罪の記憶、恋のはじまり

メバチバチコ春木

罪の記憶、恋のはじまり


 あれはまだ俺が19歳で、大学に在学中のことだった。

 街を歩いていたら芸能事務所にスカウトされて、モデルのコンテストに出場してグランプリ。

 すぐに田舎の地元を抜け出して上京。

 若手の登竜門とも言える国民ヒーロー特撮番組の主役を務めて、今や国民的イケメン俳優とまで呼ばれるようになった。

 そう。まるで絵に描いたように芸能界で出世した。

 テレビドラマにCM、雑誌。今ではどこを見ても俺がいる。


 でも、その代償は不自由さだ。

 プライベートはあってないようなもので、いく先々で騒がれる。


 それに疲れた俺はVIP用のホールがあるクラブを先輩に教えてもらい度々そこへ出掛けるようになった。

 クラブの大ホールは一般客がひしめいているが、奥の少し小さな、でも表のホールより豪華な造りのVIP用ホールには先輩俳優やモデルが多く来店している。

 VIP用のホールは一般客はもちろん入ることはできないはずなのだが、まれに迷い混んでくる客もいるらしい。


「ウソ、滝川純?!」

「うわ、ヤバーイ! 顔超ちっさ!」

 このクラブへは最近出入りするようになったけれど、とはいえこのVIP用のホールで、こんな客と鉢合わせるのははじめてだった。

「応援ありがとう。でも今プライベートだし、他の人の迷惑になるから、あまり大きな声はやめてね」

 爽やかで、国民的スター。この印象を壊してはいけない。やんわりと、優しく制止する。

「はぁー? うわ、気取ってんじゃねーよ」

「ファンサ無しかよ」

「ええ、困ったなあ」

 こういうやつらが多くてイライラする。

 だというのに世間体を気にして何も言えない。

「お客様、他の方の迷惑なので表まで来てもらえますか?」

 俺に絡んできた客を細身で、でもがっしりとした体格の男が制止する。

 半袖のラッシュガードにカーゴパンツを穿いた男は、インカムをつけているから、このクラブのバウンサーかなにかだろう。

 男の腕には、まるでマジックペンで書かれたような、お世辞にもおしゃれとは言えない柄のタトゥーが彫られてあった。

 矢で撃ち抜かれたスマイルマーク。タトゥーの下手な奴に彫られたのか。でも、どこか見覚えのあるような、そんな柄だった。

 タトゥーの男がまだぎゃんぎゃんと吠える客を宥めるが、まだ騒いでいる。タトゥーの男がインカムへボソリとなにかを呟くと、すぐに黒服たちが現れた。

「試合のあとなのに悪いな」

「いえ、大丈夫ですよ」

 そんな会話をしながら騒いでいた客たちを裏へと連れていった。


 タトゥーの男がそれを見送ると、こちらに振り向いた。

 オールバックの髪型は顔の造形を隠し辛い。それでもその男は綺麗な顔をしていた。

「お騒がせ致しました。どなたかのお連れ様と勘違いをしたスタッフがお通ししてしまったようてす」

 丁寧にお辞儀され戸惑う。

「あ、いや……大丈夫ですよ」

 俺の声を聞くや、男はガバッという効果音がつくくらいの勢いで顔をあげた。男は俺をじっと見てくる。

「あの、なにか?」

「滝川、純……滝川くん、だよね?」

「え?」

「覚えてない? 俺、朱鳥。山城朱鳥」

「やましろ、あすか」

「高校の時の、同級生の」

「あ……」

 思い出してくれた? そう言ってふにゃり、と笑った顔を見て俺は思い出した。オールバックの髪型で大分印象が違ったが、俺はこいつを知っている。

 山城朱鳥。俺が高校生の時に虐めていた、同級生のアスカちゃんだ。

 そしてあの、腕のタトゥー……いや落書きも、どうして忘れていたのか、俺は覚えている。



 高校3年の時、はじめての席替えで俺の前に座った男がこの山城朱鳥だった。

 人付き合いも悪く、前髪で隠れてよく見えない目元。そして独特の雰囲気を持つこの男は、よく窓の外を眺めていた。

 なんで、そうなったのかは覚えていない。

 でも、俺はこいつの前髪から少し覗く目が気に入らなかった。斜め上から全てを俯瞰しているような、こいつの目が、嫌いだった。

 そんな山城に嫌がらせがしたくて、最初はただ、パシリにしていただけだった。

「アスカちゃーん! 俺、喉乾いたんだけど」

「あ、うん。何がいい? コーラ?」

 ふにゃりと笑いながら買いにいくものを尋ねてくる。

