第40話:史郎の突然の死


 その後、首都圏・老人問題協議会のメンバーに就任して1級建築士として

いろんなアイディア、意見を出し、この問題解決に奮闘した。協議会で老朽化

して立て替えできないマンションを耐震化して、老人施設として使えるものが

千ヶ所ある事を突き止めて30万人分の老人施設を提案して完成させた。


 その他、ゴーストタウン化しているニュータウンの手直しで40万人分の

住居が確保できた。更に、低年金生活者のために、自分の死後に、残った財産

を入居一時金として使える様に法律を改正して月々の支払金額を減らす事が

できるように改善した。そして、金融関連会社、リース業者、建設・不動産会社

、個人、団体、法人、特殊法人が老人施設市場に参入できるようにした。

 これにより空き屋が取り壊され、次々に3階建ての木造老人ホームができ、

リフォームしたマンションも含め、新しい老人施設70万人分ができた。


 この様な対策で2028年までに、東京で100万人分、神奈川、千葉、埼玉

で100万人分、山梨、群馬、栃木、茨城で100万人分の老人施設が完成した。

 これらの対策で2025年には首都圏の老人問題は徐々に解決に向かった。


 また、関東でも名水が多く、簡単な消毒処理で、飲料水になったり、

未処理の川の水も生活用水として利用でき、風力、小水力、太陽光発電を

利用し、できるだけ、自前で水、自然エネルギーを利用する施設も増えた。

 そうして、今ある鉄道やエネルギー、その他のインフラ施設を大事に修理

しながら継続使用することを心がけて行った。社会貢献に積極的な企業も

多くなり、相互扶助の社会が日本に蘇ってきた。


 2033年になり、団塊の世代の人達が、多く亡くなり、老人施設が余って

きたので、その施設の再利用の方法を協議会で審議していた時、史郎は急激な

頭痛に襲われ病院に担ぎ込まれた。診断の結果、脳梗塞と判明。奥さんの

早苗さんと息子の誠一が病室に来てくれた。そうして数日後からリハビリの

訓練を始めた。薬物治療の効果も出て少しずつ回復していった。3週間後、

若干の麻痺が残ったが、退院することになった。


 家に帰ってから、息子の誠一に、現在経営している老人ホームの決算書を

見せた。もしできれば経営をの継続をお願いしたいと行ったところ、急に

決められないので検討すると誠一が言った。父、史郎の資産の残金は

5.3億円だと言う事も打ち明けた。誠一が、それなら経営を継続しても

良いと言ってくれた。2033年5月8日、快晴の行楽日和の日に、

誠一の運転で、史郎の経営する房総の老人施設を訪ねた。


 そこの施設長に、状況報告をうけ、スタッフ達と、やっと日本も昔の様に、

人を慈しむの社会に戻りましたね、本当に良かったですねと笑っていたが、

また史郎が、強烈な頭痛に見舞われ救急車で近くの亀田総合病院に

担ぎ込まれた。


 運び込まれた病室のクリーム色のカーテンが海に沈む夕日の赤で、ビロードの

赤のように染まって、史郎の人生という映画の幕が下りたような感じがして、

早苗の目に涙が浮かんだ。そして史郎の満足そうに、笑っている様な史郎の

顔が見えて、早苗は、感情を抑えられなくなり、泣き崩れた。(終了)

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伊藤侯爵の忘れ形見 ハリマオ65 @ks3018yk

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