4.やらなければならない事




 決意を持って入りはしたが、目の届く範囲に小鬼の様な魔物は存在しなかった。なんだと拍子抜けしそうになる心を押さえつけ、辺りを警戒しつつ進む。


「……それにしても、あの看板は何なんだったんだ」


 『お一人様専用』。確かそんな文言が出入口の看板には書かれていた。基本的にパーティーで潜入する事が推奨されるのがダンジョンというものだというのに、それを一人で行わなければいけないとは何事か。


 というかそもそもダンジョンに入る上で制限なんてあるのか? 少なくとも調べた中で、誰かが入れなくなるような仕組みがある場所などなかった。勿論国が制限を掛けるような危険なダンジョンは存在するが、それはあくまで後から掛けられた制限。今回の例には当てはまらない。


 ……そもそも専用ってなんだ。一人しか入れないって事か? まあ、そもそも一緒にやる相手なんていない訳だから問題ないんだが。おっと、なんだか目から汗が。


 そんな事を考えている内に、先日辿り着いた空間に到着する。疲労困憊しきっていた昨日は気付かなかったが、どうやら光は祭壇の様な場所に備えられている宝石から漏れ出ている様だ。


 恐らく昨日の様に触れれば自室へと戻る事が出来るだろう。だが、異音の源を見つけていない状態で戻る訳にもいかない。俺の精神の安寧の為にも、せめて一目見てから戻りたい。それが鬼か蛇かというのは置いといて。


 軽く辺りを見回してみると、右側にも通路が広がっている。ぽっかりと口を開けた様に待ち構えている非現実的な空間は、俺の恐怖心を煽るに十分だった。


 いざとなればバックしてダッシュ。我ながら情けないとは思うが、油断して死ぬよりはマシだ。警戒しながらゆっくりと前へ進んでいく。


「この声は……?」


 そんな時だった。俺の耳に何者かの声のようなものが聞こえてきたのは。


 しかもこのハッキリとしない感覚……これは啜り泣きだろうか? ホラゲーが苦手な俺に取っては正味近付きたくない所だが、流石に俺と同じような人間がいるのであれば見過ごすわけにもいかない。


 慎重に辺りを確認しながら歩みを進める。先日の小鬼のような障害はどうやらいないようだが、泣き声だけは相変わらず聞こえてくるので心臓に悪い。何なんだろうねコレ本当に。


 しばらくトボトボと歩いていると、かなり開けた空間に到達する。天井は遥か見上げなければ先が見えないほど高く、道幅もかなり広い。しかし、明らかに通常の空間とは違う。


 まず部屋の床が十字路を描くように広がっており、それぞれの通路の先がどこかの部屋へと繋がっている。部屋の四隅はまるで余らせたかのようにぽっかりと黒い穴が広がっており、その先は何があるのか底も見えない。恐らく落ちてしまえば命の保証は無いだろう。覗き込んでしまった俺は思わず肩をぶるりと震わせる。


 しかも先ほどの通路よりも更に暗い。明かりの数自体は増えている筈だが、それ以上に空間が広すぎる。ここまでくるとよっぽど近くの敵でなければ視認もままならないだろう。仕方無いので警戒して付けていなかったスマホのライトを付ける。するとどうだろう、物凄く見え辛かった足場があっという間にはっきりと。ビバ文明の利器。ビバ現代っ子。もうスマホなしでは生きていけないね。これが本当のスマホ依存症ですか?


「……なーんてふざけたこと言ってみたけど、これどーしよ」


 手元のスマホに照らされ露になった視界の中には、傷だらけで横たわる一人の少女……のようなものが飛び込んでいた。


 ようなもの、と但し書きを付けたのには勿論ちゃんとした理由がある。何と少女の額からは短い角、背中からは黒い小さな翼、そして腰の辺りからは長く黒い尾が生えていたのだ。いわゆる『モン娘』というやつである。


 まあダンジョンやら異世界やらに登場する存在としては定番だが、大抵こういった娘はちょろいヒロイン要員か18禁本のスケベ要員として導入されるのが関の山ではないのだろうか。少なくとも俺のような陰の者に主人公など似合いそうもない。


