ミネルヴァの梟は黄昏を飛ぶ

澤田慎梧

ミネルヴァの梟は黄昏を飛ぶ

 ――都内近郊の某所に、遊園地の成れの果てがあった。

 元々はバブル期にとある企業が建設したものだったが、営業開始後、数年を待たずして親会社が破綻。客足も伸び悩んでいた為、大して話題にもならぬまま世間から姿を消していた物だ。

 普段は訪れる者も皆無である。


 しかしある夜、そんな「夢の国の残骸」に似つかわしくない、ヨレヨレのスーツ姿の男が二人やってきた。


「ねえ警部。本当にその……とやらは、こんな薄気味の悪い所にいるんですか?」


 元はミラーハウスだったらしい建物に掲げられた、ペンキが溶け落ちホラーじみた表情になった大きなピエロの看板を眺めながら、新人刑事の竜田が尋ねる。が、尋ねられたおおとり警部はと言えば、答えるでもなく紫煙をくゆらせながら、無言で歩を進めるのみだった。

 内心で舌打ちしながらも、竜田は仕方なく鳳の後を追う。こんな場所で一人になんてなったら、気が狂いそうだった。


 首のもげた回転木馬。ゴンドラを失った観覧車。レールが折れ落ちたジェットコースター。

 何故か生きている街灯の明かりが、それら残骸を不気味に照らし出している。ホラーゲームの舞台にでもなりそうな光景に、竜田は思わず身震いする。

 先程からどこかでフクロウの鳴き声までしている。都会育ちの竜田には、刺激が強すぎる場所なのだ――。


「着いたぞ」


 やがて、鳳警部の言葉通り、竜田達の眼前に目的の建物が姿を現した。

 元は遊園地の運営事務所だったらしい、飾り気のないコンクリート製の二階建て。中に誰かいるのか、窓からは薄っすらと明かりが漏れている。

 「本当に?」と竜田が何度目かの疑問を浮かべた、その時。建物の扉がゆっくりと開き始めた。

 そして――。


「お久しぶりね、鳳さん。……ちょっと老けた?」

「そういうお前さんは変わらんな……本当に」


 扉の向こうから現れ、鳳と軽口を交わしあった人物の姿に、竜田は一瞬で目を奪われた。

 日本人離れしたエキゾチックな容貌。長く波打つ茶髪は艷やかそのもの。

 ゴスロリを思わせる、黒を基調としたフリルドレスを身にまとい――年の頃は二十歳そこそこ……いや、どう多く見積もっても十代だろう。

 とにかく凄い美少女だった。


「……そちらは?」

「ああ、部下の竜田だ。俺も年だからな、そろそろを引き継いでもらおうと思ってな。ほれ、竜田ぁ。こちらは沙織お嬢さんだ。挨拶しろや」

「え? ああ!? た、竜田です! はじめまして……沙織、さん?」


 どもりながら挨拶する竜田の姿を、一瞬だけ微笑ましいものでも眺めるように見た少女――沙織だったが、すぐに興味を失ったのか、鳳に向き直ってしまった。


「で? 私の所に来たということは……また例の件かしら?」

「……ああ、詳しくはこいつを見てくれや」


 言いながら、分厚い封筒を沙織に手渡す鳳。中身は――とある事件の捜査資料だった。


「へぇ、どれどれ……わぉ! これはこれは……どこに出しても恥ずかしくないね」


 あまりにも愉快そうな笑顔を浮かべた沙織の姿に、竜田の背筋に冷たいものが走る。

 自分など資料を読んだだけでゲーゲー吐きそうな事件なのに、と。


 ――事件が起きたのは数週間前。都内のとある高層マンションの一室でのことだ。

 「異臭がする」というマンション住人の通報を受け、警察が部屋へと踏み入ると、そこには阿鼻叫喚の地獄絵図が広がっていた。


 部屋にはバラバラ遺体が散乱していたのだ。

 しかも尋常の状態ではない。四肢や頭部がバラバラにされた遺体がデタラメに組み合わされ、奇っ怪なオブジェと化していた。

 もちろん、それだけなら「ただの猟奇殺人」でしかない。警察は全てを自力で捜査していただろう。

 だが、この事件の尋常ならざる部分は、それだけではなかったのだ。


「――、ねぇ? しかも近隣で同様の事件が複数発見された、と。なるほど、これは私達向けの案件だわ……ねぇ、?」


 捜査資料から顔を上げた沙織が、虚空へと呼びかける。

 竜田は一瞬、そこに自分には見えぬ何者かがいるのか? 等と思って身震いしたのだが……違った。


 白い――夜の闇に紛れてもなお白い何者かが、無音のまま空より舞い降り、そっと沙織の肩に止まった。

 それは……白い一羽の梟であった。先程から聞こえていた鳴き声の主だろうか? 等と竜田が考えていると――。


「これは先生! ご無沙汰しております!」


 なんと鳳が、梟に丁寧に頭を下げ始めたではないか。竜田は一瞬、上司の頭がおかしくなったのかと思ってしまった。

 だが次の瞬間、竜田は自分の頭こそおかしくなってしまったのではないか、と思うことになる。

 何故ならば――。


『なんのなんの。我らの出番など、本当は無い方が良いのじゃ。それにしてもそなた、老けたのう?』


 沙織の肩に止まった梟がのだ。しかも、美しい女性の声で。


「な、なななななななな!?」

『むむ? どうした若者よ? 顔色が悪いぞ? もしやなにか悪い病の発作か? どれ、我が見てしんぜようか? 心配することはないぞ? こう見えても我は医術の守護者とも呼ばれ――』


