第4話
俺とヴェレンドの前をゆっくりと通り過ぎていく燃えるような赤髪の豪奢な格好の女。
間違いない。
そう気づいた途端、ドレス姿のソーニャの笑顔が頭に蘇り、胃の中に真っ黒な泥が込み上げてくる。
カウンターから店の入口まではわずか数メートル。
今駆け出せば、あの女を取り押さえることは出来るかもしれない。
あいつから勇者の居場所を聞き出せば――。
「おい、ニコラス」
肩にヴェレンドの手がかかり、はっとする。
「ここは無視だ。あの女が勇者の連れだとしても、今出来ることは何も無い。せいぜい衛兵を呼ばれて終いだ」
ヴェレンドは冷静だった。確かに彼の言う通りだ。それにあの女も勇者の一味。農民とドワーフに襲われたところでなんてことないのだろう。
「今は目立たないことが優先だろ。勇者の一味がこの街にいるのが分かっただけでも僥倖だぜ」
ヴェレンドは俺にだけ聴こえる小声でそう言った。俺もそれに頷き、大人しく店主が酒樽を持ってくるのを店の隅に置かれた簡易な椅子に座り待つことにした。
「こんなものカイル様に飲ませられないわ!」
数分もしないうちに、ガシャン!とグラスの弾ける音とともに、いやに耳に残る女の声が店に響いた。
声の主はどうやら赤髪の女のようだ。
「ですがミンク様、こちらはうちの、いえ、ドルクでも有数の醸造所で作られたものでしてー」
かなり腰低くした店員が女に頭を下げていた。
あの赤髪の女、ミンクという名前らしい。村でも勇者にそう呼ばれていたのを思い出す。
「あなた、私を誰だと思っているのかしら?ミンク・シプレウィックスよ!ドルクでも最上級のレディなの。こんな庶民の集まる店に私が訪れることすら幸運に思いなさい!」
ミンクは店員に吐き捨てるように言った。
「おいおい、勇者のやつ貴族の娘を引き連れてんのか」
「シプレウィックスってのが貴族の家ってことか?」
ヴェレンドは明らかに動揺している。聞き馴染みのない家名に、俺はひそひそと訊ねる。
「ドルクの公爵家だよ。あんなに威張ってるのは癪だが、実際政治にも口出し出来るような連中だ。軍の魔術指南役も歴代務めてる。まぁ所謂名門ってやつだ」
女に継承権はないけどな、とヴェレンドは小馬鹿にするような表情で続けた。
すると、酒樽を運び終えた店主が表のドアから入ってきた。
「一体なんの騒ぎだ」
「ミンク様が、勇者様にお届けするワインをお求めになられておりまして-」
話を聞いた店主はミンクに目をやった。
「あの勇者様御一行がうちに酒を買い付けに来るとは驚いた」
「私は反対しましたのよ。カイル様がこんな質の悪いものを嗜まれる必要はありませんのに。ですが庶民に寄り添うことも必要、と」
店主の言葉にミンクはあくまで上から目線で答えた。
「さすがは勇者様ですな。しかしシプレウィックス家の令嬢を買い出しの使いに走らせるとは」
店主は皮肉混じりに言った。しかし、その言葉を受けたミンクは少し誇らしげな表情だ。
「私も不本意ではありますが、カイル様はお忙しい身。それを支えるのが許嫁としての私の勤めですわ」
なんと。
あの女、勇者の許嫁らしい。勇者も相当若いように見えたが、なかなかやり手のようだ。
「そうですかい。失礼、他のお客を待たせてるもんで」
「なっ――」
ミンクの言葉を受け流した店主が俺たちの元へやってきた。
「待たせて悪い、酒は店の正面の荷車に積んである。ちょうどバラす予定の荷車だから、そのまま持って行ってくれ」
窓に目をやると、確かに丈夫そうとは言えない荷車に酒樽が積まれている。
「あぁ、今は何かと入り用でな。ありがたく貰っていくぜ。行くぞ、ニコラス」
店主に礼を言い、ヴェレンドの後に続くようにそそくさと店を出ようとした。
「私を待たせて何方を相手にするかと思えば、手負いのドワーフに小汚い庶民。この店の程度が知れますこと。まぁ、味の分からない方々にはお似合いですわね」
俺の背中に、そんな言葉がかけられる。どこからか取り出した煌びやかな扇子で口元を覆いながら、ミンクが吐き捨てるように言った。
女ってやつはこんなにも性悪なのか。
