喋るフクロウなんて、俺は御免だ。

hugo

喋るフクロウなんて、俺は御免だ。

 俺はあの日、フクロウカフェに行ったわけだが誤解しないでくれ。“映え”も“癒し”も求めてなかった。ただやらねばならないことがあった。なんせ俺以外の人間はまだ誰も気付いていなくて、俺がやるしかなかったのだ。

 ドアを押し開けて入るや、店員の案内も待たずに「ブレンドを一つ」と言い渡し、一番奥の席を迷わず陣取った。この席が空いているのは知っていた。フクロウがいるのは中心に配置された縦長の木箱の上のみ。ゆえに客はその外周に集まるというのが、直近二日の調査から得たファクトだ。そう。俺は足を踏み入れたのこそ初めてだったが、昨日も一昨日もここを訪れていたのだ。開店から閉店まで、吹きさらしの窓やドアのガラス部から店内を覗き込み、構図、間取り、客足、フクロウと店員のローテ等を仔細に観察し、赤いノートに書き留め続けた。家に帰ってそれらを青いノートにまとめ直したのを元に、緑のノートに考察を連ね、最後には黄色いノートに作戦を立てた。結局二日で八冊のノートを使い切ったが、今日は持って来ていない。俺は素人じゃない。プロだ。頭に叩き込んだものを物理的に残しておくのは、機密が漏れる危険性をいたずらに高めるだけ。全部レンジでチン、してやったさ。

 実のところ、当初は最低でも一週間は調査に費やすつもりだった。しかし現にそれは叶わなかった。月曜日から開店一周年記念週間に入ってしまうと昨晩、ホームページで知ったからだ。俺は自らの迂闊さを呪った。店に属する全フクロウが一堂に会し続ける狂乱の宴らしいが、そんなことになればもはや作戦どころの騒ぎではなくなる。だから断腸の思いで調査を打ち切り、本日金曜日に決行する運びとなった。土日は端から論外だった。最大の敵は混雑、なんてことはわかりきっていたからだ。

 さて、ブレンドがテーブルの上に置かれた。ここまでは全くの計画通り。大事なのはここから。大丈夫だ。きっとうまくいく。エディンバラの冬を乗り越えた俺ならばできないはずが無い。俺はあの時失ったものへの痛みを胸に抱きつつ、二枚の壁が交わる直角を背にして浅くソファに座り、店内の全てを視野に収める。そして我が目は複眼であると自らに言い聞かせながら、いかなる異変も見逃さぬよう神経を尖らせた。店には女しかいない。三組七名の客はみな席を立ち、木箱の上で足を紐でくくられ、一列に並んだフクロウを奪い合っている。肩に乗せ、己の権威の象徴とする者。両手で包んで顔を肉薄させ、今にも咀嚼せんばかりの者。ファインダーを覗き込み、その内部にまで探りを入れる者。それら全てを容認どころか、積極的に奨励までする店員。誰もが笑顔だ。そこに一切の疑念を感じられないことが、俺を駆り立てる。やはり、今日にしてよかった。待っていろ、今にその欺瞞を暴いてやる。そう思いながら順繰りにフクロウの顔色を探っていく。目と目が異常に近い奴。眉毛が頭頂からはみ出て漫画みたいになっている奴。明らかに不細工な奴とその兄弟。以上の四羽はだんまりを決め込み、人間の相手をしている。しかし俺から見て一番手前。白い、精悍な顔つきをした奴だけが、この広い世界で俺を見ていた。軽く眉をひそめ、一直線に俺の目を射抜いてくる。俺は思わずごくりと唾を飲み込んだものの、目だけは逸らさない。夜の海のごとく見る者を引きずり込むその漆黒の瞳から、何か一つでも持ち帰ってやろうと自らのめり込んでいく。訪れた束の間の静寂。目には見えない視線の綱引き。それからふとフクロウの丸い眼球全てが露になり、くちばしが上下した。

「君!この声が聞こえているか?聞こえているのなら返事をしてくれ!そして、私をここから連れ出してくれ!」

 俺はハッと息を呑んだ。そしてほぼ条件反射的に、その息を使って「ほら見ろ!」と叫び、左手の人差し指で奴を指しながら立ち上がった。

「やっぱり喋ったじゃないか!本当によく喋る奴らだよ、フクロウって奴はさぁ!なんでお前らはいつもいつも喋りたがる?ファンタジーを思い出してもみろ!大抵旅の序盤に現れて、冒険者を導く賢者面をするだろう?もううんざりなんだよ、こっちは!」

 俺の糾弾と同時に至る所から悲鳴が上がって、かりそめの平和は打ち砕かれた。無理もない。フクロウが本当に喋ったのだから。

「なっ、何を言っているんだ!君は!」

「とぼけたって無駄だぞ!ここにいる全員が証人だ!やっぱりフクロウは喋るんだ!そうやってずっと人間を騙してきたんだろう?あの時もそうだった!あの森でもお前達は俺を騙そうとしたんだ!」

「私達が人間を騙すだって?逆だ!人間が私達を利用しているんだ!こんな狭い所に閉じ込めて!どうしてこんな残忍なマネができる?早くここから出してくれ!翼なんてこんなにやせ細って、今にも折れてしまいそうだよ!」