 この度に今俺が飲みたいものを言い当てられてイライラする。

「はあ? コーラじゃねえし。今日はお茶が飲みてえの」

「じゃ、じゃあ、佐藤園のよ〜いお茶でいい?」

「ばっかじゃねえの? 俺がお茶っつったらサンドリーのウーロン茶だろうが!」

 イライラして、俺はこの時はじめて山城を蹴った。山城は「ごめんね、ごめんね」と言いながら、それを受けていた。

 正直、俺の方がごめんねと言うべきなのに、山城は俺にずっと謝っていた。

 その日から、俺は何かにつけて山城へ殴ったり、蹴ったりと、暴力を振るった。


 そして夏服の季節になったとき、俺は山城の腕にみみず腫になった傷痕をみつけた。

 その異質さ、異様さにまた新しい虐める理由を見つけたと思った。

「お前、その腕の傷、気持ちわりぃな。ほら、腕出せよ」

 俺は持ち出していた学校の備品のマジックペンで山城の傷痕の上に落書きをした。

 矢でスマイルマークを撃ち抜くような、そう落書きだ。

「ほーら、こうしてたら、ちったぁ見れるな! かっけぇぞ、アスカちゃん」

 そう言って山城を見下ろすと、山城はやっぱりふにゃりと笑っていた。

 なんで、こいつは笑えるんだ。

 普通は嫌だろう。辛いだろう。泣くだろう。なのに、なんで笑えるんだ。

「ンだよ……その目は」

 あの目が、俺をイライラさせる。

「てめぇ、いっつも、ふにゃふにゃ笑いやがって。気持ち悪ぃんだよ!」

 山城の肩口を押せば、簡単に吹き飛ぶようにマットの山に倒れた。

 山城の長い前髪がさらりと後ろへ流れる。

 こうして見ると悪い顔ではない。むしろどちらかと言えば、迫力のある美人顔、とでもいうのか。

 どうにかして、こいつを泣かせたい。俺は意地になっていた。

「ケツ、出せよ」

「え?」

「お前なんか、オナホくらいの価値しかねぇんだよ。ほら、オナホにしてやるからケツ出してこっち向けろよ」

 山城朱鳥は、顔を赤くしながらズボンを下ろし、パンツを脱いで俺に尻を突き出すように四つん這いになった。

 山城の長い襟足と白い肌のおかげか、相手が男だということにそこまで抵抗もなかった。

「ク、ハハハッ! お前、なんでも言うこと聞くのな。オナホのアスカちゃん」

 無理矢理突き入れようとしてみたが、さすがに女とは勝手が違ってすんなりとは入らない。

 自分自身も痛かったため、その時は未遂で終わったが、山城に俺のをしゃぶらせた。

 そして、山城にローションを買っておけと命令して、その翌日に俺は山城を……。


「滝川くん?」

 山城に名前を呼ばれてハッとした。

「大丈夫? ……水を持ってこようか?」

 爽やかなイメージで売り出している俺に、人を虐めていただなんて、そんな過去がバレては困る。

 パシリにしていたくらいなら、まだいい。慕ってくれていたことにでもすればなんとかなる。でも、終盤俺が山城にした行為は、レイプだ。

 今思えば、なぜあそこまで山城を痛め付ける理由があったのか分からない。

 そして、山城が誰かに言う可能性は高い。今、山城を口止めしないと、今後の活動に支障がでてくる。

 因果応報か、俺は山城に弱味を握られている状態だ。

「な、なあ! 山城、このあと、暇?」

「え? うん、今日はもう帰るけど」

 俺はこいつを何とかして口止めしないといけない。

「俺んち来ない? 少し、話そうぜ」

「いいの?」

 正直、家に上げたくなかったが、個室の店もどこで誰が聞いているのか分からない。

 俺は山城を引き連れて自宅へ向かった。



 家につくと俺は山城を適当に座らせて、冷蔵庫の中のペットボトルのお茶を出してやると、山城は少し戸惑った様子でそれを受け取った。

 そりゃあ……そうだろう。

「お前さ、今なにしてんの? つか、なんであのクラブにいたワケ?」

 当たり障りのない、昔の友人に話しかけるように俺は尋ねる。

「今は、さっきのクラブの地下でやってる格闘技の大会に出てる。それがないときはクラブでバウンサーのバイトしてる」

「え、ウソ、なにお前、格闘技してんの?」

「うん。俺、子供の頃からずっと柔道してて、高校からは総合格闘技をしてたんだけど」

「へ、へえ。すげーじゃん」

「あ、ありがとう」

 ずっと、格闘技を、していた? 俺にいつもボコられてた山城が?


