二番目のお客さんが来た時に ~ 怪異譚は眼帯の巫女とたゆたう ~

佐久間零式改

二番目のお客さんが来た時に





「二番目のお客さんが来た後なんだよね、いつも」


 言実町の外れにある喫茶店『ミライ』に呼ばれた左目に眼帯をした稲荷原流香は、巫女服というここには似つかわしくない姿でカウンター席に腰掛けていた。


 流香は店主である早坂光男の話をカウンター越しでそっと耳を傾けている。


 昔から夫婦二人だけで経営している喫茶店で常に和やかな雰囲気があるためか、その雰囲気が気に入っている常連客が一定数いる。


 だが、今は込み入った話がしたいからなのか、早坂光男と稲荷原流香しか店内にはいなかった。


 流香の父親もここの常連で、父親に連れられてよく訪れていた事もあり、二人は旧知の仲と言えた。


「話の前にうちのコーヒーを」


 早坂はいればかりのブレンドコーヒーを流香の前に置いた。


 カップは英国製のもので優美な模様が描かれている。


「ありがとう」


 さっそくコーヒーに手に取り、口の前まで持っていく。


 そして、香りを楽しんだ後、軽く一口喉に流し込んだ。


「モカの味が強くて好みです」


「うち、ブレンドはその苦みがいいっていうお客さんが多いんだよね」


 早坂は褒められた事が嬉しいようで破顔した。


「姉もそう言っています」


「……ああ、瑠羽ちゃんか。あの娘もコーヒーが好きだったね。駅前の喫茶店で働いていて、コーヒーの味を研究しによく来ていたね」


 早坂は悲しそうに顔を陰らせて、そう呟いた。


『姉の魂は削り取られた私の左目に居座っているのです。死んでもなお現世に居続けようとする、生に対して貪欲な姉なんですよ』


 流香は姉の話題が出る度によくそう言っている。


 事実であるかどうか流香本人にしか分からない事だが、失った左目には闇が住んでいる。


 左目の眼帯を取り去ると、ゆらめく闇がそこにはある。


 人の命の炎であるのかのように揺らめき、その存在を誇示しているのだ。


 流香はその闇が『姉の魂』と広言して憚らない。


「……話を」


 姉の話題が辛いからなのか、流香は脱線しそうだった話を修正しようと言葉を発した。


「ああ、そうだったね。お店を十時に開くんだけどね。一番目のお客さんが来た時は何にもないんだよ。でもね、二番目のお客さんが来た後におかしな事が起こるんだ。しかも、ここ最近、毎日だよ」


 早坂は腕を組んで、困っているんだと主張するように顔を横に振った。


「どのような事です?」


「二番目のお客さんが来た時だけなんだが、誰かもう一人が店内にいるような気配がするんだよね。人が一人増えているっていうか、そんなところだね」


「増える?」


 言葉の意味が掴みかねて、流香はその先を促すようにオウム返しをした。


「一番目のお客さんも、二番目のお客さんも、私と同じように感じるみたいなんだよ。でもね、おかしな事に、三番目のお客さんがお店に入ってくると、その気配が消えるんだ。おかしいだろう?」


