狐と狸の化け比べ
家宇治 克
その面の裏表
「だぁぁ! くっそぉ! また負けたか!」
佐吉はその輪の中心にいる狸が憎らしくて仕方がなかった。仲間の狐連中は結果通りだ、と悔しがりもせず、佐吉を
佐吉も決まった勝敗に駄々をこねるのを止め、仲間に混じって散らかった
狸勢の方から、佐吉に声をかける者がいた。
「ちょっと、佐吉やい。少し話をしないか」
それは佐吉に勝った、
人の身の彼を見るなり佐吉は
「なんでぇ。てめぇが俺に話すことなんざあるもんか。勝ったぞとでも言うんじゃねぇだろうな? 俺が相手してんだ。はなっから知ってらい!」
「今日もいい喰いつきぶりだ。おめーさん分かってるだろう。俺が今までおめーさんに勝ったことを自慢したことがあるかい?」
「あったよ! 三百と二十九とちょっと前だ!」
「そんな江戸の頃を引っぱれなんて言ってやしないよ。よく覚えてるもんだな」
二郎太は鳥居に背中を持たれて座ると、
「俺たちばかり化け合って、酒の一滴も飲んじゃいない。ここに集まれるのは月に一度なんだから、呑まねぇのは損だろうよ」
二郎太に言われ、佐吉は大人しく酒を貰う。反対側の鳥居の脚にもたれ、くいと酒を呑み込んだ。
「てめぇのその態度が気に入らねぇ」
「もう酒が回ったのかい?」
「違ぇよ。いつも化け比べの後は俺と酒を交わすだろう。飽きやしねぇのか」
「飽きやしないね。大体、嫌なら断ればいいだろうに。わざわざ付き合ってくれるたぁ嬉しいね」
そうはいってねぇ、と言う前に佐吉のおちょこに酒が注がれた。
わざわざ反対側から歩いてきては、酒を注いで戻る。二郎太に佐吉はまた腹を立てた。
ここ三百年もの間、佐吉は化け比べで二郎太に負けてばかりいた。最初負けた時こそ、他に化け比べしていた奴らもいたため気にはしなかった。
だが百年前には化け比べするのは佐吉と二郎太の二人だけ。その時から負けた悔しさは計り知れないほどに大きく深くなっていた。
二郎太と何を競っても勝てなくなっていた。
一度、狐と狸が話し合って別の催しをしてみたが、結局一番は二郎太で、佐吉はその後ろについた。
何度練習を重ねようが、何度新たな技を身につけようが結果は同じ。二郎太が微笑む最後ばかりを見続けていた。
「一番ってのは、どんな気分だ?」
佐吉が聞くと、二郎太は波紋のたつおちょこに視線を落とした。
どんな喜ばしい言葉が出てくるのかと、佐吉は首を伸ばして待つが、二郎太はおちょこを空にした。
「ちっとも嬉しくないね」
二郎太のそのセリフに佐吉はおちょこを投げて返した。それくらい、腹立たしいことだった。
「嬉しくねぇだと?」
「ああ、嬉しくない」
「本当にちっともか?」
「本当にちっともさ」
二郎太は、佐吉と酒を交わす方が嬉しいと言うが、佐吉にはそれが分からなかった。
「じゃあ、次の新月に」
二郎太は徳利をささっとしまうと闇に紛れて消えてしまった。残った佐吉は地団駄を踏み、二郎太の言葉に腹を立てていた。
***
約束の新月が近づいてくると、狐はせっせと酒や宴の準備を始める。人の姿に身を変えて酒を買いに行ったり、餅やご馳走をこしらえたりと忙しない。
佐吉はそれに参加せず、二郎太を負かそうと
どうしたものかと悩んでいると、遠くの方から何か聞こえてきた。
人間だろうか?いや、稲荷神社は狐の
恐る恐る茂みを分けて見に行くと、その向こうには二郎太がいた。
佐吉が見ているとも知らず、あらゆるものに化けていく。人、獣、虫、草木……狐にはない変化の種類に佐吉は感嘆を零した。
ふと、思いついた。
────あいつの
佐吉はしめしめと、二郎太の変化を一通り見て覚えた。それを、自分も出来るようにこっそりと練習した。
