鳥かごの中から
つばきとよたろう
第1話
それがいつも鳴き始めるのは、午後八時を回った頃だった。数を数えるみたいに、ホーホーと声を立てるが、姿は見えない。頭上で、ぼくが薄暗いその道を通るときに聞こえてくる。心配になって、財布の中身を勘定してみる。
ぼくは、その鳴き声には、なんとなく心当たりがあった。が、本当かどうか確かめるつもりで、その店に通い始めた。路地にある小さな店で、狭い店内に所狭しと、たくさんの鳥かごが置かれていた。目当ての物は、一番奥にあった。
鳥かごには、黒布を被せて値札が付いていた。ぼくは、悪いことをするみたいに、こっそりと鳥かごの中を覗いた。ぼくは、眺めているうちに、どういうわけか、その鳥かごの鳥が欲しくなった。
その日、ぼくはお金を用意して、その店を訪れたのだ。
「でも、その間に誰かが買っていくかもしれない」
「その時は、縁が無かったと諦めて下さい」
店主は、そう言って屈託のない笑みをこぼした。
ぼくは、鳥かごの値札を前にして、最後に所持金を確認した。わずかに足りない。困っているところを、店主に声を掛けられたのだ。初老の店主は、多少ぼくに同情するような態度を見せたが、結局のところ、うちは値引きしないと最後まで頑固だった。しょげこむぼくに、店主は年代物の椅子を勧めた。
「それじゃあ。こうしましょう。私と勝負をしませんか?」
困惑するぼくに、店主はイタズラっぽくこんな提案をした。
「何か面白い話を出し合って、私に勝てたら、幾らでも値引きして差し上げましょう」
ぼくは、首を激しく振った。そんな面白い話は無いよ。
「どんな些細なことで、結構です」
「どんな?」
「ええ。ただ、私も商売ですから、手加減はしません。それに自信はあります。これまで、一度も負けたことはありませんからね」
店主は、ゆっくりと目を細めた。
「では、どうぞ」
困り果てたぼくは、ここに来る途中で、いつも耳にするホーホーという鳴き声のことを話した。
今日もそのホーホーという声を聞いて、ぼくはそこで財布の中身を確かめた。その時、焦る気持ちから不注意にも、大切なお金を無くしてしまったらしい。あれは、絶対にぼくが落としたお金なんだ。
どこから現れたのか、目の前にまるで紳士のような、格好の男が立っていた。こう言うのを紳士というのだろう。その紳士は、百円硬貨を手に私へ差し出した。ぼくは、ありがとうと言い掛けて、声が喉に詰まった。その寂しそうな紳士の眼差しを見詰めていると、思わず頭を振った。
「それから、逃げるように、ここへ急いで来たです」
ぼくは、その事を言い終えると、急に胸のつっかえが取れて、すっきりした。
店主は、なるほどと相槌する代わりに、黙って熱心に、ぼくの話に耳を傾けていた。そして、深く頷いた。
「いいでしょう。どれでも好きな物を、好きな値段で持って行って下さい」
ぼくは、顔を明るくしてあの鳥かごを指差した。ところが、店主は表情を曇らせた。
「残念ですけど。それだけは、お譲りできません」
「でも、さっきどれでもって……」
「いえいえ。別に意地悪で言ってるわけじゃありませんよ。ただ、差し上げたくとも、籠の中は空っぽなんです。つい先ほど、あなたがいらっしゃる前に、売れてしまったんです」
ぼくは、がっかりしたようにうな垂れた。そんなぼくを覗き込んで、店主が優しく言った。
「他に欲しいものはありませんか? どれでもといっても、あまり高価なのは、安くできませんがね」
ぼくは、それを断った。それから、ふと思い出したことを、店長に言った。
「そう言えば、さっきは自信あるようなこと言っていたのに、あっさり勝負に降参したのは、どうしてなんです?」
「ああ。あなたには、お話していいかもしれない。あなたのお話になった話と、私が用意していた話が、同じだったからです」
「同じ、どういうこと?」
「ええ、まあ正確には、あなたの話してくれたお話の続きと言った方が、いいでしょう。まあ、お掛けなさい」
店主は、そう言って立ち上がったぼくをもう一度、椅子へ座るように促した。
「さっきもお話ししましたが、少し前にその籠の鳥を買った人が居ると。そのお客さんが、つまりあなたのお話の紳士風の男なんです。その方は、急に現れたみたいに、私の所へ来て、あの籠の鳥を譲って欲しいと言いました。私はあの鳥は、あまり売る気はありませんでした。誰かが近くの山から捕まえて来た雌で、酷く怯えて餌を与えても見向きもしない。どんどん元気が無くなって、そのうち死んでしまうと思っていました」
「でも、ぼくがここへ来たときには、鳴いていたよ」
「そう。それが不思議なんです。まるでつがいの片割れを呼ぶように、急に鳴き始めたんです。そうして、あの男が現れた。男は熱心にあの鳥を売ってくれと言いますし、不思議とその籠の中の鳥も元気を取り戻して、しきりに鳴き始めました。男は身なりに反して、小銭ばかりを集めて出すから、少しおかしいと思いましたね。確かに、その値段くらい硬貨の山になった。が、百円足りなかった。でもね。男はポケットを探して、最後の百円を見つけて、それを手の中でじっと眺めてから出した。私が鳥かごを渡そうとすると、男は言った。ちょっと開けてもらえますか? でも、鳥が逃げてしまいますよ。大丈夫です。鳥かごの扉を開けた途端に、中の鳥が飛び出しました。ところがね。あんなに人に懐かなかった鳥が、その男の腕に捕まったんです。まるで長年連れ添った、夫婦の再会のようにです。男はそのまま、立ち去ろうとするから、私は慌てて鳥かごは要らないのですかと尋ねた。ところが、そう言ったときには、もう男はいない。そうして、こんな言葉が聞こえてきました。せっかく自由になったんだ。どうして籠が必要でしょう。鳥が翼を羽ばたかせる音が、遠ざかるのが分かりました。それも二羽でした。これが、私がお話ししようとしていた話です。そして、私はあなたの話を聞いて、大体の察しが付きました」
そこまで話すと、店主はぼくに親しみのある目を向けた。
「どうです。欲しいものは、見つかりましたか?」
「それじゃあ、あの鳥かごを下さい」
「そんな物でいいですか。遠慮せずに、どれでも言って下さい」
「いいえ。これでいいんです」
「そうですか。分かりました。それじゃあ。五百円のところを、今日は特別に三百円にお負けしましょう」
ぼくは店主にお礼を言って、三百円手渡した。店を出る間際、店主はぼくにこんな事を尋ねた。
「あなたは、どうしてあの籠の鳥を買おうと思ったんです?」
「ぼくは、ただあのホーホーという鳴き声を聞いていると、あの籠のフクロウが欲しくなったんです。ひょっとしたら、あそこへ行ってその鳴き声の主に、籠のフクロウを合わせて上げたかったのかもしれません」
「そうですか。それでは、外は暗いですから気を付けて帰って下さい」
「ええ、ありがとう」
「いえ。こちらこそ、ありがとうございました」
そう言って、深々と頭を下げる店主を背に、ぼくは店を出た。それから、ほぼ同時に、彼らは同じ事を口にした。
ぼくは、人気のない路地を歩きながら、店主は薄暗い店の奥で、あの紳士はどこか分からない森の中で、夜空を見上げ、それぞれが口元をほころばせていた。
「この手には、みんな引っ掛かる。ホーホー、ホーホー」
鳥かごの中から つばきとよたろう @tubaki10
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