ。村人ではない。アンリよりは年上だが、母よりはずっと若いのではないかと思った。
「なんか凄い声聞こえてきたんだけど。大丈夫? 怪我とかしてないよね?」
「あなたは…………?」
「ん? あたし? あたしはねー、通りすがりの勇者かな」
「勇者!?」
予想外の言葉に、アンリは思わず飛び起きた。女性がにっこりと笑う。
「そうそう勇者。だからさ、何があったのかわからないけど、とりあえずこの勇者のお姉さんに相談してみない?」
その日、太陽が完全に沈んだ頃に、アンリは村へ戻った。
もう祭りは終わり、村はいつもの夜を過ごしている。
母は祭りの後始末に追われ、弟は騒ぎ疲れて眠ってしまったようだった。父は上機嫌に、グラスに注いだ酒を舐めている。
「父さん、私、勇者になるから」
「はあ? お前、昼間の話ちゃんと聞いてたか? お前は偽物なんだよ。偽物。覚悟も想いもまるで足りてない、自分のことばっかりで何も見えちゃいない」
「勇者の剣、無くても勇者になれるんでしょ」
「はあ?」
目を丸くする父親を正面から睨みつけて、アンリは宣言した。
「私、絶対勇者になるから。偽物なんかじゃない」
勇者のお姉さんは、アンリに向かってこう言った。
《勇者の剣》なんかなくても勇者になれるよ。あたしだって持ってないし。そりゃあ剣引っこ抜いて認められたら格好良いだろうけどさ。
勇者ってね、なりたい人がなるものなんだよ。だからさ、なっちゃいなよ。勇者に。
アンリならきっと素敵な勇者になれるって。
もし勇者やるのが嫌になっちゃったら、その時は辞めちゃえば良いんだから。
だからさ、もうちょっとだけ、頑張ってみない?
私だけは認めない 三谷一葉 @iciyo
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