彼女と彼とフクロウと

英知ケイ

彼女と彼とフクロウと

「ねーねー流星りゅうせい、流星、りゅーせい」


 愛菜あいながソファーの横で漫画を読んでいる彼、流星に、後ろからのしかかる。


 甘えるような声。


 ここは愛菜の家のリビング。

 テレビとソファーとテーブルと本棚がありくつろげる場所。


 彼女の両親が、男の子を部屋にあげてはダメだというので、最大限の譲歩としての場所だった。


 今は母親が夕食の買い物に行っていていない。

 このチャンス、最大限に生かさなければならない。

 きっと彼女はそう思っている。


「何だよ、今いいとこなのに」


 彼、流星は、愛菜の高校のクラスメート。

 教室の掃除当番だった時に、愛菜が花瓶を割ってしまったのを一緒に謝ってくれたのがきっかけで、良く話すようになり、誠実な彼の性格に自然と惹かれたと、彼女は母親に訴えていた。

 多分、自分の部屋に連れて行きたかったのだろう。


 しかし、母親の壁は厚かった。

 部屋はダメ、と首を縦に振らない。


 何という過保護、嫁入り前の娘だからって大切にしすぎ、と抵抗してみていたが、男はみんな狼なのよ、の一点張りで通らなかった。

 お父さんも狼なの? 誠実な人柄が一番のポイントだったって言ってなかった? と愛菜が尋ねると、母親は真剣な顔でこう言っていた。


「私はお父さんという誠実な狼と結ばれた、赤ずきんなのよ」


 愛菜はこの台詞に怖くなってそれ以上聞けなかったようだ。

 母親は、本当にいい人か私も見てあげるから連れてきなさい、リビングで監視してあげる、と続けていた。


 それからこれまで数回彼が家に来ているが、こうして母親が二人きりにしてくれているところを考えると、今のところ合格ではあるのだと思われる。

 でも、まだ、完全合格ではないのだ。

 部屋にあげるのを許してもらえていない。


 逆に、留守にすることで母親は彼女を試しているのかもしれないとも思える状況。


 もっとも愛菜には母親の思惑など頭に無いようで、ただただ、彼、流星とくっつきたい気持ちでいっぱいのようだった。


 だが、残念ながら、流星の方は、読みかけの漫画にご執心。


「何だよ、愛菜、今いいところなんだから」


 手に持つは、愛菜の少女漫画。


 家に来てから挨拶以外ずっと沈黙していた流星。

 それを見かねて彼女が貸した一品だ。

 母親が近くにいるため、緊張で、動けない彼に配慮したのだろう。


 この作品はアニメにも映画にもなっているし、恋愛モノというよりは青春モノで、競技がメインだからきっと流星みたいな男の子でも大丈夫だと思う、そう言いながら渡していた。

 私の大好きな作品なんだよ、と付け加えて。


 それは成功した、成功しすぎてしまった。

 まさかこれほど彼が夢中になるとは愛菜も予想すまい。


 ずっと、漫画に向かって集中。

 最初はその横顔を満足げに眺めていた愛菜だったが、次第に焦りを感じてきたらしい。母親の目を盗んで頬をつんつんしたり、存在をアピールする。

 しかし、彼はそんな彼女に冷たかった。


「ごめん、愛菜の好きな作品、集中して読ませてくれ」


 こう言われては何人でも退くしかないだろう。

 何よりも、この時の彼は良い顔過ぎた。

 愛菜が一瞬見とれてしまっていたほどに。


 ちなみに、部屋から持ってきた最初のほうの数冊が目の前のテーブルに積んであるのだが、もう半分以上が既読となっている。

 彼は几帳面らしく、読んだ巻は丁寧に表紙を下にして別の山に重ねているのだ。


 この勢い、現在刊行されている巻を今日中に全て読み切るのでは、という程。

 すっかり彼は漫画に取り込まれてしまっている。


 彼の心を漫画から取り戻さなければ!