 自分を心配してくれる梟をよそに、目の前の現実を処理しきれなくなった竜田の意識は、ゆっくりと遠のいていった――。


   * * *


「――あら、竜田さん。ようやくお目覚めですか?」


 竜田が目を覚ますと、何故か目の前に沙織の顔があった。しかも何やら、頭が柔らかくて温かいものの上に乗っている。

 そのあまりの心地よさに、竜田は「もう少しだけ寝ていよう」等とのんきに思ってしまったのだが――。


「あらあら、そんなに?」


 その沙織の一言で、竜田は今までの人生で最も俊敏な動きで、沙織の膝枕からした。

 刑事ともあろうものが、まだうら若い少女の膝枕を堪能したなどと知れたら、大問題だ。


 周囲を見回すと、そこは西洋風のホテルを思わせる、高級そうな家具の並べられた一室だった。

 床にも高そうな絨毯が敷かれているが、それらとは対照的に壁はコンクリートがむき出しだ。どうやら、あの事務所の中のようだった。近くのソファには、鳳の姿もある。


「残念。私は竜田さんのこと、とても気に入ったんですけど?」


 そう言って、歯を見せて笑う沙織の姿は信じられないほど美しい――のだが、竜田はそこに、更に信じられない物を見ていた。

 沙織の犬歯が、見えたのだ。それはまるで肉食獣のそれのようでもあり、もしくは――。


「おいおい、沙織お嬢さん。早々にうちの若いのに手を出さないでくれよ。そもそも、は先生から禁じられてるだろ?」

「……きゅ、吸血?」


 鳳の口から出た物騒な言葉に、竜田が驚く。「吸血」なんて、それはまるで――。


「あら、それは許可のない吸血だけよ? 私だってたまには美味しい血を吸わないと……だって吸血鬼だもの」


 あっさりと、決定的な言葉を出して笑う沙織の姿を見てもまだ、竜田は目の前の現実を受け止めきれずにいた――。


   * * *


「――私と先生が日本へやってきたのは、戦後間もなくの頃よ。当時の日本にはね、戦後のドサクサに紛れて海外から沢山の邪悪なる者達――吸血鬼や狼男、その他、世界中の怪異ようかいが流れ込んできていたのよ。もちろん、人間しょくりょう目当てにね。

 そんな怪異連中を狩る為、時の政府に雇われたのが私と先生というわけ」

「で、だ。なんだかんだで日本を気に入ってくれた二人は、今この時代にあっても、陰ながら警察に協力してくれている訳だ。怪異への切り札としてな。おい、聞いてるのか竜田!」

「え、あ、はい! 聞いてます!」


 「とても信じられない」とは言えなかった。まさか日本の治安維持の一端を、吸血鬼と喋る梟が担っているだなんて。

 そこで竜田は、「先生」の姿がどこにも見当たらないことに、ようやく気付いた。


「あれ? そう言えば先生はどこに?」

「早速、仕事に行きましたよ? あの事件の犯人は明らかに怪異――私と同じ吸血鬼です。でも、自分だけで片が付くだろうって」

「一人……いや、一羽で? あんな猟奇殺人をしでかした、その、怪異相手に、ですか?」


 梟は優れた狩人だ。だが、それでもあんな事件を起こした化物に勝てるとは思えない。

 しかし――。


「そこはあれです。先生、腐ってもですから。私の同類吸血鬼程度じゃ、言霊一つでダウン! ですよ」

「か、神様……?」


 「吸血鬼」や「怪異」と来て、今度は「神様」。もう竜田の理解力は限界に達しつつあった。


「竜田さん。神様の殆どはね、もうこの世界を見限ってどこかへ去ってしまっているの――でも、先生は違った。この世界を、とりわけ人間達を愛し、それを陰ながら守ろうと考えたの。

 でも、神が神のまま、この世に留まることは許されなかった。先生は厳しい制約を課されて、この世界に留まったのよ」

「制約?」

「ええ、制約。元の女神としての姿を捨てて、使の形を取ること。世界と直接関われるのは、黄昏時から次の日の出までの間のみ。他にも色々と……」


 そこでふと、沙織が部屋の奥にある飾り棚に目をやる。そこには、左手に梟を乗せた鎧姿の女性をかたどった、小さな銅像が置かれていた。

 そのモチーフには、竜田も見覚えがある。確か、ローマ神話のミネルヴァ神だ。知恵や医術、戦いを司る女神で、梟はその御使い。

 ということは、もしや先生の正体は――。


「先生はね、その不自由な体のまま永い時を過ごしてきたの。人間達や、私のように人間に紛れて平穏に暮らしたいと願う怪異達を、陰ながら守る為に、ね」


 沙織の言う「永い時」とやらがどれほどのものなのか、竜田には想像もできなかった――。



 ――その日を境に、同様の手口によるバラバラ猟奇殺人は起こらなくなった。

 しかし、また異なる手口の怪事件は後を絶たず、その度に遊園地の廃墟へと赴く鳳と竜田の姿があったのだが……それはまた別のお話。


(了)

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