 早坂は腕を組んだまま、さらに困惑を表情に出して、解決して欲しいとばかりに流香に視線を送る。


「来店してきたお客さんは同じじゃないんだ。ほとんどの場合が別の人なんだよね。これが。だから、何なんだろうなって思ってさ」


 流香はそんな早坂の視線を感じながら、二口目のコーヒーを喉に流すと、舌に渋みが残ったようで乾きに似た刺激が残った。


 渋みが残るのはあまり好きではなかったので、流香はカウンターに置かれている砂糖入れに手を伸ばしてたぐり寄せる。


「……」


 砂糖入れと開けてみると、中には砂糖の欠片がわずかに残っているだけで、スプーン一杯分もない。


 流香は砂糖入れを閉じるなり、店内を軽く見回した。


 カウンターやテーブル席に置かれている砂糖入れなどの容器の並びが多少乱れているようにも見える。


 それに清掃がどこか行き届いていないようにも見受けられる。


 他にも何かが足りないように思えてならなかった。


「ん? 流香ちゃん、どうかしたの?」


 流香は言葉を返さずに、カウンターの砂糖入れを開けて、中を見やる。


「質問が一つあります」


 砂糖入れを元に戻すなり、顔を上げて早坂の目をじっと見据える。


 右手を挙げて人差し指を天へと向ける。


「ここのお店は夫婦二人でやっていましたよね?」


 小さい頃から、よく笑顔で対応してくれていた奥さんであろう人の笑顔を流香は思い出して、朗らかな気持ちになった。


「昔から来ている流香ちゃんなら、それくらい知っているよね」


 早坂は組んでいた腕を解いて、不思議なものを見る目で流香を見た。


「二番目のお客さんが来てから気配が増える理由は簡単です」


「えっ?! もう分かったの!」


 早坂がカウンターから身を乗り出してきて、流香を食い入るような目で見つめた。


「付き合いがあまりなかったので性格的な事は知る機会がなかった私がこういうのは語弊があるかもしれないですが、奥さんは心配性ではありませんでしたか?」


「……あ、ああ。う、うん。そうだったが」


「ならば、二番目のお客さんが来てから人の気配が増える理由は簡単です」


「な、なんなんだ、理由って!」


 早坂はさらに身を乗り出してきて、カウンターから倒れ込みそうなほどだ。


「奥さんの生霊です」


「……えっ?」


 肩すかしを食らったかのように早坂の身体がカウンターから崩れ落ちそうになる。


 そうなるのをぐっと堪えて、


「生霊って……そんなわけ……」


 と、絞り出すように言葉にした。


「たくさんのお客さんが来たら、早坂さん一人でお店をまわせるかどうか心配だから、奥さんの生霊がお店に来てしまっていたのでしょうね。奥さんはどうしてお店にいないでしょうか?」


「未来は一ヶ月前から入院していて……」


 思い当たる節があるのか、思案顔を見せながら体勢を立て直して、再度腕を組んだ。


「砂糖が入っていない砂糖入れ、清掃がどこか行き届いていない店内……おそらくは奥さんがそういった事を担当したのではないでしょう?」


「あれ? 砂糖、入ってなかった? ごめん!」


 砂糖を用意しようとする早坂を手で制して、


「奥さんが入院しているようでしたら、お見舞いに行ってきてこう告げてください。『一人でできるから治療に専念して欲しい』と。その一言だけで二番目のお客さんが来店した時に発生する人の気配はなくなると思います」


 流香は砂糖を入れずにコーヒーをくっと一口飲み、その苦みを確かめる。


「流香ちゃんがそう言うなら……」


 不服なのか、あるいは、まだ納得していないのか、早坂は疑問視している風があった。


「一人で切り盛りできるかどうか心配で仕方がないのでしょうね。一番目のお客さんならば大丈夫だと分かっていても、二番目のお客さんからはきちんと対応できるかどうか気が気ではなかったので生霊として現れるも、三番目のお客さんがきた時にきっちりと対応しているのを見て、ようやく安心して奥さんの生霊は帰っていったのではないでしょうか?」


「ははっ、砂糖を足すのを忘れるくらいだからね。連れがいないとダメだからね、私は」


 早坂は恥ずかしそうに頭を掻いた。


「このお店は奥さんだけで経営していたのか、それとも、奥さんのためにこの店を開いたのかは分かりませんが、思い入れがあるからこそ、生霊として現れてしまうのでしょう」


 喫茶店の店名は『ミライ』。


 そして、早坂光男の奥さんの名前は『未来』。


 生霊となって現れるほどの『思い入れ』が心に生じてしまい、無意識のうちに生霊となって、この喫茶店を訪れていてもおかしくはない。


「早坂さんの言葉で奥さんを安心させてあげてください」


 苦みが舌に絡みつく。


 その苦みは消えそうもなかった。


 流香は入院している理由を訊く事ができなかった。


 この喫茶店で働く事ができないほどの重病である可能性が捨てきれず、そのために、生霊となってこの喫茶店に来ているかもしれないのだから。


「……」


 流香はカップを持ち上げて、コーヒーをすする。


 そこでようやくさっきまでの苦みと、今の苦みに違う事にハッとした。


 舌に絡みついていた苦みは、奥さんの病状を訊く事ができないもどしかによる残香ではなかったのかと……。


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