秘剣。フクロウの太刀

久保良文

秘剣。フクロウの太刀

「あれはハヤブサか?」


 細月の頼りない光の下、延々と木刀を振り下ろしている際にそれを見つけた。

 見たことのない奇妙な鳥だった。

 しかしその鋭い爪そして立派な嘴。威風堂々たる姿は、男に強い衝動を覚えさせる。



 男は名を松兵衛という。

 侍というには幾分土臭く、みずほらしい姿であった。

 武士の身でありながら、自らの土地を自らで耕しては作物を収穫する。少々風変わりな田舎侍である。彼はそれでも剣の腕前にのみは自信があった。

 道場の門下生の中では随一の腕であり、だれも彼に敵わない。その理由は道場主のご息女にあった。武家の娘らしく凛として美しい彼女に対し松兵衛は懸想の念を抱いていた。そして良いところをみせようと奮起した結果が実力となった次第である。

 くわえて生来からの気性により素朴な男であった。おごらない強者というのは好ましく思われるものである。ご息女からの感触もよく、茶飲み話程度の実のないものではあるが、縁談話をできるくらいには関係を築いていた。

 そんなある日のことである。ご息女に嫁入りの話が舞い込んできたのだ。

 相手は殿様の息子。若様であった。

 彼はお抱えの剣術指南役と共に道場を訪れた際、非常に傲慢な態度でご息女に目をつけた。見初めるや否や、今宵の寝所に来いというのだ。


「若様、お待ちいただきたくっ」

「無礼者っ」


 松兵衛はつい衝動的に若様の前に進み出た。即座にお供の侍達に叱咤される。これはもう言い訳のしようがないほどの失態であった。しかしだからこそ腹をくくり、言いたいことを言ってのけることにした。


「私は彼女に心底より惚れておるのです。よって若様に渡すわけにはまいりませぬ」


 その言葉を放つと、お供の侍たちは血相を変えて腰の刀へと手をかけた。松兵衛は覚悟を決める。ほれた女を何もせずに奪われた哀しい男にはならなかった、それでよいではないかと、そう思いつつ末期のときを待ったのであるが、若様の呵々大笑する声によってそれは遮られた。


「それではその女をかけて俺と勝負だ。いやなんとも愉快な沙汰となったではないか」


 聞いたことがあった。この年若く傲慢な若様は、非常に余興好きであるという噂だ。松兵衛にはそれを拒否する道もなく、勝負は明日の早朝、試合という形式をもって行われる。なんと殿様の御前にて行われるというのだから、大変な事態に巻き込まれた我が身を不思議に思うばかりである。

 そうしてはやる気持ちを抑えるために素振りに精を出していたならば、その面妖な鳥と対面した次第であった。



 その鳥は、物静かに木の枝にとまっていた。こちらをジッと見つめているその眼には鈍い光が宿る。その様はなにかしらを伝えようとしているように松兵衛には感じられた。

 松兵衛は腕をふり上げることも忘れて鳥とみつめあう。しばらくはそんな時間が流れたが、ふいにその鳥が大きく翼を広げたかと思うと、クリンと大きく顔をふりむいて地面へと滑空していく。そして見事に大きな兎を仕留めてみせたのだ。


「なんと見事な」


 とても流麗でそしてなによりも静かであった。目に追えないほどの速さというわけではなかった。しかし獲物を捕らえるのに気迫など邪魔だと言わんばかりに忍びより、ここぞという瞬間に激しく獲物に爪たてた。その一連の動作は松兵衛に強い感嘆の念を覚えさせた。


「行ってしまったか」


 獲物にありつけたのなら最早用はなしとばかりに、鳥は大きな翼をはためかせて飛んでいく。その様はまさしく大空の覇者だった。


「ああいう剣もあるのかもしれないな」


 松兵衛にとって剣とは、裂帛の気合とともに己の魂を打ち込むことこそが最良の一撃であった。しかしあの鳥の狩りの風景を目撃したいま、その価値観が激しく揺さぶられるものとなってしまった。

 その後、素振りを再開したのであるが松兵衛はあの静かな一撃を再現できないものかと腐心することになってしまった。だが、どうにも上手くいかない。それもそうだ、これまでできなかったことが一晩のうちに習得できてしまえば、この世は剣豪ばかりで埋もれてしまうだろう。せめて極意とも呼べる心持ちを理解できねばあの一撃を放つことは不可能だ。できうることなれば、あの鳥と再会して師事ねがいたいものである。

 そうして松兵衛は素振りを止めて、床についた。しかし心の中ではあの鳥の一撃ばかりに思いをはせてしまっていた。


 ●


 明くる朝、いささか慌ただしい心持で御殿に参上すれば、そこには松兵衛よりもさらに慌ただしい風景があった。庭内は帳を使って仕切られており、そこで若様と松兵衛の試合が行われる。あとは殿様が御覧になる席さえあればよいはずであるのに、帳の周りには予想よりも多くの人々が集まっていた。きっと若様の趣向であろう。