予想はしていたが、俺の事なんて微塵も覚えていないようだった。泥が一気に胃の中を埋め尽くしていく。俺は我慢できずに踵を返し、ミンクに向き直った。
「あのな――」
「いやあ、すまんすまん!この田舎もんがシュパイセルの酒を飲みたいって聞かなくてな!まさかシプレウィックス家のお嬢さんにお目にかかれるとは、いやはや、こいつも運のいいやつですな」
俺の言葉を遮って、ヴェレンドが明るい声色でミンクに言葉を投げた。
「まったく、だから異人種の受け入れは反対でしたのに……まぁいいわ。あなたドワーフにしてはしっかりと立場が分かっているようじゃない。ドワーフが皆あなたの様に身の程をわきまえていればいいのに。目障りよ、さっさと出て行きなさい」
「はは、そうですな。ではでは――」
そういってヴェレンドは俺を引っ張って店の外へと出て行った。
黙って荷車の前まで行ったヴェレンドは、そのまま俺を荷台へ投げつけた。
「お前何考えてやがる!あそこで騒ぎを起こしたら計画が終いだろうが。お前1人で死ぬのは勝手だが、俺を巻き込むな」
彼の右目が鋭く俺を突く。返す言葉もない。数分前の自分の行動の愚かさを痛感しながら、ヴェレンドの言葉に頷く。ため息をつきながらヴェレンドは俺の肩に手を置いた。
「ったく、勘弁してくれよ。その気の短さはもともとか?今時ドワーフでももう少し我慢できるぞ。ほら、さっさと帰るぞ。荷車引くの手伝え」
「おう……」
自分への情けなさに落ち込みながら、ヴェレンドとともに荷車を押す。
「すまなかった、あの女を目の前にして抑えられなかった」
「まぁとりあえず何事もなく済んだからいいってことよ。次は無しで頼むな」
「はい……」
「にしても、勇者のやつ、シプレウィックスまで味方につけてるとはなぁ」
「ヴェレンドが見たときにはいなかったのか?」
「ああ。その時はまだ勇者とも呼ばれてなくてな。いけ好かない冒険者がいるって衛兵ともめてたんだよ」
「そういえば言ってたな。その揉め事に巻き込まれて、店と家族が……」
「あぁ。嫁さんと娘がちょうど店に遊びに来ててな。俺が店の奥に材料を取りに行った時だったんだ。でかい音と衝撃、気づいたら店の正面は消し飛んでて、その瓦礫に巻き込まれて……」
「すまん、いやなこと思い出させた」
「何言ってんだ、家族の記憶が嫌なことなわけあるか……そのあと勇者は軍に認められてな、実力を証明したってことで俺の家族の件はうやむやになったんだ。俺が人間ならまだ違う対応だったのかもしれないが、異人種だったもんでな。まぁ、勇者の罪を皆が忘れた分、俺はしっかり頭に刻んどかなきゃなんねえ」
ぶっきらぼうに言っているが、声色は優しかった。なんとなく重たくなった空気に俺は何と言っていいものか悩む。
「ほら、着いたぜ」
気の利いた話題が思いつかないまま、どうやら目的地に着いたようだった。
荷車が停まったのは大通りから外れた細い路地にある、お世辞にも綺麗とはいえないボロ小屋の前だった。赤煉瓦の屋根はところどころ欠けており、全体的に薄汚れている。
中へ入るための頑丈そうな木の扉だけが綺麗で、なんだが無理やりくっつけたような違和感を放っている。
「ここがギベットのアトリエ?」
「ああ。まぁ、入ったらわかるさ」
〈ギギギ――〉
石床を扉が引っ掻きながら、分厚い扉が開かれた。
ヴェレンドはその重たそうな扉を片手で押さえながら、「ほら、入れよ」と俺に促す。
まだ頭の理解が追いついていないが、恐る恐る扉の中へ1歩踏み出した。
「どうなってんだこれ」
そこにはさっきまで見ていた冷たい空気の物寂しいボロ小屋と打って変わり、温かい陽が射し込む木造のアトリエが広がっていた。
外から見た時は明らかに存在しないはずの大きなスペース。
入口の向かいにある大きな2つ窓がこんなにも部屋を明るくしているのだろう。
窓の傍には3つのマネキン人形が設置してあった。
彼らは今にも喋りだしそうなほど精巧に人間を模してあり、自らが衣服を纏い作品として完成するのを今か今かと待ちわびているているようにも見えた。
