夏、フクロウが舞う
馬田ふらい
夏、フクロウが舞う
——灼熱の日射しの中へ、乱れ舞う砂埃の中へ、フクロウよ、今こそ羽ばたかん!——
発端は四月。
高校生活最後のクラス編成が発表され、馴染みのやつから初めて顔を合わせる人までひと通り自己紹介を終えて、なんやかんやと、教室がにわかに騒がしくなる。ぼくは席順の運に恵まれず、周りに話せる友人がいないもんだから頬杖をついて教室の喧騒を眺めていたが、しばらくすると「ンンッ、」と先生がわざとらしく空咳をして注意を引いた。
「さて問題だ。君たちがこの一年で迎える最も大事なイベントはなんでしょーーうか!」
「受験ですか?」
「違う!」
「文化祭?」
「違う違う!答えは……」
先生は黒板に白いチョークで文字を刻んでいく。心なしかそのカツカツという音は少し力がこもっているようで、ぼくらはみな先生の手の動きに夢中になる。
先生は手を止めた。
少しの間。ぼくらはごくりと喉を鳴らす。先生は一歩ずつ、ぼくらから見て右手に流れていく。一文字ずつ露わになっていく。
……『体』
……『育』
……『祭』
……『だ』?
先生は、黒板を叩いてさらに念を押した。
「体育祭だ!」
教室はハテナ混じりのガヤでまた騒がしくなった。
「先生、なんで『だ』まで書いてるんですか?『体育祭』だけでいいじゃないですか。」
「それはな、大事だからだ!」
「なんで黒板に書いておきながら口でも叫んだんですか?」
「それはな、大事だからだ!」
「先生、なんで体育祭が、この先の人生を決める受験よりも大事なんですか?」
「それは、その……。いや、受験より大事っていうのは言い過ぎかもしれんが……」
先生は少し考えて……。
「わからん!わからんっていうか、言葉にできん!だけど、終わる頃にはきっとわかる!いいな!よし!」
威勢のいい先生の発言は、しかしなんともテキトウであった。
ぼくの高校では、体育祭は一学年から一クラスずつを集めた三学年分で編成される団に分かれて競技が行われる。団を率いるのはもちろん三年生の仕事だ。まず三年生にはその団の色が抽選で割り振られ、三学年集まっての結団式の前に、三年生は色にあった「テーマ」(大抵は動物になる)を決めないといけない。さらに結団式が終わると、団の中でも応援団に三年生は各学年で応援団に参加希望の生徒の人数を集計して衣装や旗をデザインする。
ぼくらの組の団のカラーが紫に決まると、放課後ぼくらは体育祭実行委員主導で「テーマ」を決めることになった。とはいえ、蛇や蝶、狼などといった紫で思いつく大概の動物はすでに先代に済まされていて、二、三のつまらないアイデアは出たがそこで教室の時間は止まってしまった。こうなるともうお手上げだ。
ぼくも最初は真剣だったけど、こういう沈黙の時間が続くと、顎に手を当て格好で見た目なにかを考えているフリをしているが、実際は真剣さのかけらもなく顎の皮をうにうにといじって遊ぶだけで、頭の中も「だれかなんとかしてくれないかな」と他力本願になってしまう。ふと周りを見回してもみんなの焦点はどこか遠いところにあって、状態はぼくとそう変わらないのが増えてきた。
そんな静寂に一人の、
「フクロウはどう?」
という提案が響いた。その一言が、導火線に火を付けて倦怠感を吹っ飛ばした。
「おお、それいいじゃん!」
「今までにないし、カッコいい!」
「待って、フクロウってカワイイ系の動物じゃない?」
「いやいや、カッコいいモチーフにもなりうるって。闇夜に紛れて敵を狙うアサシン的っていうか?ダークヒーロー的なやつ。」
「何それ最高!」
そういうわけで、クラスのモチーフは改めて投票をした結果「フクロウ」に決まった。教室は湧き上がっていた。ぼくも混じって拍手をしたが、他人に責任を押し付けてしまったことに対して、実際そうなることを願ったにもかかわらず心の中にはもやもやと後ろめたさが残った。