 きっと、そう愛菜は決意したのだろう。

 顔を赤くしながらも、大胆にソファの後ろから抱き着いた。

 漫画から引き離すために。


 その結果が、さっきのセリフだ。


 決死の覚悟を無にされ、うなだれる愛菜。

 唇を噛んでいる。

 何よりも、自分の女性としての魅力が漫画に負けたと感じられるのが悔しいに違いない。自分よりも漫画のほうがいいのかと。


 彼は再び漫画に集中し始めた。


 当然あきらめきれない愛菜は、その背中を見ながら考えこむ。

 リビング中を見回して、何か無いかと探しているようだ。


 そんな彼女の目が、テレビの横の棚に置かれた雑誌のあたりで止まった。

 何か打開策を思いついたのだろう、そのうちの一冊を手に取り、パラパラめくる。

 そして、あるページで手を止めると、近くにあったペンスタンドから鉛筆を取って、ソファに、彼の隣に戻っていった。


 じっと彼を見つめる彼女。

 タイミングを計っている? 何かを待っているのか?


 彼は、彼女の視線に全く気づかない様子で、漫画を読み進めている。


 ……


 しばらくして、愛菜の待つその時は来たようだ。


 最後のページまで進んだ彼は、その巻を閉じて、机の上に置こうとした。

 その刹那――


「りゅーせい! 教えてっ!」


 愛菜は叫んだ。

 その勢いにさしもの流星もびっくりした顔で彼女の方を向く。


「何だ? どうしたんだ?」


「えっとね。『森の賢者などとして人間に親しまれている夜行性の鳥』って何? 」


 彼は、少し考えこんだ後、確信した表情で言った。


「フクロウだ。ギリシャ神話の女神アテナの従者で知恵の象徴であることから来てるんだったと思う」


「ほんとだ、四文字でちょうどあう! さっすが流星ね。なんでも知ってる」


 愛菜の満面の笑顔には、彼女の可愛らしさが凝縮されていた。恐ろしいほどに。

 これがさっきから練りに練られたであろう計画的なものだとはわかるまい。


 彼の方は、「そ、そうでもないさ」と口ごもりつつ真っ赤になっていた。

 愛菜は、嬉しそうに彼の様子を眺める。


 完全に照れてしまった彼の視線は泳ぎ、彼女の手に持つ雑誌に止まったようだ。


「く、クロスワードやってるのか?」


「うん、どうぶつクロスワード。でもね、結構難しいの。ねーねー、一緒にやってよ」


 彼の肩に頭を乗せ、抱き着きながらの甘える声攻撃。

 さらに畳みかけるように彼女は言う。


「その漫画はカバンに入るだけ貸してあげるから、ねっ。貸した分読んじゃったらまた続きを取りに来てくれればいいし」


 さりげなく、彼が家に来る理由まで作っている。

 完全に彼女のペース。

 彼はもう抗えない。

 わかったよ、と頷くと、彼女と一緒に机に広げたクロスワードに向かう。



 愛菜がまず考えて、答えだと思うどうぶつを言う。

 流星がそれに対して意見をする。

 ときには全くわからないようで、読んだ後に何も言わずに流星をじーっと愛菜が見つめると、仕方ないという体で、流星が答えのどうぶつを教える。


 この繰り返しの中で、ふと気づいたかのように、流星が言った。


「でもさ、フクロウはわかってもよかったんじゃないのか? やっぱり」


「どうして?」


「そこにいるじゃん」



 彼はリビングの片隅にいる私を指さす。


 ケージの中、止まり木の上で静かにしている私を。



「あーそっか。忘れてた!」


「ははっ、愛菜らしいな」


「もー、どういう意味よ~!」


 二人は幸せそうにじゃれあう。


 ようやく気が付いたか、とは言わない。

 でもこれだけは訴えたい。



 私 は フ ク ロ ウ じ ゃ な い !


 ミ ミ ズ ク だ !



 耳 っ ぽ い の つ い て る だ ろ う


 耳 っ ぽ い の ……



 そんな私の思惑など関係なく、リビングには、楽しそうな二人の笑い声がいつまでも響いていた。

 もう、フクロウでいいので、静かに寝かせてください。

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