あちこちに滅茶苦茶に部屋が設けられているおかしな間取りだが、それぞれの部屋には所狭しと本棚や模型が置かれている。
部屋の奥、1番大きく、1番散らかった机にはこのアトリエの主が偉そうに座っていた。
「おいおい、ずいぶん遅かったじゃないか。ドワーフってのは頭だけじゃなくて足まで遅いのか?」
ギベットは少し汗ばんだヴェレンドを小馬鹿にしながら言った。
「くそったれめ、お前が酒屋を出禁にならなけりゃこんなことにはなってねえんだ」
ヴェレンドはどこからか取り出した葉巻にマッチで火をつけると、近くに置かれていた年季の入った革張りの椅子に腰掛けた。
「おいおい、ずいぶんご機嫌斜めじゃねぇかよ。なんかあったの?」
ギベットは相変わらず椅子に座りっぱなしのまま、俺に問いを投げた。
「酒屋で...その、勇者の連れの女にあったんだよ」
「えぇっ、まじ!?」
気だるげな目を大きく見開いて、ギベットが机から乗り出した。
「大丈夫なのかよそれ、あとつけられてねぇだろうな!?」
「俺達が会ったのはその、そこまで考えるような奴じゃない...と思う」
赤髪の女-ミンクのあの性格だ、俺ら如きを尾行するような小賢しい真似はしないだろう。
俺は改めてギベットにその時の状況を詳しく話した。
「赤髪の女が酒屋に...てことは勇者本人もシュパイセルに、しかもここから近くにいる可能性もあるわけか...」
ギベットは整えられた顎髭を撫でながらそう言った。
「こりゃ幸先いいんだか悪いだか分からねえな。にしてもシプレウィックスの女が勇者の一味とはな」
何かを考えている様子だったが、俺はとうとう我慢出来ずにギベットへ尋ねた。
「なぁギベット、この場所はどうなってるんだ?」
「んあ?あぁ、いい感じだろ?」
「そうじゃなくて、あのボロ小屋からどうやって繋がってるんだよ」
何かの魔術...とかだろうか。しかしギベットに魔法の才能があるようには見えない。
俺からの問いかけに、ギベットは手元に散らかった書物を漁りながら答えた。
「あのボロ小屋はここに入るための入り口。転移だかなんだか、知り合いにそういう魔法が使えるおねーちゃんがいてな...」
あったあった、と呟くと取り出した大きな羊皮紙を俺の前にある広い机に広げた。
「これは地図か...なんで?」
ギベットは椅子をガタガタと引きずってきて、机を挟んで俺の正面に座った。
「勇者を仕留めるなら、まず一般常識くらいはないとダメだろ。シプレウィックスも知らねえのは田舎者が過ぎるぜ。この先、勇者に一発食らわせてやるのはたぶんニコラス、お前なんだから」
「え、俺?」
突然言われて、きょとんとしてしまう。
その様子を見ていたヴェレンドが後ろから俺に言った。
「当たり前じゃねぇか。片目のドワーフに義足の細工師だぞ?それよか五体満足の農民をぶつけた方が勝算はあるだろ」
「そうそう」
ギベットもそれに頷く。たしかに、この手で勇者を殺してやりたい気持ちはある。だがこの状況がまだ理解できない。
「それは分からなくもないけど、なら地図を見るより、どうやってアイツを仕留めるかを話した方がいいんじゃないの?」
1日でも早くあのクソ野郎を殺したい。
その為に村を出てここまで来ているのだ。それなのに、わざわざ国の勉強はないだろう。
「ニコラスちゃんよぉ、この街に驚いてるような奴が勇者を前にして驚かないでいられると思うか?」
やれやれ、といった様子でギベットが言う。
そんな悠長にやってられるか。少しムキになって、ギベットに言葉を返した。
「俺だって勇者の凄さを目の前で見てんだ。常識なんて通じないの分かってるだろ」
「もちろん分かってるさ。だからこそ、尚更俺達はこの世界の常識を知らねぇと勝負になんねぇのさ」
ギベットは続ける。
「ニコラス、お前が知ってることはなんだ?小麦の育て方か?牛の乳の絞り方か?それが何の役に立つ。はっきり言って、今のお前は役立たずなんだよ」
ギベットの核心をついた発言に俺は言い返さずにはいられなかった。
「それならお前ら2人も一緒だろ。宝石の細工でアイツを殺せるか?鍛冶屋が自分で剣を振るのか?」
