5.知らない誰か

 



 痛覚とは生物が生きていく上で必須となる機能の一つである。痛みを伝えることで宿主に危機が迫っていることを示し、それを回避させようと訴えかける。生命を維持しようとするたった一つの、しかし最も重要な本能故に。


 珍しい人の症状としては『無痛症』というものがあり、生まれついてそれを持ってしまった人達は無意識の内に自らの身体を傷付けてしまう事も多い。痛覚が無い故に、身体の異常にも気付くことが出来ないのだ。そういった事例を見れば、痛みというのがどれほど有難いのかよく理解出来るだろう。


 ……何が言いたいのかって? 俺にもよくわからん。ただ、一つだけ言いたいのは……


「いだだだだだだだた!!!?」


「ちょっと我慢してって! あんまり動き回ると傷くっつくの遅くなるんだから!」


 ……きっとこの耐え切れない痛みにも終わりはあるんだろうということだ。




◆◇◆




 激痛の走る余りに荒々しい治療をどうにかこうにか終えた後。脂汗塗れの顔を拭いながら、俺は助けてくれた少女の事を見上げていた。


「……感謝はしてるけど、あの痛みはなんとかならなかったっすか? 痛過ぎて立てないんですが」


「はぁ? しょーがないでしょ、治癒魔法だって万能じゃないんだから。神経丸々繋げ直して、足りない部分まで無理やり再生してるんだから痛いに決まってるじゃん」


 さもありなん。治癒魔法といえど、フィクションのように便利な魔法ではないということか。いや、そもそもこの現実に魔法が存在する事自体フィクションのような話なんだが。


「まあとりあえず、貴方は私の窮地を助けてくれたし、私は貴方の傷を癒した。これで貸し借りナシって事でいい? ダンジョンの中といっても、というか中だからこそそこら辺はきっちりしないとネ」


「……あー、はい。それで良いっす」


「……何よ、反応薄いわね。治癒魔法まで使ってあげたんだし、普通だったらもうちょっと吹っ掛けても良いくらいなんだから感謝してほしいトコなんだけど……」


 そこで言葉を切ると、少女はジロジロとこちらの全身を舐め回すように見る。


「……ま、アンタのその身なりじゃ大したものも無さそうだし、吹っかける意味もないしね」


「聞こえてるぞ腐れビッチ。そんな痴女みたいな格好しやがって」


「はぁっ!?」


 おっと、しまった口が滑った。いや滑らせたんだが。


 しかし、俺が思わずそんな事を言ってしまうくらいに彼女の服装は際どかった。どれくらい際どいかというと、ディ◯ガイアのエ◯ナくらい際どい。それ本当に服? 間違って下着で出てきてない?って思う位には布面積が少ない。


 胸の服は最早薄く胸にくっついているような状態だし、腰元は小さいホットパンツのようなものしか履いてない。お陰で黒いストッキングとの間に眩しい絶対領域が華々しく生まれている。


 というか腰元から長めの尻尾も生えてるし、背中にもなんか羽生えてるし、この子もしかして人間じゃない? いや、仮に人間だとしたらダンジョンという危険領域にコスプレ姿で突っ込む狂人ということになる。いずれにせよ関わり合いになりたくない。


(……私の幻術が効いてない? 少なくとも周りからは普通の冒険者に見えるようにしてる筈なのに……)


「……ね、ねぇ? 貴方、私の事どんな風に見えてるの?」


「は? いや特に……ただ痴女と幼女を兼ね備えた珍しい存在かなって」


「だ、だだ誰が幼女よ!? これでも立派に一人前なんだから!!」


 言葉選びのせいか、少女がプリプリと怒り出す。まあ怒らせるような言葉を選んだので当然だろう……容姿のせいで全く怖くは無いが。


 後引く痛みに耐えながら、ゆっくりと立ち上がる。とにかく、足音の原因と思われる主は倒したのだ。スマホをチラリと確認すると、既に1時を回っている。さっさと帰って寝なければ、明日の学校に響くだろう。


「……何その光る板。なんか写ってるみたいだけど魔法?」


「いやスマホだけど……それ知らない演技とか態々しなくて良い。役作りか知らんけどあざといから」


「すまほ? 役作りとかアンタ何言ってんの?」


 本気で疑問符を浮かべながら問いかけてくる少女。この不機嫌な感じ、どうにも嘘を言っているようには見えない。どうにも嫌な予感がする。


「……あー、えっと。君テレビって知ってる? アニメとか、ドラマとか」


「だから何のこと? 言われたの一つも知らないんだけど。もしかして私の事バカにしてる?」


 ……これは、まさか。


「……じゃあその、君って人間?」


 俺がそう問うと、少女は僅かに口籠る。やがて彼女は観念したように諸手を挙げた。


「バレてちゃ仕方ないわね。そ、見た通り私は人間じゃない。このダンジョンに住んでる魔物よ」


「……そっかー」


 そうかー、人間じゃないのかー。うん……うん。


 まあ考えてみればヒントはあった。入口にあった『このダンジョンはおひとり様用です』の文言。あの言葉が真実だとするならば、そもそもこのダンジョンに俺以外の人間は存在しないことになる。それで魔物がセーフっていうのはどうにも釈然としないが。なんか抜け穴でも突いたかのような小狡さを感じる。