 この傷で果たして彼女は生きているのだろうか……? とおずおず彼女の首筋に手を当ててみる。人間と体の構造が同じなのか自信はなかったが、トクントクンとゆっくりとしたリズムを刻んでいる所を見るにどうやら命に別状は無いらしい。


「……う、痛……あなた誰……?」


「あ、えっと……只の通りすがりっすけど」


 いつから目覚めていたのか、少女が薄く掠れた声を上げた。驚いてしまった俺は反射的に手を退けるが、彼女はそんな些細なことを気にする余裕もないようだ。薄く目を開けてこちらを見ると、苦しげな息を吐く。


「……この際誰でもいい。お願い、少しでいいの。時間を稼いで……その間に、回復したいの……」


「え、時間稼げって言われても……」


 一体何から守ればいいというのだろうか──そんなことを質問しようとした矢先。


 ──ヒタ、ヒタ


「……っ」


 足音。


 そうだ。いったい何を勘違いしていたんだ? 俺がこのダンジョンに再び入る切欠になったのは、。こんな傷だらけの彼女が歩けるはずがない。


 咄嗟に足音の方向を振り向く。同時に向けたライトに照らされた先には、見覚えのある緑色の肌が映し出されていた。


「クソッタレが……!」


 口を突いて出た悪態の言葉と同時に、腰元の山刀に手をかける。柄を握りしめた瞬間に、体の奥から不可思議な力が湧いてくるような気がした。


 相手も俺の動きに気付いていたのか、同じく形の歪な山刀で応戦。しゃがみから逆袈裟に斬り上げようとした俺と、大上段から降り下ろした小鬼との間で激しく斬り結ばれる。


(──これが『剣術』スキルの力か? あんまし頼りたくねぇけど……)


 不思議と刀が手に馴染む。ピタリと手に吸い付くようなフィット感は、刃物の扱いすら覚束なかった先日と比べればえらい違いだと言えるだろう。まるで長年扱ってきた相棒のように。


 レベル1でこの有様とは、果たしてレベルが上がっていけばこの先どうなってしまうのだろうか。えもいわれぬ不安と期待がないまぜになった感情が、胸の奥を襲った。


 ──しかし、今ここは戦いの場。及びも付かぬ将来のことを考えようなどとすれば『鬼に笑われてしまう』。目先の命へと全力を注げなかった俺は、すぐさまその代償を体で支払うこととなった。


「なっ、ああああっ!?」


 陰から現れた。まったく予想もしていなかった伏兵に、俺はあえなく左腕を切り裂かれてしまう。


 迸る鮮血。錆びた短刀に切り裂かれた事により、左の二の腕には痛々しい裂傷が残される。それは裂かれたというより、抉られたというほうが寧ろ正しいのだろう。


 ──グゲゲゲゲゲ! ゲギャギャ!!


 まるで馬鹿にするかのように二匹の小鬼が笑う。クソ、めっちゃ腹立つ。


 あまりの痛みに蹲りたくなるが、それをすることは許されない。痛みを堪えながらも、必死に震える膝を抑え込む。何しろ初対面とは言え、傷だらけの少女が背後に寝ているのだ。ここで退いてしまえば男が廃るというもの。


 ────。


 ───。


 …………本当にそうか?


「……いや、そんなカッコイイ理由なんてねぇから」


 ……自分に言い訳できるほど、俺は器用じゃない。仮にも生物を殺すというのに、正当な理由付けなどは寧ろ相手への侮辱だろう。


 そう、これは只のエゴ。生き残りたい。まだ死にたくない。妹を残しては逝けない。だから、俺の代わりにお前が死ね。ただそれだけの単純な話なのだから。


 俺は、俺の為に相手を殺す。そう決意を固めながら、ゆっくりと息を吐く。痛みと雑念に紛れていた思考が、ゆっくりとクリアになった。


 痛み、不安、苛立ち。その一切を思考の端に寄せる。考えるべきは目の前の敵をどう殺すか。なるべく俺が傷つかないよう、最短経路で。


 闇には少しばかり目が慣れてきた。スマホのライトを一旦落とし、カメラアプリを再び起動させる。


 奴らは侮っているのか、中々近づいてこない。素早くポチポチといくつか操作をこなし、背面を表にした状態で奴らの目の前へと滑らせた。


 唐突に転がってきた物に警戒を隠せない二匹。やはり夜目は効くようで、しっかりとスマホの軌道を目の当たりにし、注意を払っていた。そう、それでいい。それでこそ俺の計画が上手くいく。静かにほくそ笑みながら、右腕で目を覆った。


「──はい、チーズ」


 ──カシャッ!!