今度こそ二郎太を超えられると、心を踊らせて。
***
久々に浴びた歓声と、喜び抱きしめ合う狐たち。
佐吉が見つめる先には肩を落とす狸たちと残念そうな二郎太がいた。
久々に勝った。最後に勝ったのは明治か大正か。それくらいだというのに、ようやく二番を二郎太に押し付けられたのに──
「ちっとも嬉しくねぇもんだな」
いつものように佐吉と二郎太は鳥居の前に立っていた。二郎太は佐吉と月のいない空を見上げた。
「一番ってのは、こんなにつまらねぇもんだったか?俺ぁ、てめぇに勝てりゃ嬉しいと思ったんだけどよ」
「何も嬉しいこたぁないさ」
佐吉は突然、恥ずかしくなった。
二郎太がいつものように鳥居に背中を預けると、佐吉は二郎太の真正面に立った。
「すまねぇ」
佐吉は深く頭を下げた。二郎太は驚いて何が起きたか分かっていなかった。
「俺が勝ったのは、てめぇの変化の真似をしたからだ。自分の実力じゃあねぇんだよ。そりゃあちっとも嬉しくねぇさ。やっぱりてめぇが一番だ」
二郎太は佐吉の謝罪を笑った。そんな事か、と。
二郎太はおちょこを二人分出して言った。
「おめーさんが俺の真似をしたってのかい。そりゃあいい話だ。まぁ実を言うとな、俺もおめーさんの真似をしてたのよ」
二郎太の告白に佐吉は目を見開いた。
二郎太はおちょこを佐吉に持たせ、懐や袖を漁りながら話す。
「いやぁ、おめーさんいつも奇抜な技を出すだろう?俺にない発想を持ってるから
「なんだって!? てめぇ、俺の真似してたってのか。通りで似てる変化が出てくるわけだ。なんでぇ、てめぇが勝ってたのは俺の真似か」
「そういうこった」
佐吉は全身から力が抜け、その場に尻もちをついた。二郎太は飛んできた木の葉を掴むと、それを頭に乗せた。
「俺はいっつも一番だったかもしれねぇが、本当はおめーさんが一番だったんだ。俺がやってたのは化け比べでもなんでもない。ただの猿真似よ」
佐吉はくくっと笑い、袖で鼻をかいた。
狸が猿真似とは笑えるものだ。そんな奴に腹を立て、悔しがっていたのがバカらしくなった。
二郎太は徳利を忘れたらしく、つまらなさそうに空のおちょこを眺めた。
佐吉はそれを見て、懐から徳利を出した。
「猿真似し合った化け比べに順番なんざねぇよ。一番は、二人で酒を交わすこと、だ」
二郎太はおちょこを突き出し、酒をもらうと「違ぇねぇな」と口をつけた。
佐吉は二郎太の言っていたことが分かった気がした。いつもは勝ち負けの話しかしなかったが、今回は二人で変化の仕方やその対象について語り合った。酒も進み、徳利を空にするとそれぞれの陣営で余った酒をありったけ持って交わした。
佐吉は勝敗なんかどうでも良くなっていた。
空がしらみ始め、誰もいなくなった境内で二人は酒を片付けた。
二郎太は大きくあくびをし、変化が解けて毛むくじゃらな腕で眠そうに目を擦った。
「次また新月のときだな」
佐吉が言うと、二郎太は頷いた。
「また一番になれるといいな」
それは激励であり、挑発だった。
佐吉は腹を立てるどころか笑って返した。
「酒が回ってるらしいな。化け比べは『二番目』を決めるもんだろう」
二郎太は「そうだった」と袖に酒瓶をしまう。そして人の姿を保つと、佐吉に手を振って茂みの向こうへと帰って行った。
佐吉は返したそびれたおちょこを見つめた。
染み付いた酒の匂いが鼻腔をついた。
「狸はずるい」
「狐はずるい」
同じことをつぶやいたとも露知らず。
狐と狸の化け比べ 家宇治 克 @mamiya-Katsumi
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