「……え? その、もっと何かないの? 魔物に会ったっていうのにリアクション薄くない?」


「え、怖がった方が良かった? 演技とか苦手な方なんだけど、それでも良いなら」


「いやそんな無理してまで驚いては欲しくないんだけど……普通は私みたいな魔物に出会ったっていうなら血相変えて逃げ出すか目の色変えて追い掛け回すかの二択だっていうのに、アンタ変わってるわね」


「はあ、そんなもんか」


 俺からしてみれば、姿形はほぼ人間で言葉も通じる相手を躍起になって殺そうとする気持ちの方が分らんがな。これを変わってるというならば、寧ろ変わっているのはその『普通』の方だと思う。


 早く帰りたいオーラをそれとなく醸し出している俺を放置して、なにやら考え込む少女。やがて名案でも思い付いたかのようにポンと手を打ち鳴らすと、スルスルと俺の懐に入り込む。ちょっとやめてくれない? まかり間違って惚れて告白して振られたらどうするんだよ。いや振られてどうする。


「ねぇ~、ちょーっとお願いがあるんだけどぉ」


「断る」


「返答はやっ!? まだ何も言ってないんだけど!?」


「いきなりあんな猫なで声を出されたら、誰だってろくでもないこと頼まれるんだろうなと察せるだろ……」


「とりあえず話だけでも聞いてよ~。別に損する話じゃないんだからさ~」


「分かった、分かったから服を引っ張るな。俺のお気に入りTシャツがシワだらけになるだろ……」


 帰ろうとはしてみるが、無理やり服を引っ張られてしまった為仕方なく制止する。ああ、俺の爆裂道Tシャツが……。


「よしよし、初めから大人しくしていればいいの……コホン。単刀直入に言わせてもらうわ。アナタ、私と組まない?」


「あ、怪しい人には付いて行くなって妹に教育されてるんで」


「妹に教育されてるじゃない……だから茶化さないで話を聞きなさいって! いい? アンタさっきから見てる感じ、戦闘力はそこそこあるけどダンジョンについての知識、全然無いわよね?」


「……戦闘力も大して無いがな」


「そこは私の主観だからいいの。とにかく、アンタには戦闘力があるけど知識がない。反対に私は、このダンジョンにはそこそこ詳しいけど戦闘力がほとんど皆無。どう? 私達、いいコンビになれると思わない?」


 ……なるほど、確かに申し出だけ見れば納得のいく条件だ。お互いに持つ物、持たざる物をギブアンドテイクで差出し合い、このダンジョンを攻略する。これぞWIN―WINというやつだろう。


 が、なんだろうかこの胸騒ぎは。どこか疑問を抱えたような、胸のつかえを感じる。


「……まあ待てよ。別に俺はダンジョンを潜ると決めたわけでは無いんだが?」


「嘘ね。だってアンタ、迷い込んだって感じじゃないもの。アンタはここに潜らなきゃいけない理由があった。違う?」


「……」


 まったくの大当たりだ。今度は俺が無言で手を挙げる。これ以上言い訳を重ねても、ただ彼女と共に行動しない理由を探すだけになってしまう。下手な敵対は、こちらとしても望むところではない。


 それに、表面的とはいえこちらにも益のある話だ。そうと決まればさっさとこのダンジョンを潰すべく、彼女にも協力してもらうとしよう。


「ふふん、それじゃあ決定ね。私の名前はネルスキュラ。気軽にネルスキュラ様って呼びなさい。種族はサキュバスよ」


「だろうな……俺の名前は佐藤太郎。気軽に太郎様って呼んでくれ」


「やーだ、こんな小さい娘にそんなプレイ強要する気? 見かけによらず鬼畜なのね」


「言い出したのはお前だろうが……いやちょっと待て、なんで俺についてこようとする。お前はお前の寝るところがあるだろ」


「いいじゃない、折角協力するって決めたんだから、寝床くらい同じにしないとダメでしょ。ほら、さっさと歩く!」


「んな理不尽な……」


 とりあえず、仮に本当に寝床に入ってこようとしたら蹴っ飛ばしてやろうと内心で誓った。

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ダンジョン・オブ・ぼっち 初柴シュリ @Syuri1484

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