 しかし松兵衛にとって自らの生死を左右するかもしれない試合なのである。余計なことには心を奪われまいと、ジッと座禅をしてそのときを待った。

 やがて殿様が席についたという号令がなされて、ついに試合開始という段になる。松兵衛は目を開けて、若様と相対した。


「すまんな、どうにもお祭り騒ぎが好きなものでな。余計なことには気を散らさずに全力をだして俺に打ち負けるとよい」

「はっ。過分なお気遣い痛み入ります」


 松兵衛の返事に若様は「嫌味な奴だ」と苦笑すると途端に真剣な顔持ちになり剣を構える。松兵衛もそれに倣った。

 そして立会人による「はじめ」という号令が響いた。

 松兵衛は渾身の力を込めて気合の声とともに剣戟を振るう。だがそれをいなされてしまう。隙を与えじと即座に第二の刃を振り下ろすもそれもかわされる。それが幾度も続いた。

 初手からしくじってしまった。

 若様の剣の腕は道場の門下生たちとは隔絶しており、松兵衛の剣戟をすべて受け流されてしまう。さらには松兵衛の一撃にはすべて渾身の力が込められており、刃を振るうたびにその勢いは弱まっていくことを理解してしまった。若様はこちらが疲労困憊になり決定的な隙を見せたところで仕掛けてくるのだろう。それを防ぐためにも今は間断なく攻め続けるしかなかった。しかしそれを続けていれば自滅する。

 このままでは負けてしまう。

 そう気づかされてしまった。

 そしてそれを意識すると途端に様々な雑念が松兵衛の脳裏によぎる。

 負けたらご息女はどうなる若様の慰み者になるのか。しかし勝ったところでこんな大勢の前で若様に恥をかかせたとなれば自分の処罰は免れまい。なにより若様の剣の腕は凄まじく今のままの自分では勝てない。しかし勝ちたい。ではどうすればいいのかいったいどうすれば。

 雑多な思考の中、最後に思い浮かべたのは昨日の鳥であった。

 あの鳥のような一太刀に至ってみたい。

 それが最後にのこった願望であった。

 しかし仕方がわからない。それなので松兵衛は形振りをすべて捨てることにした。

 剣戟を止め距離をとる。


「どうした。それではこちらから――」

「ほぅ」


 これは勝負あったと若様がしかけようとした途端、松兵衛は一声、頓狂とも言える鳴き声をあげた。そしてそれは続いた。


「ほっほっほっほっ、ほーう」


 唐突に奇声をあげ始めた松兵衛にその場の全員が呆気にとられてしまった。それを理解して松兵衛は可笑しさが溢れて止まらなかった。

 ああ、こんな大事な場面で自分は何をしているのだろう。

 だが、なりきるのだ。私は昨日のあの鳥になるのだ。

 土壇場の混乱した状態ではあったが、その馬鹿さ加減に、思考は段々と鋭角になっていく。

 求めるのは一撃。気迫など邪魔だ。相手をよく見ろ、隙はないか、なければつくれ。

 音もなく間合いを詰める。呆気にとられている若様はそれに気づかない。早くもなく殺気もなく緩やかに詰め寄る。それはただただ相手を仕留める一撃を見舞うためだけに。

 そして必殺の間合いに入ったところで松兵衛は小さく振りかぶった。

 だが確実な殺意をこめて。

 その急激な気配の変化に若様が対応しようと剣を操るももう遅かった。

 松兵衛の放った横なぎの一撃は若様の剣の柄をからめとり天高くへと打ちあげる。


「勝負あり」


 立会人の声が響いた。

 勝敗が決した。試合の場を静寂が満たす。誰も彼もがこの状況にどう対応すればよいか分からないでいた。


「見事であった。松兵衛よ」


 すると上座の観覧席より声をかけられた。殿様が「ちこうよれ」と言っている。松兵衛はその面前までよると跪いた。


「この度の沙汰、ひとえに私の不徳の致すところ。腹を切って詫びますれば、許されればどうか他の者には責を負わせぬよう、申し上げたく存じます」

「よい。試合に負けて恥をかかされたからと言って相手を処罰にしたならば、そちらの方がより恥になってしまう。よって不問とする」

「ははっ」


 松兵衛は殿様のその温情に感謝し、深く頭をたれた。殿様は「そんなことよりもだな」と前置きをして松兵衛に尋ねてきた。


「お主の最期の一太刀、じつに見事であった。しかしあのような剣、見たことも聞いたこともない。あれはお主の技であるのか? 名をなんともうす?」

「はい」


 それから松兵衛は詳細を語った。

 昨晩出会った面妖な鳥について。殿様は興味深そうに頷いて聞いている。


「よって技の名もなく、私も極意を習得したとは言い難く。それでも許されるならばこの剣を『ハヤブサの太刀』と名付けたいと存じます」

「む、『ハヤブサの太刀』とな」


 松兵衛の言葉を聞いて殿様は呆気にとられて目を丸くするも、束の間、大声をあげて笑い始めてしまった。困惑する松兵衛をよそにひとしきり笑いこけると言う。


「それはならぬぞ」

「何故にございますか?」


 松兵衛の疑問に殿様は神妙に「うむ」と頷いた。そして心底愉快なものを見たという風にこう告げた。


「その技は『フクロウの太刀』と名付けるのがよろしかろう」

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