ミヤマ百獣戦記―疾風のリスの章―

市亀

疾風の少女クウトと、黒天の切り札ヒシン。

 人里から遠く離れたその一帯では、悪霊に魂を喰われた動物が「悪魔化」する。魔に堕ちた彼らは、跳ね上がった力で獣たちを無差別に殺し、さらに彼らに殺された一部も悪魔化する。悪魔に抗うため、獣たちは種を越えて結束。悪魔化という災害と獣たちの闘いが、今夜も繰り広げられていた。



 枝の上に伏せる、一匹のニホンリス。彼女の名前を、クウトといった。クウトは木々の間の夜闇に目を凝らし、耳を澄ませる。

 西に離れた地面に、標的の声。その数秒後、クウトの元に仲間のコノハズク、ヤミハが降り立った。


「ヤミ、西になんかいる?」

「そう。シカたちの巣の近くにノウサギ。他所のカエル襲ってたけど、だいぶ凶暴そうだよ」

 ヤミハたちフクロウは、目も耳も非常に良いため、偵察役として非常に優秀なのだ。

「他は?」

「オオタカが上の方に。呼ばれたらすぐに飛んでくっぽい」

「そっかあ、じゃあ背中はヤミに任せるね」

「うん、クウちゃんのことは絶対に守るから」

 言葉とは裏腹に緊張しているヤミハの頭を、クウトはふさふさの尻尾でくすぐる。

「大丈夫、ヤミは強いよ……じゃあ、先導して」

 

 クウトは樹の幹を駆け上がる。ヤミハが音もなく飛んでいく方向の樹に当たりをつけ、着地点に障害がないことを確認し、助走、跳躍。自身の体長の十倍を越える距離を一瞬で翔け、着地と同時にダッシュ再開、確認、跳躍。

 リスには翼はない。しかし木々の間を疾風のように跳び回る彼らは、空を飛ぶも同然だと言われることもある。

 先を飛ぶヤミハにほとんど遅れることなく移動を終えたクウトは、標的のウサギを視認。他の獣を何匹も殺めているのだろう、その毛並みは血に濡れている。


「あいつだね。じゃあ、ヤミから合図して」

「うん、気を付けてね」

 飛び立つヤミハを見送ったクウトは、その個体――悪魔化したウサギ、により近い樹へと飛び移ると、耳をそばだてている魔ウサギに気づかれないように、静かに枝の上を進んでいく。

 角度と高さ共に良好な地点で、ヤミハの合図を待ち。


 ブッ、ホウ、ホウと。

 フクロウの声が聞こえた瞬間、魔ウサギがぴくりと反応する。ヤミハたちコノハズクは基本的にウサギを食べないとはいえ、「フクロウ」に対する警戒心は、クウトを含め小動物に共通している。

 つまりこの瞬間、魔ウサギが誇る聴覚は、どこかに潜むフクロウに集中している。その隙にクウトは、樹上で襲撃の姿勢を取る。

 そこへもう一度、ヤミハの鳴き声――いまだ。


 クウトは枝を蹴ると、尻尾で姿勢と速度を制御しながら、まっすぐに魔ウサギの背中を目指す。正面からぶつかって勝てるかは難しい、だが必殺の奇襲なら――果たして、狙いは違わず。敵の背中に着地し、鋭い爪を突き立てしがみつく。

 突然の衝撃と痛みに、魔ウサギは激しく身を捩りながら絶叫する。ギイギイという声が森に響き渡り、上空の魔タカに届いたはずだ。

 そうなると、魔タカは叫びの元へと急行し、仲間を襲うクウトを見つける。そうなれば十中八九、クウトに勝ち目はないだろう――しかしクウトは、目の前の魔ウサギに意識を集中する。


 振り落とされないようにしがみつきながら、少しずつクウトは体勢を変える。クウトの頑丈な前歯が、急所である首元に届くように。

 魔ウサギがさらに激しくもがき、体性感覚が狂いまくる中で、クウトは柔らかい首元を目指す。あと二歩、一歩――ここだ。

 ――痛いけど、ごめんね。


 クウトの前歯が、皮膚を破る。血と肉のおぞましい味、耳を刺す悲鳴の中で意識を集中、背骨の先を探り当て、ひと思いに噛み砕く。

 肢を放して地面を転がる。痙攣していたそいつが、やがて動かなくなるのを確認。悪魔化してもう後戻りできないモノとはいえ、かつての同胞だった身体を壊す感触というのは、いつになっても嫌だ。


 その頃、空中では。魔ウサギの声を聞きつけて急降下してきた魔タカを、待ち伏せていたヤミハが急襲。背後から組みつき、地面に墜としはしたが仕留めきれず、ヤミハはまだ意識のある魔タカと揉み合いになっていた。そうなると、体格で劣るヤミハが不利だ。

 退こうと飛びかけたヤミハを、魔タカが引きずり下ろす。鋭い嘴に貫かれる恐怖を、ヤミハが強烈に感じた直後。


 地面を疾走してきたクウトが、魔タカの背後から噛みつく。すぐに水平に跳び、振り返った敵の視界外へ。敵が混乱しているうちに、もう一撃。魔タカを押さえ込み、ヤミハの嘴で急所を突き、とどめ。


「止まった……ヤミ、大丈夫?」

「うん、私は。けどごめんね、クウちゃん」

 泣き出しそうな彼女の羽を、クウトは優しく撫でる。

「言ったでしょ、謝ることないんだって。得意なこと、みんな違うんだから」

 秒速十数メートルで飛ぶ鳥を不意打ちで捕捉できる者など、なかなかいない。その点でヤミハは、隠密行動や索敵から空戦までこなせる優秀な鳥ではあるのだが……元々、闘いには向かない子だ。