ぼくはあまり目立つのが好きではないので応援団には入らなかった。それでも何か貢献したいという欲があって、それに罪悪感を払拭したいのもあって、応援合戦で使う両手持ちの大きな旗を、実際に振る『同級生』らと製作することにした。
旗は二本。普通は両手いっぱいくらいの幅がある。しかし先代のは片面のペンキ塗りの装飾は凝っていても、反面は何もせずそのペンキが透けて不細工になっていることが多い。
できれば両面に装飾を施したい。その旨を伝えたところ、『同級生』らはぼくの意見には同意してくれたので、早速普通の二倍の面積の布を買い、それを貼り合わせるなり縫い合わせるなりすることにした。装飾の絵も、ぼくが何パターンか描いたラフの中から『同級生』に選んでもらうと、絵の上手い子に頼んで布に清書してもらった。
……この時、ぼくは自分だけが必死になって作業しているという感覚に陥っていた。怒りと暗い自意識を孕んだ、気持ち悪い感覚だ。
通知が鳴る。旗製作のグループにラインが届いた。
『みんな、下書き描いたよ!』
そこには翼を大きく広げた雄々しいフクロウがいた。
『ありがとう!』
『ありがとう!』
『ありがとう!(スタンプ)』
『同級生』らのラインが次々と届く中、ぼくはといえば独善的な自分の考えに気づき、頭を抱えた。
次の休日は学校に行き、下書きをしてもらった旗にペンキ塗りだ。ぼくは誰よりも早く来たつもりだったのだが、教室の扉を開けたときに「よう」と声をかけたのは旗を振る『同級生』がいた。今までほとんど話したことのない子だ。
「お前もペンキ塗りに来たのか?」
と彼は聞いた。
「あ、うん、まあ。」
「おれ上側から塗るから、そっちやってくんね?」
「あ、うん、そうだね、うん。」
こう、二人きりになるとなんとなく会話がぎこちなくなってしまう。と、
「あっ」
若干はみ出た。
「ん、んっ、よいしょっ」
軌道修正をかけようにも、毛羽立ったハケを上手く使うのは難しい。変な声を上げながらペンキを塗るぼくを見て、
「あー、オイオイやらかしたなー」
と彼が言う。
「ご、ごめん」
「アッハッハ、冗談だって。責めてねえよ。お前なんでもできると思ってたけど、意外と不器用なんだなと思って」
『同級生』はニカッと笑った。このとき、ぼくは彼に初めて親近感を覚えた。
昼過ぎになって教室に応援団のメンバーが続々と入ってくる。彼らは団結を深める目的とやらであだ名で呼びあうようにしているらしく、目の前の『同級生』に対しても普通にあだ名で呼んでいた。
「あ、おれ、応援団の方の練習行ってくるわ」
「お、おう」
ハケを直し、体操服に着替えて教室の扉を開けた彼に、ぼくもあだ名で呼んでみた。彼はきちんと振り向いた。おれは少しどぎまぎしながら声をかけた。
「……頑張れ!」
「おう、そっちもな!」
彼は先ほどの笑顔でグーサインをした。
体育祭当日。応援団は昼ごはんのあとすぐ、熱射がテントの外を燃やす午後二時である。
「次は、紫団の応援です。」
ぼくは機器を持って脚立を上る。土壇場で音響係になったのも、ここが演舞が最もよく見える特等席だからだ。
太鼓が打ち鳴らされる。
足袋を履く応援団員が燃える砂の上を走る。
「灼熱の日射しの中へ、乱れ舞う砂埃の中へ、フクロウよ、今こそ羽ばたかん!」
ぼくのスイッチで演舞が始まった。グラウンドの両翼で旗が、フクロウが、舞う。その姿は、ぼくに深い感銘を与えた。彼らはもはや『同級生』ではない。同じフクロウを身につけた『仲間』なのだ!先生が「体育祭が一番大事だ」と言った意味がなんとなくわかった気がした。
数分間の演舞が終わった。脚立を降りたぼくは演舞の終わった彼らに夢中で駆け寄っていった。
夏、フクロウが舞う 馬田ふらい @marghery
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