「あのさ、俺らの学生の時の話なんだけど」

「あ……俺も、その話したくて」

 山城はずい、と腕を出してきた。俺が昔、適当に描いた落書きに酷似したタトゥーの入った腕だ。

「ほら、この腕の……覚えてる? 俺の腕の傷痕が気持ち悪いって、オシャレにしてやるって、滝川くんが描いてくれたやつだよ」

「それって、ガチのタトゥーだよ、な? どうやって、んなもん再現したんだよ」

「家に帰ったあと、写真を撮っておいたんだ。在学中は入れられなかったから、学校を卒業したあと、早速彫ってもらったんだよ」

「なんで、んなことしたんだよ。タトゥーになんてしたら、消えないだろうがよ」

「消えたらダメだ。あのときも滝川くん、水性マジックなんかで描くからすぐに消えちゃったよ」

 消えていいだろ。落書きだぞ?

「また会えて、嬉しい……滝川くん」

「はあ?」

「俺、ずっと滝川くんのこと好きだったから」

 今、山城は何て言った? 好きって言ったか?

 そんなワケあるか。だって俺は……。

「あのさ俺、お前のことずっと虐めてたよな? パシリにしたり、殴ったり……とか。なのに、好きってお前、おかしいだろ」

 さすがに、レイプしたことは言えなかった。

「おかしいって、なんで? だって、好きな人に触れられたり、抱かれて、嬉しくないわけないだろ?」

「おま……っ?!」

 

押し倒された。いや、タックルをかまされたのか、全く何をされたのか分からなかった。マウントをとられて、俺は山城を退かそうともがいたが上に乗っている山城はピクリともしない。

 力が入っている感じはない。山城は強いのか? じゃあ、高校のときは、反撃しようと思ったらいつでもできたってことか?

「滝川くんの方がおかしいよ。俺には滝川くんをすぐに壊せる力があるのに、俺が滝川くんのこと好きだって少しも気がつかないなんて」

 そこからまた一瞬のことだった。

 ずいっと俺の腕を膝でばんざいさせるように山城が上に上ってきたかと思えば、俺は左腕を取られて、山城の左足が顎下に滑り込むと同時に山城のからだが倒れる。俺は、いわゆる腕十字を取られていた。

 本来曲げることのできない方向に腕を曲げられ、俺の腕はミシミシと悲鳴をあげる。

「痛……っ!」

「ね?」

 山城はパッと俺の腕を抱えていた手を離して「ごめんね、痛かった?」と尋ねてきた。

 確かに痛かったけれど、それよりも一瞬で腕を折りにいける山城に対しての驚きの方が勝った。

「お前、何なんだよ」

「滝川くん、また俺のこと抱いてよ」

「んなこと、するかよ」

「なんで? 俺のこと抱いてよ。ほら、オナホ扱いでいいから、昔みたいに」

「やめろよ」

「まだ、好きなんだ。滝川くんのこと。それに、気持ち良いって言ってくれたよね、俺のナカ」

 正直、ローションでぐずぐずに緩んだこいつの中は、女とヤる時よりも気持ちがよかった。

 それに、こいつの言うことを聞かなかったら、こいつが世間に高校生の時の話をするかもしれない。

 そうすれば、俺は、終わりだ。

 今、幸いにも山城はまだ、俺に惚れてる。

「あのときは、悪かったな……オナホ扱いは、もう、しねえよ」

「え?」

「それなら、そんなに俺のことが好きなら、普通に付き合おう」

 俺も、役者だ。心にもないことを言うことなんて容易いことだ。

「滝川くん……ホント? いいの?」

「ああ」

 山城の目から、あれだけ俺から酷い虐めや扱いを受けていたときにも流れなかった涙が流れ落ちる。

「嬉しい」

 そう言って、山城は笑った。

 ふにゃふにゃの表面だけの笑顔なんかじゃない。泣いているのに、とびきりの笑顔だった。

 どうしてだろう。とてもきれいだった。今まで付き合った、どんなアイドルや女優よりも。

「お前、いつもそうやって笑ってろよ。そっちのが、印象いいぜ……たぶん」

「ありがとう……うれしい」

 俺は何を言ってるんだ。さっさと山城の口止めをしないといけない。

「あの、さ。俺ら、付き合うことになったけど、一応俺、役者とかモデルとかしてんじゃん?だからスキャンダルとか、そういうのは避けたいわけ。わかる?」

「うん」

「だから、付き合ってるっていうのは、おおっぴらにはできない。いいか?」

「うん、わかってる」

「とりあえず、対外的には友達ってことでも、いいかな?」

「うん、大丈夫だから、安心して」

 山城のとびきりの笑顔は、俺のなにかを刺激した。

 それが罪悪感から来るものなのか、別のものなのか。今の俺には分からなかった。



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