 そんな彼女まで戦わなければいけないほど、クウトたちの村の周辺での悪魔化は深刻だったし、命を落とす獣が多かった。


 束の間の休息を取っていたクウトとヤミハの元へ、ウサギコウモリのクハルが飛んできた。彼は山の中を飛び回って情報を集め、仲間たちの連絡役をしている。

「お疲れさん、倒せたっぽいね」

 口の中に入っていたドングリを呑み込んでから、クウトは答える。

「うん、何とか。クハル、他のみんなはどうだった?」

 今夜の悪魔の中には、ツキノワグマという大物がいた。強者たちが集い、そのクマに挑んでいたはずだが。

「例のクマは倒したんだが、シカのツウガが前足を折った。サルのカイナも武器が壊れてたし、ここでさらにヤバいのが来たら勝てないって、ツカサ長老が」

 戦闘に欠かせないメンバーの負傷という事態に、クウトの毛が粟立つ。


「他に敵はまだいるの?」

「沢沿いは余裕そう、麓の方はそもそも出てこないみたいだし。後は朝まで引きこもってていいんじゃ……」

 クハルは不意に言葉を切ると、宙を見上げる。

「聞こえるよね、クハルくん」

 ヤミハが不安げに声を上げる。どうやら、彼らの耳は何かを拾ったらしい。


「ああ、麓の方……ヤバいの来てるみたいだ」

 食べかけだったドングリを急いで食べ終えてから、クウトは言う。

「行こう、私たちでも力になれるから。クハル、先導お願い」


 超音波で安全な道を割り出すクハルの案内に続いて、クウトたちが山を下りていくと、麓から逃げてきた仲間たちと行き会った。テンもホンドキツネもアオダイショウも、傷だらけだった。

「ぼろぼろじゃねえか、どうした?」

「デカい魔犬にやられた、確かシェパードって種類の」

「ニンゲンが飼ってる……ペットだけじゃなくて、仕事とか戦闘でも使われる種のはずです。なんでこんな所に」

「どうせ身勝手なニンゲンが捨てでもしたんだろ。それよりだ、強すぎて歯が立たねえ。何匹もやられた。イノシシのアサジたちが食い止めてるが……」

 

 話を聞きながら、クウトは決意を固める。

「私も助力して、時間を稼ぎます。隣村からも応援を頼むよう、長老に伝えないと」

「危ないよクウちゃん! そんな小さいのに」

「小さいから、時間稼ぎには向いてるんだよ……だからヤミ、早く長老に」

 説得すると、ヤミハは迷いながらも頷き、飛んで行った。続いて、コウモリのクハルが言う。

「じゃあクウト、俺は一旦、負傷者の案内に回るから」

「うん、お願い。元気そうな人いたら連れてきて」


 そうしてクウトが現場に辿りつくと、魔犬に向けて血まみれのアサジが突進し、無造作にいなされていた。このままでは彼もやられると判断したクウトは、魔犬の背後からダッシュし、後ろ足に噛みつこうとしたが。


「――があっ」

 速度も充分だった。魔犬の意識外のはずだった。奇襲の条件は揃っていたはずだったが、クウトは魔犬の後ろ足に蹴り飛ばされていた。


 数メートルを吹き飛ばされ、痛みの中で立ち直る。アサジにのし掛かり、止めを刺そうとする魔犬。まずい、早く注意を引かないと――顔を狙うか。そう決断して再び駆け出すと、魔犬の眼が初めてクウトを直視する。


 魔犬はクウトに狙いを定めた。上等だ、追いかけ回してみろ、全部避けてやるよ――そんな勇ましい決意は、魔犬の速度を前に一瞬で揺らいだ。

 衝突前に、右折し全力で跳ぶ。クウトの位置が一瞬で一メートル近くずれたにも関わらず、すぐ後ろの土を魔犬の前足が抉っていった――なんてことだ、速さも正確さも桁違いだ。

 急カーブ、上に跳ぶ、樹まで逃げる。クウトが必死に次の手を考えていた、その時。


 夜空を音もなく切り裂く大きな影が、魔犬に迫り。

 その両足の鋭い爪が、あやまたず魔犬の喉元を貫いた。

 速さ、鋭さ、正確さ、力強さ。

 そのどれもを極めた、完璧な一撃。


「――え?」

 呆然とするクウトの視線の先で、魔犬は血を噴き出しながらよろめき。間もなく、動かなくなった。


「ふう、と。久しぶりに楽しめる狩りかと思ったが、呆気ねえな」

 魔犬を仕留めた主は、大きなワシミミズクだった。隣村の最強のエース切り札で、確か名前は。

「ヒシンさん、でしたか」

「うん――ああ、逃げてたちっこいの。お前、ツカサの爺さんの村?」

「そうです。あの――ありがとうございました、助けてくれて」

「あ?」

 

 ヒシンの瞳がクウトを射貫く。

「何言ってんだ。お前を助けたんじゃねえ、俺らの村を守ったってだけだ」

「――え、ああ、すみません」

「イヌ一頭にだらしがねえな、お前らの縄張りだろ――そうだ、迷惑料がわりに喰ってやろうか。リスは美味いからな」

 獲物を見る目に、クウトは固まる。

 そうだ、本来私たちは、喰うか喰われるかなんだ。


「――なんてな、冗談だ。さておきだ、嬢ちゃん」

「あ、はい」

 

「強くなれ。お前みたいなちっこいのにしかできない技があるんだ。そいつを磨け。少なくとも、俺らみたいなのに喰われるな」

「――はい、ありがとうございます」


 小さな身体に、不相応な大きな決意を抱いて。

 クウトの闘いは続く。生きるために、守るために。

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