【九】
次郎はめざめたが、動こうとしない。晴影の行動を静観している。
「そうだ、それが賢明ぞ。次郎はよくわかっている」
「黙れ」
晴影を忌みきらうことにかけて、私は次郎の足許におよばない。その次郎が、晴影の好きにさせている。この状況をよしとしているわけではなく、いまはそのやりようを最善手と捉えているのだろう。身の危急にあっては、晴影とも共闘せざるをえない。身が滅べば、晴影も滅びるのである。
晴影は小五郎をつかい、妙嶽寺道悦との会見を取りつけた。会見の場は、敵の本拠たる妙嶽寺。
「おやめくだされ。わざわざ虎口に飛びこむようなもの」
「虎の巣にも入れなければ、虎を狩ることなどできぬ」
諫める弾正を、晴影は軽くいなす。「この身に替えて、若殿をお守りいたします」と小五郎。
「うぬの命ごときで、若の命をあがなえると思うな」
「左馬助と、選りぬきの侍どもを連れてゆく。それでまろの身も守れよう。弾正、采配をゆだねる。まろの身に事あらば、妙嶽寺を灼きはらえ」
「若......」
晴影にはきちんとした成算があって、次郎にもそれがわかっている。だから静観をつづけている。
開玉八年五月八日。禁軍は妙嶽寺を囲い、そのうちで晴影と道悦は
妙嶽寺の佇まいは、寺というより山城である。妙嶽と呼ばれていた山に築かれたがゆえの、安直な命名である。このときを見こして天然の要害に開基したのだとしたら、妙嶽寺道蘭には先見の明があった。
左馬助と小五郎、それに屈強の侍五名。晴鏡の身を守りながらゆるゆると、踏みならされた参道を登る。狭い山道に、大軍が一挙に攻めいることはできない。攻めるにむつかしいことは、素人目にもわかる。晴影は抜かりなく、周囲に目を配っている。不意討ちを警戒しているのではなく、ここを攻めおとす算段をめぐらせているにちがいない。
櫓門をくぐると、砂利が敷きつめられていた。木を伐りひらいた平場に、陀来門徒が群れをなす。平屋と蔵が並び、
「慶滋修理亮さまでございますな。お初にお目にかかる。拙僧が、妙嶽寺道悦にございます」
陰気な声調。黒づくめの質素な法衣、頭巾を欠く伸びた短髪と不精髭。身の丈五尺五寸(一六五センチ)余。気だるげな死人めいた眼はしかし、異様な精気を放つ。鍛えぬかれた厚みのある、鋼のような体。腰に刀を提げ、右手に錫杖を持つ。山道に高下駄。
「まろが修理亮じゃ。こたびの会見、ありがたく思う」
「いえいえ、こちらこそ。
「
「ささ。ご案内仕る」
道悦のまわりに、六人の屈強そうな雑兵。ともに言葉こそ柔らかいが、敵同士であることに変わりはない。この会見を取りまとめた小五郎にしても、張りつめた面持ちを崩さずに一言も発しない。
「道はまだつづきますゆえ、話ながら参りましょう」
つかつかとまえを歩き顔も向けず、道悦が平板な口調で言う。この男からは、情というものがいっさい感じられない。まるで人の形をした蛇のような、気味のわるさを覚える。
「小五郎どのをそちらに取りこまれるとは、思ってもみませなんだ。こたびの奏者として、拙僧のまえに遣わすとは。拙僧らの企みを知りながら、和睦なさろうと言われるのですな」
「うぬらをひねりつぶすことは易しい」
晴影の挑発的な言葉に、空気が凍る。道悦を守る雑兵どもが顔を向け、こちらを睨みつけてくる。道悦だけが振りかえることなく、つかつかと歩きつづける。
「修理さまの言われるとおり、われらの命運は風前の灯。されどそれは、そちらも同じでございましょう」
情のこもらない口調で、道悦は核心を衝く。晴影はそれに返さず、片頬だけを吊りあげる。
「若殿も法主殿も。きょうは争いに来たわけではございますまい。たがいの落としどころを話しあいに来たわけで......それがしもそのために、微力を尽くしたわけでございまして」
道化た口調で言う小五郎に、雑兵六人の憎悪が向く。「この裏切り者が」と、うちひとりが口に出す。
「くだらぬことを申すの、
「犬じゃと!」
雑兵六人が腰の刀に手をやる。
「やめよ」
道悦が変わらず平板な口調で言うと、雑兵六人は柄から手を放す。躾のいきとどいた犬だ、と私は思った。
「小五郎どのには小五郎どのの生がある。それを咎めることなど、どうしてわれらにできよう」
「さすが法主殿」
小五郎が場を和ませようとしたのか、掻きみだしたのかよくわからない。私にはわからない駆け引きがあるのだろう。晴影と次郎にはそれがわかっているらしく、黙ってなりゆきを見つめている。
影鏡 錫 蒔隆 @SUZUMAKITAKA
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