 短く卑しい羽をばたつかせ、狼狽しながらもなんとか俺を謀ろうとしてくるフクロウ。

「嘘をつくな!ミステリアスを気取ったって無駄だぞ!例え太陽を騙しおおせたって、俺までそうはいくまい!この穢れた月の民め!」

 しかしそこで気付いた。どうも周囲の人間達の様子がおかしい。全員が強張った面持ちで、俺の顔の一点だけを凝視している。まるで、俺を責めるような目をして。

「おいお前達!どうしてそんな目で俺を見る?見るべきはこいつだろう?早くこいつを縛り上げないと!どうなっても知らないぞ!」

「言っても無駄だよ。彼らには聞こえてない。私は君だけに聞こえるように話しかけているんだ。ずっと君が来るのを待っていた。君の目は明らかに他と違う。私達と同じ、純粋な色をしている。だから君なんだ。君だけが私達を助けられるんだ」

 それを聞いて合点がいったと同時に気が遠くなって天を仰ぎ、乾いた笑いを口元に浮かべながらこう言った。

「ははっ……出たよ。お得意の“選ばれし者”って奴かい。それでわざわざ、俺を指名したって訳ね……」

 完璧にしてやられた。これじゃ狂人は俺の方だ。認めたくないが、認めるしかない。俺はフクロウを甘く見ていた。記念週間が過ぎるのをを待ってから事を起こすべきだったのに、私怨に突き動かされて誤った判断をしてしまったのだ。立ち尽くす俺の耳に、厨房の奥での会話内容が微かに入ってきた。

「はい。そうなんです。店内で暴れている男性がいて……。ええ。今すぐにお願いします」

 俺はそれが通報だと直感するや否や動き始めた。猛然と木箱に歩み寄り、懐に手を突っ込んでナイフを取り出す。木製の柄に収まっていた刀身を展開した瞬間、ひと際大きな悲鳴があがったが、彼女達の想像は間違っている。殺してどうする。証拠を失うだけだ。俺は腐ってもプロなんだ。ギザギザな刃でもって紐を断ちにかかる。

「ああ、ありがとう!やっぱり君は助けてくれるんだね!」

 再度羽を動かして喜びを表すのを無視し、一思いに断ってしまおうとするのだが、手が震えてうまく同じ箇所を往復できない。

「オズちゃん!」

 横から店員の一人がそう叫ぶのに、俺は振り向かないで言い放つ。

「違う!こいつに名は無い!月の民に名は無い!お前は騙されているんだ!いいからこっちに近付くな!これ以上こいつと関わったら戻れなくなるぞ!」

「そうだ!私はそんな名ではない!私には本当の名がある!私を縛り付けないでくれ!」

「うるさい!お前は黙っていろ!一言も発するな!これからお前を研究所に持ち込む!そこで俺の脳波をとる!それでお前は終わりだ!とうとうフクロウは終わるんだ!俺の無実も証明される」

 とうとう断ち切ることができた。手こずったがまだ大丈夫だ。俺は奴の後頭部を鷲掴みにし、一目散に外へ駆け出した。

「いや、そうはならないよ」

「うるさい!なんでわかる!?」

 都会らしい人混みをかき分けて走る最中、フクロウの言葉が俺を惑わす。

「知っているからさ。君はそういう人間じゃない。君はいい人間だ」

「うるさい!本当にうるさいなぁ!握り潰してやろうか!?」

 振り返ると、店員と客が鬼の形相で追ってきている。どうやら彼ら全員フクロウに騙されていたらしい。あんな場所に入り浸る時点で、怪しいとは思っていたが。

「だからそうもならないって。君はいい人間なんだから」

「黙れ!同じことばっかり言うな!俺はいい人間じゃない!俺はいい人間なんかじゃない!」

 大通りに出たら赤信号だった。ルールに従う暇などないが、そうしなければ死んでしまうほど交通量がある。逡巡した挙句、俺は視界に入った歩道橋に飛び乗った。一段抜かしで駆け上がり、いざ登り切ったら向かいの階段から警察が一列にやって来た。全員警棒を持っている。振り返っても客と店員。ああ、終わった。もう逃げ場などどこにも無い。

「君、飛んで!」

 フクロウが言う。

「さぁ、飛ぶんだ!早く!」

「何を言っているんだ!お前は!」

「私を信じて!いいから!」

 ――ええい、ままよ!俺は捕まって汚名を受けるくらいならばと思い、欄干に手をかけて上に立ち、思いっきりジャンプしてやった。死ぬのは怖くなかった。狂った世界で生きていく方が何倍も怖いと思った。しかしそうはならなかった。フクロウの卑しい羽が突如として猛々しい大翼に変わり、天空へと飛翔を始めたのだ。

「ケツァルコアトル……」

 俺は無意識のうちにそう呟いた。

「そうさ!それが私の名前!ありがとう!私を助け出してくれて!ありがとう!名前を取り戻してくれて!私は嬉しいよ!やっと君も思い出してくれたんだね!」

「ああ、全部思い出した。あのエディンバラでのことまで。全部お前だったんだな」

 それきり俺達は語るのをやめた。目の前の太陽が、月よりも白く見えた。


 あの日、俺は確かに空を飛んだ。そしてあれからまだ一度も墜ちていない。人生においても、だ。この事実から、みな何かしらの教訓を得るだろうことに疑いの余地は無い。だが礼には及ばない。語るべきことは、常に語られる運命にあるのだから。

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