 。時間差で瞬いた光は、何も知らない小鬼達の目を確かに焼く。


 武器すら捨てて顔を押さえつつ悶える二匹。こうなってしまえばもう此方の独壇場に持ち込めた様なもの。正にまな板の上の鯉である。斬ろうが焼こうが俺の自由だ。


 ……しかし、いざ斬ろうとすると先程左腕を斬られたせいかうまく力が入らない。剣術スキルの恩恵があるとはいえ、錆びた山刀と片腕だけで首を斬れる程の技術は俺には無いのである。


 ならば仕方が無い。俺が殺せないのであれば、相手から死んでもらう事にしよう。


 力を込め、思い切り小鬼の片割れを真横に蹴飛ばす。小鬼と表現するだけあって非常に小柄なその身体は、まるで枯れ木の様に転がっていった。


 そしてその先にあるのは──例の黒い穴だ。


 まともに俺の攻撃を受けた小鬼は、抵抗することも出来ずそのまま縁から身体を滑らせる。


 僅かな叫び声。それだけが小鬼がこの世に存在していたという証明になった。


「やっぱ底無しかよ……怖ぇ」


 自分の部屋の裏にこんな恐怖空間があると思うと実にゾッとする。まあ、現在進行形で生命を奪っている奴がどの口で言っているのかという話だが。普通はそっちの方が怖い。


 残った小鬼には、全体重を乗せた山刀を突き刺す事でトドメを刺す。先程とは違い、確かに命を奪った感覚が手に伝わった。


「……恨むなら恨めよ。俺だって死にたくねぇからな」


 瞳孔すら無い、白く濁った小鬼の目は、既に宿主の命が無いにも関わらず憎々し気に俺のことをジッと睨み付けていた。


 あからさまに向けられる負の感情。それが寧ろ今の俺には心地良い。こんなクソッタレには相応しい処遇だろう。


 緊張が解けて思わず座り込んでしまう俺。その時丁度、ファンファーレの様な音が鳴り響いた。


『おめでとうございます! レベルアップしました。スキルポイントを活用しましょう』


 名前:佐藤 太郎

 レベル:2

 状態:《出血》

 体力:5/13 (11→13)

 魔力:5/6 (5→6)

 筋力:12 (10→12)

 技術 +《剣術》Lv.1

 残りスキルポイント10



 システムメッセージと共にステータスが表示される。どうやら上がり幅に差はあるが、レベルアップすると自動的に成長していく様だ。これで考えるべき事スキル関係だけになった。正直助かる。


 というか体力やばくない? 左腕の出血が想像以上に不味いのだろうか。なにせ『状態』という新しいステータスが表示される位なのだから。


 試しに状態の部分をタップしてみると、例に漏れず説明欄が開く。



 ▼《出血》


 燃える血潮は、冷たい滴となって命を蝕む。残体力の数値を一定時間ごとに1減少させる。



 ……結構不味いのでは? コレ。


 意識し始めると何だか更に痛くなってくるのが人というもの。焦りが痛みを呼び起こし、苦痛は焦燥を呼び起こす。まさに負のスパイラルへと陥ってしまった訳だが、ここで救いの手……になり得るかもしれない少女が目を覚ました。


「痛た……危ない危ない、魔力残ってなかったら命もヤバかった……あれ、アンタもしかして?」


 先ほどまで生死の間際を彷徨っていたとは思えないほどフランクな言葉遣いであるが、そんな事を気にする余裕も俺にはない。恐らく青ざめているであろう薄い笑みを浮かべながら、なんとか声を絞り出した。


「あの……出来たらで良いんで助けてくれませんかね? なる早で」

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