【八】
「はあ、まったくしくじった。これよりさきは、間者を
次郎の狼狽を繋ぎ、もとより沈着な晴影は回帰したように装った。とんだ三文芝居だった。次郎と同じようであって、まるで別人。傍目にもそれがわかるだろう。晴影は体に顕現した。よろこびにあふれ、すこぶる陽気である。次郎のある種の陰気さとは対照的である。弾正も左馬助も小五郎も、怪訝な顔をしている。
「それはそれとして、手を打たねばならんな。弾正、いかにすべきか?」
「京師へ取ってかえさねばなりませぬが、陀来門徒も放っておくわけには参りませぬ。窮余の下策ではございますが、ここは兵を二分いたすほかは」
「それは下策よな、たしかに」
晴影の言葉に、弾正の顔が強ばる。晴影はそれを気に留めるふうもなく、言葉を継ぐ。
「二兎を追う者は一兎をも得ず。欲をかいてはいかん。弾正。澁谷と陀来、まづはどちらを制すべきか」
「中将どのでございましょう。帝と殿を一刻も早く、お救いいたさねばなりませぬ」
「では、陀来門徒とは早々に和睦し、全軍を以て京師へ引きかえすとしよう」
「それはむつかしいでしょうな」
小五郎が口を挟む。次郎から晴影への変貌ぶりに驚いていたが、平素の平静さを取りもどしている。縦に傷の走る左頬が、かすかに吊りあがっている。
「なぜ、そう思う? 道悦の命運は風前の灯、まさしく渡に舟ではないか?」
「陀来門徒の挙兵がそもそも、しめしあわせられたものだとしたら?」
「......と、申すと?」
「澁谷中将と妙嶽寺道悦はつうじていると、それがしは見ました」
「ばかな」
驚嘆したのは弾正と左馬助と私と三郎で、晴影は顔色ひとつ変えていない。
「托中守護の
「弾正どの、なればこそにございます。物事には表と裏があり、謀の巧者ほど表をうまく繕うものです。道悦もまた、謀に長けております。その道悦が万が一にも、挙兵の機を見あやまることはございますまい。中将の挙兵で、すべて腑に落ちました。中将とつうじておったからこその、この機であったと。大軍を北に引きつけて、その隙に京師で兵を挙げる。管領の座に返りざくための、みごとな謀にございます」
「すべて、中将どのと道悦の芝居だったと申すか。しかし、大義名分がない」
「大義名分なんぞ、いくらでも捏ねあげられる」
弾正の問いにこたえたのは小五郎ではなく、晴影であった。
「父上の罪状をせっせと拵えて、とっくに一巻にでも仕たてておるだろう。父上を捕えるなり殺すなりすれば、千万の偽りも真になる」
晴影はせせらわらう。父・晴俊は晴影にとって、おのれを殺した憎き仇。その窮地がうれしくてしかたがないといったように、晴影は陽気である。晴影を知らず晴鏡だと思いこんでいる弾正が、「若」と晴影の喜色をたしなめる。左馬助は困惑の表情を浮かべている。
「弾正。すぐに京師へ間者を放て。帝と父上が気がかりじゃ」
少しだけ悲痛を装ってみせるが、空疎さは隠せない。晴影の冷酷を詰る資格は、私たちにない。少将は晴鏡の父であるけれど、私たちの父ではない。私たちに父母はない。この乱で晴鏡の父が死んだところで、「ああ、そうか」と思うだけだ。姫と六郎は少将の身を案じ、晴鏡は眠りつづけて危急を知らない。知ったあとに、大いに悲嘆するだろう。私は悲しまないし、泣きもしない。よろこびもしない。次郎と三郎もそうであろう。少将の危急がわが身のそれに繋がることを案ずるのみである。
「さて、小五郎」
晴影は小五郎に向きなおる。
「うぬにやってもらいたいことがある」
「なんなりと、お申しつけを。犬馬の労を厭いませぬ」
小五郎は左手で、胸をどんと叩く。
「道悦にあいたい。渡りをつけてくれぬか」
「なんと!」
小五郎が硬直する。胸を叩いた手が、そのままくっついて離れなくなってしまったかのように。それでも口と舌を、どうにか動かしていた。
「和睦を、なさるおつもりで?」
「いかにも」
「むつかしゅうございましょう。中将と道悦は......」
「百も承知。うぬの具申なぞ聞かぬ。ただまろの下知に従え。やれるか、やれぬか?」
晴影の冷笑は、小五郎の矜持を衝く。戦狂いの眼に、陰気な光が宿る。
「奏者働きもまた、戦のうち。なしとげてごろうじよう。されど、そのあとは......」
「まあ、見ておれ。うぬに謀のなんたるかを、とくと教えてくれる。覆してこそだということを、の」
童のような齢十七の若者が、十は年嵩の者に理を説く。けれどそこに、滑稽さは微塵もない。晴影の発する異様な気に、場にある者らはみな圧されている。私も三郎もただ、それを見まもるほかない。いまはそれが、この身にとっての最善手であるからだ。いまはただ、状況を把握しておかなければならない。めざめた次郎に経緯を説明し、晴影から体を取りもどす算段を立ててもらわねばならぬ。
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