聞いていたヴェレンドは鼻で笑った。
「細工師はなぁ、宝石弄るだけじゃねえんだよ。石弓に機構仕込んだり、兵器の設計もしやがる。それにドワーフは銀鉄を精製出来る。お前ぇよりはずっと役に立つだろうな」
そう言いながら、2本目の葉巻に火をつけた。
「ニコラス、ギベットは別にお前のこと貶してるわけじゃねえ。冷静に考えてみろ。いくら勇者を殺す仕掛けを作っても、殺せる剣を作っても、誰かが使わなきゃ意味ないんだよ」
落ち着いて話すヴェレンドの言葉を、俺は黙って聞く。
「国の英雄をぶち殺すなんて大罪、絶対に誰にも明かしちゃなんねえ。俺ら3人でやるしかねえんだ」
ふぅ、とヴェレンドは紫煙を吐いた。
ちらりとギベットを見ると、少し不機嫌そうに俺を見ていた。
「要するによ、仲間に常識も知らねえ馬鹿がいたらどんな危ねえことしでかしちまうか分かんねえってことだ。もうさっきのこと忘れたのか?慌てたところで、俺達が失くしちまったもんは戻らねえ」
工房が沈黙に包まれる。
相変わらずギベットは不機嫌そうに俺に睨んでいる。
目が合った。
「で?どうすんだ農民」
「……何から始めるんだ」
「最初っからそう言いやがれ」
ギベットは近くに倒れていた椅子を顎で指し、俺に座るよう促した。
彼は怒りやすいが切り替えは早い。
俺に見やすいよう地図を広げ直すと、木の棒に埋め込まれた黒鉛で地図に書き込みながら、かなり丁寧にこの国の地理や歴史について教えてくれた。
「分かったかね、ニコラス君」
「ああ...」
それほど時間は経っていないはずだが、ギベットの教え方が上手いせいでかなりの知識を詰め込まれた。
ここはドルク帝国。
気温の変化が激しく、今の時期は比較的暖かいが、冬になるとかなり冷え込む。
通貨の単位はエンというのが一般的らしい。
俺の村ではほとんど物々交換だったので、通貨はあまり使ったことがなかった。
硬貨は銅と金で作られているものが多いようだ。
俺は冶金の専門家であるヴェレンドに尋ねた。
「なぁ、硬貨に銀は使われないのか?」
「いいかニコラス、銀にはとんでもねえ抗魔力作用ってのがあんだよ。それこそ異端狩りの連中が使うくらいのな」
「へー...異端狩りね」
ギベットが最も詳しく語ったのが【異端】と【異端狩り】の存在だ。
【異端】とは動物でも人間でもない存在のことで、素人ではどうしようも出来ず、腕利きの狩人や軍人が数十人がかりで対処する危険な怪物らしい。
あの日俺の村を襲った黒い化け物も【異端】だ。
そしてその【異端】を1人で退治することが出来る専門家のことを【異端狩り】と呼ぶ。
ヴェレンドはその昔、若い【異端狩り】に剣を打ってやったことがあると自慢げに語った。
「まぁ、あの連中なら勇者と決闘になってもいい勝負になるかもなぁ」
「異端狩り...」
勇者もそうだが、あんな怪物を1人で対処出来るなんて、同じ人間とは思えないよな。
その他にも、ギベットは色々なことを話した。
魔術と魔法の違い、騎士団のこと、今の国王はフリーデン1世であることなど、ずっとアルド村で過ごしてきた俺にとっては知らないことだらけだった。
「どうよニコラス、農民のままじゃ知らないことばっかりだろ」
「まぁな...」
一通り話し終えたギベットはどかっと偉そうに机に両足をのせた。
そしてそのまま長い足を使い、机上の地図やら何やらをズサーっとまとめて退かした。
「あー疲れた疲れた。ヴェレンド待たせたな。作戦会議といこうじゃないか」
「ったく待たせやがって」
よいしょ、とヴェレンドが酒を1樽机の傍に運んできた。ギベットから講義を受けている間に表の荷車から酒樽をすべて運んでくれていたようだ。
ギベットはどこかから大きなジョッキを3つ取り出し酒樽から酒をいっぱいに汲んだ。
結局、『作戦会議』と銘打っただけの宴会は次の日の夕方まで続いたのだった。
村人Cだった俺だけど、好きな人を寝取られたので異世界転生者を全滅させます ニシボンド @hibi_key
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